ひなたあきらのおけまる公認心理師たん

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

タグ:精神分析

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◯ 前世療法、精神分析、トラウマと偽の記憶財団と司法面接

ずらりと用語を並べただけのようですが、人の記憶はその繋がりをどこかに紡ぎ出します。

それが真実なのか、錯覚なのか、妄想なのかよくわからない、明らかにしなけらばならない領域とそうでない領域の間でカウンセリングをしているカウンセラー、クライエントさんも多いと思います。

例えば箱庭療法は置かれた玩具をセラピストとクライエント2人で片付け、イマジネーションの世界から現実に戻ろうとします。

昔の文献を読み漁っていて、箱庭で炎を使って燃やした、箱庭に水をぶちまけたという、クライエントさんの激しいアクティングアウト、行動化を読んだのを思い出します。

箱庭に限らず退行を促すカウンセリング手法や、あるいは認知行動療法でも古典的条件付けにしたがって、セッションの最初にフラッディングと呼ばれる嫌悪刺激を怒涛のごとくぶつけるという技法はクライエントさんに徐反応と呼ばれる「反応」を引き起こします。

(認知行動療法では徐反応という用語は認めていません。)

僕も何回か見たことがありますがカウンセリングのセッションにおける徐反応は、激しい怒りの感情や動揺がこれでもかというぐらい表出されます。

これがすぐに看護師さんを呼べばリスパダールやセルシン注射で鎮静化させられて終わりかもしれませんがトラウマは残ったままになります。

現代催眠原論(金剛出版)でも書かれているように徐反応が起きたら徹底して(自傷の危険がない限り)徐反応を起こしてもらうのがトラウマティックな体験の解決に繋がります。

徐反応の間は解離して記憶がなくなっているので「あれ?何だっけ?でもすっきりしたなあ」

というのはセラピストとクライエントさんの共同作業による感情処理の上手な方法でしょう。

ヒーラーや民間のヒプノセラピーで前世療法を使う治療者がいます。

これはエビデンスも何もあったものではないのですが、「使えるものは何でも使う」精神科医、セラピストにとっては前世療法家が「あなたが前世で見たトラウマに苦しめられている」

「今あなたの頭の中に蘇った記憶はあなたの父親が16歳ぐらいの時にいじめられた体験かしらね。それであなたが今苦しんでいるのよ」

という前世療法家の言葉を再評価したセラピストが「じゃあ現世はどうなの?」

という問いかけに対して前世と現世、そして未来との繋がりから得られる洞察は、クライエントさんの無意識の奥に沈潜化した何かに訴えかけるものがあるでしょう。

催眠は運動支配催眠(ピタッと両手のひらがくっついて離れない)に比べれば記憶支配催眠(前世療法、あとから催眠時に言われたことを覚醒してから実行する後催眠暗示)は比較的難しいと言われています。

催眠の真偽の「闘い」の歴史は長く、1930年代、色街がなく姪などの近親者へ性の対象が向かった心的外傷を「そんなわけないだろう」とヒステリーと精神分析は否定しまくっていていました。

構造主義哲学者、精神分析学者のLacan,Jも外傷体験そのものを自らの理論に取り入れませんでした。

トラウマ研究者第一人者ジュディス・ハーマンHerman,J.L.はトラウマや性的虐待研究の第一人者ですが、裁判の場では敗訴することが多く、アメリカではカウンセリングで偽の記憶を作り出す偽の記憶財団False Memory Syndrome Foundationとの拮抗はいまだ決着はついていません。

結局心理の世界でこういった被害者の受けた虐待の真偽について確認するのは司法面接です。

司法面接は決して誘導せず、ただ一回だけの面接で虐待の有無を判定する、検察官、警察、児相、家裁調査官が真剣勝負で挑みます。

司法面接の現場では「知らない」「もうイヤ」「帰りたい」を連発する子どものトラウマ離脱のテクニックが面接者を困惑させます。

現代精神分析はトラウマ治療と相反するものではなく、精神分析家北川清一郎先生の事務所ではトラウマに特化したEMDR治療者が北川先生を含めて複数います。

司法面接でその存在が確定した虐待には「ケア」の視点を持つことが大切ですが、児童心理司は心理治療的面接を行う時間がなさすぎるとアンケートで回答しています。

トラウマ=治療対象という概念が広まって来たのはそれほど昔のことではありません。

伊藤詩織さんが刑事事件で門前払いされた事案ついて考えると、日本の司法はまだまだ先行きが暗澹としたままです。

前回の続きでPTSDについての書いたのですけれども、今回はPTSD CPTSD概念の本来の源流及び精神分析、そしてそれから自由連想法的に公認心理師制度の雑感について触れます。

1.精神分析

精神分析学創始者のジグムント・フロイトはブロイアーのヒステリー研究を礎として共同研究を行い、精神分析学を構築しました。

ブロイアー医師の患者だったアンナ・Oことベルタパッペンハイム当時21歳は、ブロイアーと結婚した、子どもを生んだとまことしやかに流布されているが、後世の研究者はそれを否定しています。

19世紀ウィーンは厳格な道徳的戒律によって統制されていた都市で、遊郭は認められていませんでした。

だからこそ親子、伯父や叔父姪での近親相姦が頻繁に、男の欲求によって行われていたと言われていますが、そうだとしたら犠牲者となった若い女性たちはPTSD CPTSD 症状を起こしていたのは間違いないでしょう。

当時のウィーンの若い女性がヒステリーと呼ばれる突然の解離発作を起こして次々に倒れたのは了解できます。

PTSD CPTSD が原因と思われる解離症状は昔から存在していました。

日本文化では狐憑きと呼ばれる宗教性憑依妄想症候群、文化依存症候群の中で片付けられてしまったのではないでしょうか。

中南米エクソシスト、中国の悪魔祓いも同様でしょう。

文化の名の下にPTSD CPTSD 、及び統合失調症的な短期精神病に対する熾烈な差別的虐待が起こりはしまいかという危惧をDSM-Ⅲケースブックを読みながらしていました。

文明文化の進展はスピリチュアルの放逐という科学万能神話の流布を引き起こしました。

そしてこれらの疾患の存在を患者の責に帰することによって性的加害者の隠匿につながっていった可能性すらあるということを指摘するにとどめておきます。

さて、フロイトは著作の中で40代にして既に自分は年齢的に性的な行為に関心を持たなくなったと記述していました。

また、男根期を迎えてペニスに対する羨望を持つようになった女性がやがてその影響でフェラチオを行うことになっただろうと推測し、それについて、まことにけしからんと評していました。

フロイトこそが小児性欲、女性の性欲のみでなく、人類の性欲全てを抑圧していたのではないかと訝しみます。

精神分析が人間の精神そのものに切り込んで仮説を立てて行ったその功績は大きなものです。

しかしその裏で男性視線からのみの精神構造理論が構築されたとも思えます。

こういった傾向は後世になって女性精神分析家、ヘレーネ・ドイッチェらが修正を試みていたし、さらに後世、ウィニコットの児童に対する精神分析は現在でも遊戯療法の礎となっています。

フロイトは禁欲原則という、現在で言えば公認心理師倫理における多重関係の禁止という、クライエントとの性的な個人的な関係を禁止していました。

精神療法の創始とともにそうした弊害に気づいていたのは慧眼です。

しかしフロイト自身は娘アンナ・フロイトの教育分析を行っていました。

また、気ままに精神分析家とクライエントの結婚を勧めていたのは創始者ならではの自らを神格化してしまった特権なのでしょうか。

繰り返しますが、精神分析そのものが悪いわけではなく、黎明期の混乱はあり、その後幾度となく修正が加えられた結果としての現在があるのでしょう。

2.公認心理師の倫理

日本で臨床心理士制度成立以前の心理カウンセラー倫理は緩やかだったが、クライエントのためには必要な個人的つながりがありました。

クライエントから夜中に自宅に電話がかかって来てそれに対応した心理カウンセラーは多々いたでしょう。

公認心理師は今後多重関係禁止と、危機介入としての自殺予防とどちらを優先すべきか迷う場面が出てくるでしょう。

心理カウンセラーがクライエントの秘密保持義務に固執したことで殺人事件が発生したタラソフ判決は有名ですが、安全配慮義務と倫理、守秘義務の拮抗は心理を扱う職種の宿命と言えるでしょう。

境界性人格障害に特化して始まった弁証法的行動療法DBTは今や他疾患への適用も次々と行われています。

DBT創始者リネハン自身、リストカット痕だらけ、70代現在も度々自殺衝動にとらわれているといいます。

だからこそクライエントの自殺防止に対処するために夜中でも電話を受け付けている心理療法のでしょう。

ある精神医学者が話していたのが、希死念慮が強いクライエントを持った治療者はクライエントに電話番号を教えるべきか教えないべきかという命題だった。

患者は死にましたという報告の電話を夜中に受けるのがいいか、これから死にますという電話を受けるのがいいか?

教科書的には連携によって他職種とも情報共有を行って自殺を食い止めるというのが模範的回答でしょう。

bio social psyco、生物学的、社会的、心理的複合的視点は確かに大切だが、今後それらの連携でどのように自殺防止を実施していくかは大きな課題でしょう。

公認心理師法を厳密に守ろうとして法にない事項まで遵守を強要するような相互監視態勢はまずいと思います。

多くの心理カウンセラーはさまざまな技法を用い、医師のいない1人職場でカウンセリングを行っています。

全ての技法、心理検査について医師の指示を仰がなければならないという行き過ぎた強迫観念は公認心理師の職責として期待されていないと思いたいものです。


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