ひなたあきらのおけまる公認心理師たん

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

タグ:Twitter

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◯ ツイッター公認心理師の特徴

1.序

Twitterをやっている人を「ツイッタラー」と呼ぶのですが、そうするとTwitterに馴染みの薄い人はわかりにくい、のでTwitter公認心理師としました。

さて、Twitter公認心理師にはどんな特徴があるのでしょうか?

2.他職種Gルート参戦合格組

この人たちのツイートやブログを読むと結構綿密に自分がやった勉強方法「もっとこうすれば良かった」など赤裸々に事実を書いてあります。これはGルートばかりでなくほかのルートの受験生にもお役立ち情報を結構書いてあります。

自分が低い点数だったとしても包み隠さずに書いて自己開示をしています。そういった意味ではとてもあっけらかんとした正直な人たちで全体的に明るく元気な雰囲気が漂っています。威張っている感じもありません。

心理学のシの字も知らないで勉強を始めたのですが、泣き言は書いてありません。むしろどうやってこの困難を乗り越えたのかを詳細に書いてあります。

Gルートの人たちは資格がなくても決定的に困らない人たちも多いわけですが、なぜ公認心理師資格を取ろうとしたのか、その目的をはっきりと明示して書いてある人も多いです。この資格を取れたことを誇りに思っている人、この資格をどうやって生かすか書いてある人もいます。

「自分はわりと前向きではなかったけれども上からの圧力で取れと言われて…」という感じのことも記述しているのです。

合格した人でばかりでなく、惜しくも不合格だった人も包み隠さず「あと何点足りなかったよー」と書いてあります。

また、所持資格に「公認心理師」とプロフィールに書いてあってもツイートの中には試験の事、心理学のことは一切書かず、自分が作った料理のことや、やっているゲームの事などを書いている人もいます。

なんだか見ていてほんわかとした気持ちになります。こういう人たちを見ると、元々人に対する優しさや気遣いがあり、真の意味で心理スピリットを持っている人たちなのではないのかなあと思ってしまいます。

保健師さんや看護師さんは理系なので統計が得意な人もいますが「統計は捨てた」といって無謀なチャレンジをしてそれでも合格している人たちが多いのは驚きます。

普段のツイートの内容は元々の自分の領域のことが多いですが、いろいろ掛け持ちをしているので多忙なのかなかなか登場できない人も多いです。

3.筋金入りの心理職

心理職の人たちは仕事の中に心理教育、メンタルヘルス啓蒙活動が入っていて、自分は心理のプロだという自負があります。心理クラスタと呼ばれ、自覚している人も多いです。

だからこそ過去問の解き方、テキストの使い方、勉強方法も懇切丁寧にツイートや自分のブログに書いてあります。

もちろんこれらの勉強法はGルートの人たちが読んでもかなりのお役立ちなのですが、新卒の人たちにとっては今年も去年同様臨床心理士試験と公認心理師試験との日程の間がないので両方合格を目指すには?

という内容も多く、どちらかというと新卒者や公認心理師でも心理寄り、統計もみっちりと書いてある解法のサイトを紹介しています。

心理の専門家が書いてあるだけあって、ツイートから流れているブログやサイトには心理専門家としての矜持やプライドが込められているような気がします。

これは決め細かい内容で、手取り足取り総じて親切な情報が多いことから誰が読んでもお役立ち、という感じです。

普段のツイートはさすがに自分が担当するケースのことは一切書きませんが(見ている限り)「今日は検査で疲れたー」とか「カウンセリング◯件で帰宅が◯時になって大変だったー」と書いてあることもあります。

総じて心理専門職は人の話を聞いてばかりいるからでしょうか。リアルでもマシンガントークをする人が多いです。

多忙だと思うのですが仕事の愚痴から家庭のこと、趣味に至るまであらゆる内容を書いてある場合もあります。

大学の先生や開業心理職の人たち、心理職という仕事に自負がある人たちは専門的な心理に関するツイート、オススメの心理学書を紹介しています。

それから、なんでしょう。普段のツイートにやはりお料理やほんわかとした内容のものもあるのですが、ちょっとした(しないかもしれない)「病み」を感じてしまうことがあります。実際に病んでいること、症状薬がどう変わったのかなどダイレクトに精神科や心療内科に受診していることを書いてある人もいます。

以前書いたことですが、心理職は確かに「病み」を抱えている人は多い、だからこそその病みを自覚してクライエント、患者さんに接することは間違っていないと思うのです。

そして何より匿名のSNS、職場も書いてあるわけでもなく、病みアカウントには鍵をかけてあったり心理職であることを明らかにしていないこともあるので何がなんでも悪いとは思いません。

そしてこういった病みについて書いてある人は自覚しているだけに快方に向かっている可能性のある人も多いということです。

4.結語

Twitterに生息している公認心理師の人々はそれこそ百人百様です。ざっくりとした僕の印象に当てはまらない人たちも多いと思います。いろんな意味で自分に劣等感を持つ人がいるかもしれません。

しかしながら公認心理師は色々な人たちの多様性を受け入れていくということが求められている資格だということを忘れないで欲しいのです。
photo by ᴷᵁᴿᴼ' @PhotoKuro_

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photo&lyric by sora (@Skylit_Blue)
おはようTwitter

きょうも
終わらない歌に心をあずけて ໒꒱⋆゚


◯ 医クラでは非医師も医師を名乗れるTwitter。こんな危険な事はない。

臨床心理士、公認心理師が信用失墜行為を行えばまずいのではないかという回答を偉い人から得ましたが、それじゃ、医クラの先生方はどうなのだろうとちょっと疑問に思ったので厚生労働省医事課試験免許室に問い合わせてみました。

結果的に言うと厚生労働省は何もしないよということでした。

実名や顔出しをしている先生、クリニックの名前を堂々と出している先生方がいる一方で「怪しい」「これはちゃんとした医学知識なのか?」と思うツイッタラーの人もいます。きちんとした医学知識を流布している先生方はやはりプロだなあと感心して見ています。そしてイラスト上手で料理の写真をupしたり子育ての話を書いたり見て微笑ましい医クラの先生もいます。

医師法第18条では「医師でなければ、医師又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない。」とあるのですが、医事課試験免許室によるとそれは読み手のリテラシーにかかわるもので、怪しい知識は信じない、あとSNSで非医師が医師を名乗ってもそれは医行為ではないので構わんとの事でした。そして「それ、全ての資格について言えることですよね?」と言われました。

というわけで従来からの医クラのハンネ医師の先生方、大丈夫というお墨付きが出ましたので安心してください。

そして僕も別垢作ってどっかで美人のフリー素材を拾って顔出し、医学知識とは全く関係ない料理や園芸のtweetでもしようかな(昔はやってたけど今は全くやらない)と思ってバズりを繰り返そうと思った次第です。ペンネームのまま本出したらどうなるのかな?とも思いました。

そして自称医師の非医師医クラの人たちも(ひとまず)安心してください。厚生労働省は何もする気はないそうです。まあ、僕のようなぁゃιぃ心理職でも見抜かれてしまうような誤った知識を流布するとかなり危ない、ということは伝えておきます。


もし非医師の人が中途半端な知識で人に危害を加えて死んでしまったり、傷つけてしまったら、殺人、傷害に問われるかもしれませんよ?


往々にして役所というところは「何もしない」と言っていても、社会問題化すると言を翻して重大な問題としてとらえることがあります。
警察が動くでしょう。

全ての資格職は業務独占であれ、名称独占であれ、そうでない民間資格でも詐称するのは良くない、どころか危ない、という話でした。

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photo&lyric by sora (@Skylit_Blue)
ひとが何かを感じるのは大なり小なり環境に変化があった時。美味しい(まずい)ものを食べた時、美しい(醜い)ものを観た時、夢から醒めた時、それに伴って喜怒哀楽の感情が生まれた時など。無感情に近い静かの海を漂うも佳し、激情の大空を舞うも佳し。そのどちらもあるからこそ人生は面白いんだろうね。


◯ 認知症患者をdisる医師を軽蔑します

1.序

Twitterで某クリニックの医師が長谷川式知能検査(HDS-R)で認知症患者さんの取り繕い反応(今日は何月何日?→カレンダー自分で見たら?100から7引いたら?→いやだ)を「大喜利」と呼んでいたことについて、僕がtweetしたりクレームを入れたら医師から謝られたということがありましたが、まだ大変不愉快な思いをしています。これについて自分自身の体験とオーバーラップしているところがあり自分語りを混ぜながら書いてみます。



母が昨年10月に悪性リンパ腫で悶え苦しみながら死去、その1カ月後に元気だった父が突然ラクナ性脳梗塞を起こし左後頭葉壊死による右側半側空間無視、頭頂葉前頭葉にも病変部があり流動性知能はめちゃくちゃな状態、HDS-Rは12点被保佐人です。

傾眠傾向がひどく、血栓を融解させるバイアスピリンを通常の倍量服薬していて転倒出血したらすぐ救急車を呼ばなければならない状態で僕も含めた親族で在宅介護を緊張しながらしています。

今度梗塞を起こしたら心筋梗塞なのか脳梗塞なのか、今度はどの脳の部分にダメージがあるのか、ALSのように意思表示ができなくなるのか、歩くこともままならないけれども入院を死ぬほど嫌がっている父の在宅介護を追求しています。

何千回も同じ話を楽しそうにしている父のことを昔からわかってくれている喫茶店のマスターはいつもニコニコしながら父が話を繰り返すのを聞いてくれているのです。

DMというベースライン疾患も持っている父の余命は限られているだろうことと、感染症に注意を払い僕も大きく行動制限をせざるを得ないという事情があったのでなおさら不快に思ったのでしょう。しかしどの家族も何かを必ず抱えているのは医師なら知っているのが当たり前と思っています。

2.医の倫理

ヒポクラテスの誓いにあるように患者に危害を加えない、そして固く口を閉ざすという倫理基準は多くの医学部で新入生が宣誓させられています。

ヒポクラテスの倫理を現代版にしたジュネーブ宣言でも人間への尊厳や守秘義務が書かれていて、この宣言をさせる医学部も多いです。

3.個人情報保護

そもそも刑法134条1項には医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処するが定められていて、心理職も当たり前ですが、守秘義務は自他の危害のおそれがあるごく限られた場合を除いて(患者が殺人予告をして実行したことを誰にも言わなかった医師が訴追されたタラソフ判決、労働契約法第5条安全配慮義務)個人情報には重い守秘義務が課せられています。

神経質なのかどうかはわかりませんが僕は急な呼出しがかかった時は父の介護中、交代で叔母に来てもらう時にも「どうして?」と言われて「言えない」と言っています。

患者情報は関係のない同僚ばかりでなく心理職同士で引き継ぎをする時でも僕は患者さん本人の同意が得られなければ交換しません。 

そう言えば若い青年のクライエントさんがやって来た時に「主治医の先生には言わないでください」と痛切に訴えたことに対し、じっと秘密を守り続けた津川律子先生の「面接技術としての心理アセスメント」中の症例紹介は実に堂々とした心理士としての揺るぎないどっしりとした態度が描かれており、感心して読んだのを覚えています。

「医療・介護関係事業者における個人情報の 適切な取扱いのためのガイダンス」 に関するQ&A(事例集)平成29年5月30日 個人情報保護委員会事務局 厚生労働省 には医療における個人情報保護についての詳細なガイドラインが示されています。

診療録(カルテ)開示についても触れられていますが、診療録はかなり重い個人情報です。家族に開示しない場合もありますし、弁護士にも開示しない場合もあります。

(話は逸れますが本人からの開示によっても病状が悪化するおそれがある場合は診療録開示を行わないことができます。異議申立ては都道府県に対してできるのですが、ほとんどの場合却下されています。精神科における情報取扱いの暗黒部分と言えます。)

という法律や通達、各種ガイドラインでぎちぎちに縛られている患者さんに関する情報を、この医師だけでなく
なぜ安易にSNSに書き込む医師がいるのでしょうか?

ちな、Twitterでは非常に立派でSNSを通じて医療情報発信や医療社会活動をしている医クラ医師の先生たちはとても多く、呼吸器内科医キュート先生、病理医ヤンデル先生ほか内外の先生方から多くの情報を得ていて感謝していることも書き加えておきます。

4.患者や家族の尊厳

母の担当医は若い研修医出立ての医師でした。意思表示がもうできなくなった母が亡くなる寸前、医師がどうしても聞かなければならない選択肢を家族に聞きます。心停止した場合、挿管(気道確保)をするか、心臓マッサージをするかについてです。

医師は慎重に言葉を選びながら、母はもうどんな治療をしても命は助からないこと、救命措置をした場合、生きられる時間は伸びるかもしれない、ただし挿管の苦しみと心マで肋骨が折れるかもしれない、その場合もし少しでも意識があったら最期の記憶は激痛だろうと説明してくれました(この心停止後のIC=インフォームドコンセントのやり方について議論はあります。)。

死の際という最も家族にとってはショッキングな事態に際し、落ち着いた口調で丁寧に説明してくれた若い医師に対し、僕は並の心理職よりも高いICにおける心理的介入のスキルに感心しました。

若い医師は家族に選択権があることを伝える義務がありながらも母に苦しみを与えたくなかったのでしょう。なるべく心停止後は救命措置を行いたくないニュアンスを込めながら、どうしますか?と医師が言ったとき父が「一瞬でも長く…」口を開きかけたのを僕と妹(仲悪し・看護師)が同時に「やめてください」と言い、父も肩を落として「わかった…」と。

前置きが長くなりました。若くて研修医終わり立てでも何科でも優秀な医師は心理学者としてもカウンセラーとしても優秀なのです。

僕が前掲tweetの医師の発言に悔しい感情を持ったのは、メスも薬も持てないけれども、心理職として一人の命を大切にするためにいつも心砕いている自分の仕事が大切にしている宝物のような患者さんや家族の尊厳を穢されたような気がしたからです。

クライエントさん、患者さんがどんなに破綻していても機能が低下していても、まず否定から入ったり、笑い者にしたり、それを大喜利とまで呼んでSNSに書くような心理の後輩がいたらまず怒鳴りつけるか淡々と心理職を辞めるように説くでしょう。そして見放すのではなく見捨てると思うのです。

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photo&lyric by sora (@Skylit_Blue)
おつかれTwitter

ともあれ
安堵のため息で
終えられる一日ならば ꕥ⋆゚


◯ 公認心理師+臨床心理士志望・心理学部学生碧衣さん

現在大学生で公認心理師と臨床心理士2つの資格を取得したいと考えている、Twitterのフォロワー碧衣さん(碧衣@Aoi_Psy_X)に心理職を目指す動機や大学生活についてなどなど聞いてみました。

僕:将来2つの心理職の資格を目指しているとのことですが、どんなところにその仕事の魅力を感じているのですか?

碧衣:まだ具体的にコレって言えませんが、雰囲気ですかね。私自身相談員やカウンセラーの方にお世話になって来ているので、憧れもありますね。

僕:自分が相談に乗ってもらった経験から心理職になりたいという方々は多いと思います。こういった相談員の方々にどんな印象を持っていますか?

碧衣:そうですね。「受け入れてくれる人」、「信じてくれる人」ですかね。私はあまり人とコミュニケーションを取ることが得意ではないのですが、そういった表面上のことだけじゃなくて、もっと深いところで支えてもらっている気がします。

僕:メンタルが健康な人が心理職をやるべきだという一方で、僕なんかはそうやって自分で自分の危機を乗り越えて来た人には独自の強さがあり、ぜひこれから心理職を目指して欲しいと思っています。碧衣さんは今大学2年生ということですが、学部ではどんな勉強をしていますか?

碧衣:心理職に興味を持つ時点で、どこかしら健康でない部分があるのかなと思います(笑)でもだからこそ、健康でない人の気持ちに寄り添えると考えています。独自の強さ…あるかもしれません。ありがとうございます。

学部では、臨床心理学はもちろん、生理心理学などの基礎心理学も勉強しています。公認心理師の資格を取るため、たくさんの科目を履修しています。3年生になってもほとんど毎日学校に通うかもしれません…。教養科目では、福祉や人権など、将来に繋がりそうなものを選択しています。

僕:健康でない、というか自分のメンタルにしか興味がなく、本当に心理職はダメだと気づいた人は僕の同級生でも全く違う仕事に就いて、それで幸せにやっています。

碧衣さんは若くて無限の未来があるのですから様々な可能性を見ながら、他者を心理的に支援したい、そして心理職を選ぶのであればぜひ仲間になって欲しいと思います。

公認心理師課程を履修している学生さんはかなりハードな勉強をしていると思います。今学部で勉強している科目には興味を持てますか?基礎心理学や統計などは難しいという声があるのを多く聞きます。授業はどうなのでしょうか?

碧衣:うーん、心の健康ですか…私も興味は自分に向きがちです。今は今できる精一杯のことをしているつもりなので、向いてるか向いてないかはそのうちわかってくると思います。

視野を広く持った上で心理職の道を選べればいいですね。仲間に、と言っていただいてありがとうございます。

学部の勉強は、履修する科目数が多いのが大変ですね。卒業単位に含まれない単位も取る必要があり、来年就活と両立できるか不安ではあります。新型コロナの影響で全体的に授業内容が薄くなっているのもあり、個々の授業はそれほど大変ではありません。その分院試や資格試験の時に大変になると予想しています。一部の授業には興味を持てますが、正直統計には興味がありません(笑)

僕:僕は碧衣さんの発言にとても共感を覚えます。一般就職も見据えながら院試の準備をしたりするということです。
心理職公務員というのも魅力があるというのは僕の個人的意見ですが、あまり進路志望を広げ過ぎると一兎を追うどころではなくなってしまいます。実力試しに受けるならいいと思います。

ESをたくさん書いてwebテストやSPIを受けるのはそれだけでも貴重な経験になります。心理職になった場合でもその経験は生きるでしょう。

心理職は実際、社会の片鱗もわからないままの人が多く、就活に苦しんだ経験があればそれは大変貴重なものだと思います。碧衣さんは統計に興味がないと言いつつも、数的処理は得意なのだろうとちょっとだけ知っています。その能力も今は興味がなくとも将来的にはとても生きると思います。

基礎心理学、社会心理学の他にも公認心理師科目など習う事が多くて今の学部生の方は本当に大変ですね。

碧衣:一般就職の準備は、やはり何が起こるかわからないのでね…。家の事情で学費が払えなくなるかも、とか考えると。リスクマネジメントです。

心理系公務員も考えたことあります。少し興味がありますが、おっしゃる通り目指す場所がわからなくなりそうだと思います。そういったことも考え、現在は学外で就活ゼミに入っています。

統計や数学は一般常識として必要なのではないかと思います。そこで差を付けられるなら経験すべきですね。数IIまでは授業に着いていけました。ありがとうございます。

心理学はやる科目が多いというのはそうかもしれませんね。そうなんです。要求されることが多いと感じます。

僕:公認心理師課程に進むのにGPAのような学内選抜はありましたか?

碧衣:今のところありません。もしかしたら3年次にあるかもしれませんが、何も言われていないので無いと思います。特別科目を履修するための単位があれば、公認心理師受験資格に必要な科目が履修できる、という条件はあります。

僕:僕は碧衣さんはかなり勉強していて頭も相当いいという印象を受けているので選抜があっても努力すれば通ると思っています。

ところでもし公認心理師、臨床心理士になるのならば、どういった領域でどんな仕事をしたいのか、もう考えていますか?

碧衣:勉強しているとか頭がいいとか。(笑)そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます。

心理職としてどんな領域で働きたいか、それはまだ考えていないです。そもそもどんな仕事があるのかまだ把握仕切っていないですね。「イルツラ」でデイケアの雰囲気は何となく知った気でいますが、デイケアに限らず、実際に実習等でその場に行ってから決めたいです。

※「イルツラ」
東原開人先生(トウハタ・カイト)京都大学卒業博士 、現十文字大学准教授)の著作「居るのは辛いよ」の略。京大博士課程卒業後、沖縄県の精神科デイケアに勤務、博士号を取得してバリバリとカウンセリングをやりたいと思っていたのが『居る』だけの仕事で茫然としたもののスタッフとの協力協働、患者さんとの心温まる交流を描いた作品。

僕:そうですね。学部生のころはいろんな現場を見て考えてみて、そして実習で経験をして、院生になってから決めてもいいと思います。

最後の質問になります。心理職のあり方のこれからについて求めるものは?先輩達で心理職として働いている人たちは多いですが、先輩たちに対して求めたいものがあるとすれば何ですか?矢継ぎ早ですみません。

碧衣:進路はいろいろと経験してみてから進路を考えたいと思います。心理職のあり方について、一番は心理職の社会的地位の向上。大学院を出ているわりには給料が低いと思うのでもっときちんとして欲しいです。先輩たちには資格取得後について教えて欲しいです。求人情報に経験者であることを条件に挙げているところもあるみたいなので、経験を積めるところが知りたいです。

最後に、コネで就職することが多いと聞いたので、私と仲良くしてください(笑)

※ 碧衣さんとはTwitterで絡むことも多く、とても共感を覚える、読んで面白いブログも書いています。
https://aoi-hsp.hatenablog.com/

今回いろんな話を聞かせてもらい、今の大学生が考えていること、そして置かれている状況とその気持ちをたくさん聞かせてもらいました。碧衣さんの将来はまだまだこれからですが、ぜひ明るい未来を得て欲しいと思っています。

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忙しいと日々の景色が不鮮明に映ってしまう。感情的になったり不本意な捉え方をしたり。月並みだけど、心のゆとりは時間のゆとりから。要するに、よりよく生きることとは時の川の流れに上手くのってゆくということ。「覆水盆に返らず」ならぬ「流水元に戻らず」だね。まぁ、そんな言葉はないんだけど。


◯ Twitterを潰そうという動き

先日、多くの有名人を巻き込んで行われたTwitter上でハッシュタグをつけた「#検察庁法改正案に抗議します」が実に480万人の抗議を生み出し、当初は「キニシナイ」という態度だった安倍政権はこの法案を撤回。内閣支持率は5月6日には40パーセントだったのが、5月23日には27パーセントまで下落しています。(毎日新聞等調査)

今回Twitterでこれだけの反対運動が起こったのをマスコミは「SNSデモ」と呼んでいるようですが、実際、これだけのTwitterでの反対がなければ法案が通過していたのではないかと思います。

なぜこのような現象が起こったのかというと、インターネットでは例えば4対6で反対意見があった場合どんどん反対意見に傾いてしまうという社会心理学上では「集団斉一化」という現象が起きると言われています。

これは某老舗のSNSではいわゆる「ネトウヨ」が幅を効かせていて、それが外国人差別につながったり、単思想に対する同調意見に傾いたりすることに似ているのではないか?(という趣旨)との論旨の記事も読みました。

マスコミでは政権に批判的な今回のTwitterにおける「SNSデモ」へのネガティブな印象操作をする記事が書かれています。

今回批判を集中的に受けたのは、新型コロナ対策に行政も企業も学校も個人もおおわらわで多忙、そういった時にこっそりと自らに有利な法案を紛れて通過させようとしたことがTwitter民の怒りを呼んだのだろうと多くの人は見ています。

確かに集団斉一化現象はあったのかもしれません(調査のしようがないので誰も証明できない)が、それだけでは説明しきれない結果となっています。

何かの同一の目的に向かって特に意味がないパフォーマンスを呼びかけて例えば渋谷駅のハチ公の前で突然SNSで呼びかけて群集が踊り出すといった「フラッシュモブ」とは全く違った様相を呈しています。

というのもこれが特に意味がないフラッシュモブならば一瞬で終わり、群集はただの通行人として終焉してみなさん一般人に戻ります。

ところが今回人々の心はちっとも解散していないどころか内閣支持率が低下しているのは、Twitterだけが単一の原因とは思えないからです。

Twitterで書き込まれた件数が480万人として、その数だけ、またTwitterを利用していて見ているだけの人の数だけでは説明がつかない下落ぶりです。もちろんインフルエンサーや芸能人の書き込みも多くの影響があったとも思われますが、Twitterを始めとしたSNSは人々のオピニオンや声なき声を代表としたもので、SNSはただの「道具」だと思います。

今回の政権批判に対してマスコミはさらにSNS批判を試みています。とあるマスコミ御用ライターのコラムでは、SNSにのめり込む人は実生活が充実していない、空虚感を持っているのを一つの目的で埋めようとしている寂しい人たちだ、という論調を読みましたが、これは逆に火消しに必死になっているだけではないのかなあという印象を受けています。

マスコミは「第4の権力」として様々な印象操作を試みます。今回の新型コロナについてもなるべくショッキングな発言をする「自称識者」を駆り出して特に根拠がない不安を煽り立てるような報道をしています。

今、ちょっと昔の精神医学の教科書を読みながらこれを書いているのですが、「インターネットいじめ」「インターネット・メディア中傷の病理性」(故木村花さんの例もあり、ウソとは言えません)、既存の精神疾患を悪化させる、インターネット依存になる、精神科医療の邪魔になる、などどかなり否定的なことが書かれています。

政権側にとってはTwitterは邪魔な、うるさいものでしかありません。

木村さんの自死について政府はとても迅速な対応をしていてSNS投稿者の身元を明らかにするなど規制法を迅速に作ろうという素早い動きをしています。

実際には総務省はこういったSNS規制について2018年から行おうとしていて「プラットフォームサービスに関する研究会」会議を何回も開催していて、報道発表も何度も行っています。

ですので木村さんは確かに気の毒でしたが政権や行政はこれを奇貨として俊敏にインターネット規制をしていくという立場に見受けられます。

まあ実際のところ、フィッシング(詐欺)サイトのように、あなたのIPアドレスは読み込まれました」と出てきてもIPアドレスはiPhoneならば電源を切ればすぐ別のIPアドレスになるわけですし、自宅のIPアドレスもそんなに苦労せずモデムの電源の抜き差しでサクッと変更はできます。

さらに言うならもし実名登録制でなければTwitterを使用できないという規制を政府が実行しようと試みようとするなら、今回を遥かに凌駕する反対デモが起こり、政権やらほかのものやら色々なものが倒れてしまいそうです。

確かに自由には責任が伴います。ただし、マスコミは特権階級としてどことでも癒着して、こういった一般人の「うるさい声」を制圧するようなことをしていると憲法上保障されている言論の自由にもかかわると思っています。

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