ひなたあきらのおけまる公認心理師たん

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

タグ:境界性パーソナリティ障害

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きょうも
何かを手放し何かを掴んで ໒꒱⋆゚

◯ 臨床心理士試験直前・境界性パーソナリティと対象関係論

最近院生や受験生たちから臨床心理士試験対策や課題提出に標題の件について聞かれることが多くなり、本稿を書くことにしました。

クライニアンにとっては松木邦裕先生「対象関係論を学ぶ−クライン派精神分析入門」岩崎学術出版社初版1996年は決して古くなることのない対象関係論が学べる一冊だと思います。Freud.Sフロイトから始まり、Klein.Mクライン、Winnicott.D.Wウィニコット、Bion.W.Rビオンが散りばめられています。この1冊で精神分析が俯瞰できるのです。

行きつ戻りつ僕も自由連想法的に書いていきますが、ビオンの野心はcontainerコンテイナーという概念で統合失調症患者の精神分析療法を試みたことだと思います。人間の内的世界は夢の世界、そして現実という外界が混乱している無意識世界を扱うということがビオンの試みと思うのです。

ビオンは間違いなく無意識世界的は出産前から存在していたと考えていました。ビオンはクラインの分析を受けた第2世代で、対象関係論の系譜を辿れば難解とも言われているがビオン抜きでは語れないのだと思います。自我心理学者は出産前には記憶は存在しないと考えていて、Rosenfeld.H.Aロザンフェルドも大きく寄与しました。

視覚がまだぼんやりとしている段階でも乳児は母親の乳房、乳首にすがりついて自らの栄養を得ることを知っています。それは対象関係論においては断片であるものの、断片が結びついて乳児の内的世界は成立していくのです。

あらゆる芸術作品、絵画は具象的なものを指しているのではなく、カンディンスキーに始まった抽象画はダリやミロなどの画家に引き継がれています。混乱した象徴世界は未だばらばらの対象を示しているのです。ちなみにこれらの言説は対象関係論理解ではラカンも言っていたかも知れません。

自己と世界の対立は部分対象群と全体的対象に分かれれます。出生時に自己は母親の胎内で癒着しているというのがウィニコットや基底欠損領域で有名なBalnt.Mバリントの思考ではないでしょうか。ここ境界例概念の萌芽を見ることができると思います。

多分精神的には母と幼児のこうした癒着はほかの発達心理学者から見ると3歳になるまで自立が達成されないと考えています。愛着障害はここでの愛情剥奪で起きてそして境界例になっていくというのが僕の解釈です。後年のコフートは自己心理学を確立したが自己愛は対象関係論にとっては自他未分離の状態ということ。

やはり後年になりますが、Lacan.Jラカンはクライニアンではないかと思っているのです。鏡像段階理論は自己と他者の峻別です。ウィニコットは自我と母親が一体化した状態を経て分離されていくと考えていました。従来精神分析は神経症患者にしか適用されないとしてきたものが重い境界例=精神病患者の自他未分離な状態にも対象関係論は有効です。

ウィニコットは自己と他者の分離は母親という対象を意識しながらなお精神的自立を考えていたのではないのでしょうか?世界没落妄想は精神分析ではないのですが多くの統合失調症患者に見られます。性的快楽、オルガスムは恐怖の対象でありそして希求される原初的欲求。いつも相反する概念がつきまとっています。

ここに来てフロイトに戻るとエロスと死の本能タナトス概念を作りました。奇しくもフロイトは統合失調症の治療理論の基礎を築いたとも言えます。小児性欲理論は乳児の内界で乳房をよい対象、悪い対象として未分離なものとして、解体された存在です。

だからこそまた進んで考えますけれどもビオンのコンテイナー概念は赤子を守ると同様に統合失調症患者を外界から守る術ともなります。ビオンは内的な乳児の不安は排泄できるものとしてとらえていました。乳児は不安の排泄に母親の乳房を利用するのですり空腹感は満たされ母親は乳児を癒せる物思いにふけります。

ここでまた考えると、対象関係論的には排泄物は乳児から母親への贈り物です。贈り物とは一体なんでしょうか。精神科の門をくぐることに必死に抵抗した患者は1年後に医師により多くの薬を求めるようになります。治療という快楽に必要な薬というプレゼントです。

対象関係論におけるファンタジーは悪い物として意識されると自他未分離で統合失調症患者の世界没落、身体異常感覚、セネストパチーにも似ています。不安と一体化した自己からそれを切り離すスプリッティング概念はここから始まるのでしょう。乳児は絶えず迫害不安に脅かされています。

クラインが妄想−分裂態勢として提唱したのは、迫害の妄想性不安、部分自己対象群、分裂機制としての投影同一視、自己と対象の再融合、身体感覚です。これらはクラインが築いた発達理論とも言えます。精神分析における転移は分析家と自己の同一視です。そして迫害不安から抑うつ状態に移行します。

対象関係論:クライン 良い乳房と悪い乳房が実は同じものであることがわかった時に乳児はこれまで乳首を噛んで傷つけて来た対象が同一だったということを知ります。乳児は乳房を自分が傷つけてしまった対象だと自覚する。そうすると乳房は乳児の罪悪感とともに傷つきと死んだ対象として自覚されるのです。

良い乳房と悪い乳房が同一であったことを知ると乳児は果てしない罪悪感をいだき抑うつ、絶望感、孤独を抱きます。それは良い対象はの罪悪感です。抑うつ不安。そして抑うつ態勢です。妄想-分裂性からの変化は2歳ぐらいまで続きます。

乳児は出生後半年までには妄想-分裂態勢を獲得していきます。そして2歳の抑うつ態勢。クラインの発達段階理論はフロイトが2歳から5歳に至るまでの口唇期モデルよりもずっと早く成立しているのです。クラインの抑うつ態勢は乳房を全体対象として自覚します。自己の中の自己破壊衝動と戦うことになるのです。

乳児はこの罪悪感の中を生きていかなければならないのです。母を思いやること。愛情の萌芽。感謝。成長過程で母の死去、母が去っていくことは果てしない罪悪感を子どもに抱かせる。傷つけた対象の復活を信じられなくなります。悔いは押し付けられた罪悪感、迫害的罪悪感となります。

クラインの概念の独特さは躁的償いや躁的防衛概念です。このマニックさは現代精神医学では認められていません。クラインの「躁的」は抑うつからの脱却のためにはマニーにならないと自己を守れないことを示しているのです。

ここで投影同一化について触れておきます。乳房が悪い。嫌いという概念から、自己と対象の分離が起こるります。対象の象徴が可能になるのです。この段階での失敗はきっと境界例となっていくでしょう。投影同一化が成功すれば対象は分離されて愛着を抱けます。

アンビバレンツな対象に対する気持を抱くこと。迫害的罪悪感は乳児に押し付けられで強要されるのです。成人になってもこの罪悪感が持ち越されると躁的になるというのがクラインの仮説、罪悪感への耐えられなさ。対象化は自己や愛情対象のパートナーにまで及びます。

クラインは発達段階について語ります。paranoid shizold妄想分列態勢Psから抑うつdepresslveD態勢への移行。Psは被害。迫害的。恋愛の中でもPsやDへの移行は常に起こり得ます。そして分析の中でも起こるこのpsとDとの繰り返しの末に怖い父(後年のラカンの「父-の-名」に相似)悪い母親は分析者に投影されるのです。

そしてパートナーや学校、職場の人間関係に持ち越されるとそれは分析者にとっても転移tranceferenceになり、後年ビオンが研究した逆転移counter tranceferetese となります。いずれにせよ境界例治療の中で起こりうるのは転移や逆転移の中に恋愛要素が持ち込まれやすいこと。未分化な自己が持ち込まれるのてです。

分析者は鏡であって万能な神ではないり迫害的、抑うつは必ず起こり得ます。迫害的不安と抑うつ不安は必ず行き来して苦しめます。統合失調症、paranoid、パーソナリティ障害にもつながるのです。

防衛機制そのものは幅広く使われている概念で、先に挙げた投影同一視のような不健全な機制度を福む心的機制と言えます。防衛規制がなければ人間の心の脆弱性は見る影もなく生きていくことすら難しいのかもしれません。不安を体外に排泄する乳児はまた不安を戻し、母親の包み込む機能も取り入れ可能です。

排出とは乳児にとっては切り離すという作業です。それがなければ恐怖に脅かされて生きていくことは難しいでしょう。排出として外に出すことは自己の危険を外に出すことです。その危険や不安は乳児が自らの中に見ている嫌なものの投影に過ぎません。投影同一化はさらに相手に対する高いを抱きます。

対象関係論におけるsplitting、投影同一視、取り入れ同一化は実は母親が本能的に子育てをする中でわかっていると対象関係論を見る上で松木邦裕先生は解釈しています。乳児の不快さは切り離され、排出されるのです。そして母親がそれを受け入れてコンテイニングする。投影と排出は相対している概念です。

取り入れが乳児に起きるということは乳児にとっては母親のよい対象を自分の中に取り入れintrojectionをしていくということで、そして取り入れ同一化と内在化が起きる。取り入れはかなり強力な力をもって乳児の心理の中に刷り込まれることになるでしょう。

乳児の内界は取り入れと投影projectionです。松木先生は投影と投影同一視を乳児の中で起きる必然的な心性として描いているが多分教科書的概念としては投影は当然起こりうるもの、そして投影同一視は不健全なものとしてとらえられているのだろう。投影同一視はより精神病的な概念です。

投影同一視は例えば佐藤が「高橋は俺のことを嫌っているに違いない、だから俺は高橋が嫌いだ」当の高橋さんは「佐藤って誰だ?」と言います。この投影同一視が投影同様乳児の中で起きているとすれば、後年ビオンが解釈さたようなコンテイニング機能は乳児にも統合失調症世界の中で不断に起きています。

健康的な投影同一視が普通の人にも起こりうるというのが松木先生の解釈です。スポーツ選手に入れ込んで投影同一視をします。そしてまた松木先生が分析者に対する被分析者の投影について指摘しています。投影によって被分析者は「偉い先生はこう言っていた」俺はこの心性はより境界例的な機制だと思うのです。

松木先生の挙げる例は摂食障害です。摂食障害は確かに取り入れと排出型の食べ吐きが行われていれば全くもって分析的には病識のない病でしょう。分析的には理解が可能だけれども分析者は無力さを感じざるを得ない。双方向からの投影が起きているのだと思います。

投影が病的なものとして理解されるように取り入れもまた病的なものとして理解されます。対象ととしてイチローを思い浮かべてみます。例えば万能人です。取り入れが不可能になってしまうということはモデルも自己にとっての良い対象の取り入れができません。as if personality、「かのような人」松木先生は言います。

僕はこの「かのような人」は境界例においてよく起こり得ると思うのです。境界例の人にとって自我同一性を獲得するのは困難です。誰かを称賛してまた別の誰かになります。その間にはその「誰か」に対する激しいこきおろしが存在します。重症境界例と精神病の違いは激しい論争を引き起こしました。

投影が健全なものとして起こり得るのであれば、感動する映画を見て泣くのはカタルシスの排出します。あまりにも衝撃的なことが起きて排出ができないのです。不健全な感情は取り入れたままになってしまい、投影は迫害的な存在の写し鏡となります。

松木先生は投影と投影同一視をほぼほぼ同じ概念として扱われているのだと思うのです。松木先生もそれに反する潮流があることは指摘しています。カーンバーグやグロットスタインです。投影はより健康なものだと思います。松木先生はいずれにせよコンテインは対象の中に同一視が起こると言います。

精神病水準で起こる病的投影同一視、妄想-分裂態勢の同一視は迫害されている体験として起こり得るでしょう。松木先生の例証「人を殺そうと思ったことはない」攻撃性の排出、取り入れはより健全に排出されるのです。精神病水準でこの排出が行われるということは元々この人が激しい攻撃性を内包していたと思います。

「サトラレ」は対象が起こす迫害や攻撃性を取り入れられないために起こる心性だと松木先生は空想-現実の妄想-分裂態勢と理解することができます。発達段階としての抑うつ状態は転移として解釈されるというのです。多分重症境界例なのでしょう。恋愛性転移は激しく起こります。

恋愛性転移が排出されないという被分析者側の恐怖です。理想化対象としての分析者です。精神分析の間だけ起こり得るものではないことを境界例を扱った臨床家はみな知っています。しかしその理解には分析的視点が役立つことを多くの治療者は知らないのです。

分裂してしまうという感情は境界例にとっては果てしない恐怖です。松木先生は理想化-絶望感がその中で起こると言います。分析においてのこの解決は徹底操作によって解決可能なのでしょうか?僕は境界例の治療の困難さは分析によって可能だと思います。

松木先生の論によると、だけではなく僕も思うのは重症境界例と統合失調症には対象関係論敵に見ると大きな共通点があるということです。良い対象の取り入れに失敗、悪い対象を排出することができません。迫害感情を持ちます。このあたりはラカンも指摘していること。クラインの系譜は確実に受け継がれたのです。

新宮一成先生はクライニアンではないが夢の構造を分析しています。乳児も境界例も夢の中の混沌とした世界はラカンによる無意識の世界と共通しています。夢=言語は精神分析の発展とともにまさに「取り入れられた」概念です。

明るいだけの被分析者が分析者を頑なに拒否している、臨床家はそんな体験がないでしょうか。松木先生の症例です。母親と分析者の投影同一視、彼女は暗くいることは許されません。だからこそ解釈はあらゆるものが拒否されます。妄想分裂から抑うつ状態への移行、分析者への投影です。

乳児は不要なものを排出することができなければ暗い面の取り入れだけしかすることができません。僕は乳児≒重症境界例≒統合失調症をイメージしてきるが混乱した世界は共通していると思います。混乱は恐怖を呼ぶのです。赤ん坊は排泄物を母親への最高の贈り物です。排出をすることで乳児は健康でいられます。

マスターソンMasterson.J.Fの「自己愛と境界例」中に対象関係論の歴史が書いてあり、母子は融合、共生的自己対象表象。ここには個体分離はないのです。共生的段階は3カ月から18カ月、分離個体化は18カ月から18カ月、対象恒常性は36カ月移行で中途段階を獲得します。Piaget.Jピアジェのシェマは精神分析理論に影響を確実に受けているでしょう。

自己の出現は新しい機能を得る歓びです。個体化への母親の促しとも言えます。子どもが分離個体化をするにつれ自己表象の中の「自己」の知覚の中に統合されていきます。再接近期には適度の欲求不満、失望の体験、それによって自己評価は定まっていくのです。

境界例の自己発達はどこで阻害されるのでしょうか?分離個体化を認めません。全ては共生的だとマスターソンは言います。後年のKohut.Hコフートに影響を与えたろう。分離個体化や依存を捨てたならば境界例は存在しない。俺は泣き叫び依存的で残酷な境界例こそが境界例だと信じている。殺すか殺されるかの究極の愛情です。

撤去型対象関係部分単位WORUにより、母親は乳児から愛情を撤去してしまいます。乳児は愛情を与えられないのてわ報酬型対象関係部分転移RORUに転じてしまう。RORUは病的な自己対象関係。まるでポストトラウマティックプレイのように母の愛を失って何度も繰り返す。そして愛が与えられないのが自己と認識します。
個体化することによって乳児は融合のから外に放たれる危機に晒されるます。偽の自己です。偽りの自己であって、分析や分離個体化に成功したわけでもありません。抑うつ段階は怒りに近いということはDSM-5における子どもの状態の解釈からも可能です。怒りや抑うつ段階の徹底操作です。

分析の中ではこうした転移感情が出てきます。境界例は転移を徹底操作することによって分離個体化が可能になります。自己が機能するようになるとマスターソンは述べていますが、それは抑圧された自己の現出なのでしょうか?境界例を扱っていて失敗するのは元々自己のない症例と思います。

自己は強化されていくものでしょうか?それとも分析者によって植え付けられていくものでしょうか?

ウィニコットについてのマスターソンの解釈です。偽自己の患者は社会的に適応することが可能です。偽の自己と一見適応しているかのような知性化に成功します。しかし偽自己は成功すればするほど自分の偽りに気づくことになります。そうすると分析はその知性化のためにうまくいかないでしょう。

これがウィニコットの症例をマスターソンが分析したひとつの例です。偽自己を果てしなく分析しても成功することはありません。ウィニコットはフロイトに回帰します。本能によって突き動かされるものが真の自己です。外界との接触、恐らく自我は偽の自己に当たるとウィニコットは言います。

マスターソンのウィニコット批判は、真の自己を含んでいます。本能とともに自我の個体分離化の中で内在化される部分にも真の自己は含まれているのです。そこには本能も含まれているのですけれども。

真の自己と偽自己はウィニコットの対象関係論の中核をなしているように思えます。真の自己は自発的で成功した概念です。ウィニコットは真の自我に関してかなり高いレベルを求めている。分離個体化です。創造的、自発性に富み現実感覚を持ち合わせています。

真の自己はそこまでの高みを必要としていないとマスターソンは解釈しています。真の自己を隠す防衛的な機能が偽自己だとマスターソンはウィニコットに論駁していて、真の自己は偽自己によって守られています。むしろ真の自己は全く機能しないどころか存在すらしていません。報酬型部分単位RORUとの同盟でしょう。

ウィニコットが言うほどよい母親good enough motherは幼児の万能感に呼応しているのです。幼児の万能感を手助けしています。マスターソンの理解は一般のそれとは異なっているでしょう。万能感があれば幼児の自我は強くなります。分離個体化のためには十分な愛情があれば「真の自己」は活動を始めるのです。

ほどよい母親は賞賛を惜しみなく与えるというのがマスターソンによるウィニコットの理解です。ほどよくない母親not Google enough motherは幼児にcomplimentを十分に与えません。偽自己を与えることしかできないのです。これは臨床場面でごく普通にいるクライエントさんではないでしょうか。

心理職はこのマスターソンの理解のようにとかく幼児を甘やかす母親の存在の欠落を感じていることは多いと思います。幼児に限りない賞賛を与え続けていたら幼児の自立は促進されるのです。見捨てたままでは成長ができません。クライエントさんは限りない欠乏感を持っているのが境界例です。

※ 対象関係論の世界は海を泳ぐように広いです。まだまだ書き切っているとは思えません。

冒頭に記した松木邦裕先生の「対象関係論を学ぶ」岩崎学術出版社のほか、マスターソンの「自己愛と境界例」星和書店を参考にして書いてみました。

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わかってる
どんなに時を捧げても
欲望の空は満ちないことを


◯ トラウマがないPTSD・境界性パーソナリティ障害

1.序

僕はPTSD精神療法家をいちおう自負したいと思っていて、まあそれっぽいところで働いているのですが、実はPTSDでない人が他院ではPTSD扱いされたというクレームを聞くことがあります。

僕の勤務先は別にPTSD専門というわけでもないので、聞いてみるとPTSD用の心理療法を受けたけど向こうの心理がとてもいい人、あまりに一生懸命なので言い出せなかったけどなんとなく合わなくてドロップアウトしてしまった、とか、トラウマに関するDVDと本を渡されて宿題にされてやっぱりヤだったというものです。

PTSDを診られる機関はとても少ないので、巡り巡ってやっとPTSDという診断を受けることもあるのですがその逆もあります。

弊害で言えばPTSDの人が違う疾患だったと診断されることはかなり多くてトラウマを認めてもらえなかったという方がはるかに多いです。ただ、心理職の立場として、希死念慮が高く自傷行為を繰り返し、常に空虚感と自我同一性の揺らぎを持っている人をトラウマ所持者と思ってしまうのですが、幼少期から親から大事にされて愛されて育ってきて、現在も同じと聞くと、不思議に思うことがあるわけです。その理由について考えてみます。

2.トラウマのないトラウマティックな心情・行動の理由

これはいろいろ考えてみて、もし理由がわかれば、stap細胞はあります!に10分の1ほど追いつけると思っているわけですが、以下列挙してみます。

⑴ 境界性人格構造(BPO)を引き起こすような出来事の存在

境界性人格障害とまで行かなくても行動範囲が逸脱していて自傷的、希死念慮が高いBPOの人がトラウマティックな行動をする事はあります。ただしよく聞いてみると別に親から虐待されていたような対象関係論的な問題や基底欠損領域があるわけでもないです。

要するに「親からの、幼少期の虐待体験」はないのです。

ただしその後を聞いてみると幼少期のてひどいいじめや自己の容姿に関する恐怖が存在している(実際とは関係ない)ことも多いです。

幼少期のトラウマでなくとも成人してからでももちろんトラウマティックな出来事を体験することはあるわけですが、またトラウマティックでなくとも自己イメージをひどく傷つけられたらそれは大きな心理的障害になるでしょう。

⑵ 愛情飢餓

幼少期に愛情喪失体験をしていなくとも思春期や成人期になってからこの果てしない愛情飢餓感覚に襲われることがあります。依存性パーソナリティ障害はありますが、なぜ、どうして、そしてどうやったら治るのかは誰にもわかりません。

心理テストはあくまで現在の状態を示すもので、原因を解明するものではありません。

⑶ 精神病的世界観

これはあまり書きたくなかったのですが、というのは「それ、精神病じゃん?」というスティグマ(烙印)を押したくなかったので、統合失調症で自己の存在感への認知が歪んでいる、双極性障害で自己の行動統制ができなくてそれで自分が苦しむので、空虚感をなおさら感じるというものです。

3.結語

今のところ僕にも「わからない」ところが多すぎてこうやって苦しむ人たちの心理的・理論的な説明ができればいいのですが。薬理学の専門家医師ならば適切な精神薬のチョイスはできるでしょう。ただ、僕ら心理職は原因がわからずに目の前でしくしく泣いているクライエントさんに対して何ができるのだろうと思うわけです。

そしてトラウマがあったとしても解離していたり、意図的に回避しようとしている場合には触らない方がいいのは侵襲性という観点から考えたらその通りだと思います。カウンセリングは一般的には苦行ではないので、苦痛を感じる人やその幻想的を作り出すべきではないと思うのです。

さらに付け加えるなら、心理職も外科的な発想を持つことが多く、「ここが悪い」という病巣を切除してしまえばいいと思いがちですが、病的であってもなくともクライエントさんが痛い痛いと言っている場合に心理的メスを入れる権限はありません。

人の心の動きはまだまだわからないことだらけです。不思議と思うことはあるかもしれませんが必ず突っ込んでいけばいいというわけではないと思っています。

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冒険をすることができるんだね ༻


◯ B群パーソナリティ障害・境界性パーソナリティ障害の治療

1.序

以前境界性パーソナリティ障害については何回か書いているのですが、 境界性パーソナリティ障害精神療法に公認心理師が期待される役割 パーソナリティ障害の診断基準・各クラスター・境界性パーソナリティ障害 などですが、また書きます。

なぜならばただ単に好き、すこだからです。

米国精神医学会治療ガイドラインコンペンデァアムAmerican Psychiatric Association編では徹底したevidence主義でBPD治療法を説明しています。

2.精神分析

効果的でないから保険診療点数から外されたという精神分析はRCT無作為割付試験によってそのevidenceが証明されています、ねえ原田隆之君。

精神分析を援用していると言われるメンタライゼーションは愛着理論に基づき、患者にその欠落を自覚させ、自己を観察して育て直すというPeter Fonagyを代表として有名な精神療法です。

元々精神分析がなければ境界例という概念もなかったわけで、Otto Friedmann Kernbergは対象関係論(例えば非合理的な「俺があいつを嫌っているからあいつも俺を嫌いに違いない」という投影同一視や分裂(Splitting)という不健康的な防衛機制や欲動理論、そしてHeinz Kohutが自己心理学にまで発展させ、境界例理論は理解が進みました。

Kernbergは境界例パーソナリティ障害BPDの前に「境界性人格構造」Borderline Personality Organlzatlonを規定しています。これは「境界性人格構造」のため、前述のとおり自分の感情を、相手に投影したり、自分の身近な人と相手を心理的に同一視したりします。

BPOの人はBPDのようにはっきりとした診断基準を満たしておらず、希死念慮が薄いこともありますが、行動統制という意味ではリストカットをしないものの、依存症を持っていたり自傷的行為を起こしたりします(2領域にはわたらない)。

境界性パーソナリティ障害の治療において重要なのは限界設定limit settingをきちんと設けることです。精神分析において使われている転移概念transferenceや恋愛性転移transference loveといった領海侵犯はBPDの人が行いたくて行っているのではありません。この人たちの中にある欠落(Michael Balintの基底欠損領域)と言ってもいいでしょう。

この転移感情の処理を徹底分析していくことがBPD治療の中心になることが多いです。つまりセッションの間に起こる行動化や契約違反を織り込み済みのものとして精神療法を行っていくのです。

3.弁証法的行動療法

対してMarsha M. Linehanが1980年代に多くの発展を遂げさせた弁証法的行動療法Dialectical Behavior Therapy, DBTは現在精神療法の中ではBPDに対する第1選択肢になりつつあります。DBTはグループミーティングを主な治療としているので、日本のクリニックでも良く行われていますがそのエッセンスを取り入れているのでしょう。

DBTにおいてBPD治療の中核となるのは

⑴ Core mindfulness skill

ア mindfulness「把握」スキル

イ mindfulness「対処」スキル

※ mindfulnessによる心身のコントロールです。

⑵ 対人関係保持スキル

⑶ 感情調節スキル

⑷ 苦悩耐性スキル

この辺りがDBTのキモです。


DBTでは患者さんが治療者に夜電話をかけてもいいとしています。

※ ちな、僕は自分の個人携帯番号を死にそうなクライエントさんに対しては教えています。反対派からは非難轟々です。これは僕の知ってる心理職のうち、約半数がそうです。産業だと工期や日程に縛られて内線がない工場からしか電話できないとか、死ぬだろうとかそんな理由です。「これから死ぬ」という電話と「もう死にました」という電話とどっちがいい?という究極の選択です。

⑴ mindfulness「把握」スキル

不快な感情をすぐ終わらせようとしたり快楽の感情を長引かせようとしない。あるがままに自分の感情を観察することです。「嫌われているように感じる」=「嫌われている」と感じがちですが、実態を把握することが必要です。ただ観察する、自分自身に巻き込まれないことを目標とします。

⑵ mindfulness「対処」スキル

人は生きていれば必ず迷うことがあります。その時に必ず正しくなければならないということはないのです。対処するのには実行するか諦めるという二律ではなく、譲歩するという対処を覚えることが必要です。断定をしません。

mindfulnessスキルにおいて必要なのは「賢い心」です。ともするとBPDの人たちはとても感情的になってしまう傾向がありますけれどもそれを理性で押さえ込むのには無理があります。だからこそこの2つの心を止揚する、弁証法的な賢い心が必要になるわけです。

⑵ 対人関係保持スキル

対人関係はBPDにおいて大きな問題になります。オールオアナッシングで考えたらBPDの人は対人関係を断ち切ることを考えてしまうでしょう。自由にノーと言える、そして人から断られたり、自分の要求が断られたからといってそれが人格を拒否されたことにはならないということを学びます。

⑶ 感情調節スキル

感情を調節することはBPD患者にはとても難しいことです。怒り、自殺のそぶりや遂行、自傷行為と大変危険なことです。DBTではこの人たちが抱いているマイナスの普段の感情ばかりでなく、プラスの感情にも着目するように注意を促します。その際に肯定的な感情にも目を向けさせます。どのように感情を感じるかは自由です。他人から認められない感情というものが自分自身の中にあるわけではないのです。

⑷ 苦悩耐性スキル

BPDの人たちは苦悩に耐えることで危機を乗り越える能力を身につけていきます。苦悩に耐えるということは難しいことで、気をそらすために花を見る、好きなテレビ番組を見る、氷をにぎる、手首にゴムバンドを巻き引っ張る(リストカットの代わり)。今ここにだれがいるのか、心配のあまり未来をタイムトラベルしていないだろうか。恥と思うことをセッションの中で積極的に話します。

DBTには日記カードがあり、記録するという認知行動療法もあります。

参考文献:弁証法的行動療法実践マニュアルMarsha M. Linehan、金剛出版
弁証法的行動療法実践トレーニングブック
Matthew McKay,Ph.D.星和書店
弁証法的行動療法 思春期患者のための自殺予防マニュアルMarsha M. Linehan他1人金剛出版
境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法
DBTにによるBPDの治療Marsha M. Linehan
誠信書房
自傷行為救出ハンドブック−弁証法的行動療法に基づく援助−Micael Hollender 星和書店

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◯ パーソナリティ障害の診断基準・各クラスター・境界性パーソナリティ障害

1.診断

パーソナリティ障害の診断基準は何度も書いています。しつこいので何度も何度も書きます。

A群パーソナリティ障害は奇妙で風変わりなタイプ
妄想性パーソナリティ障害 (広範な不信感や猜疑心が特徴)
統合失調質パーソナリティ障害 (非社交的で他者への関心が乏しいことが特徴)
統合失調型パーソナリティ障害(会話が風変わりで感情の幅が狭く、しばしば適切さを欠くことが特徴)

B群 (感情的で移り気なタイプ)
境界性パーソナリティ障害 (感情や対人関係の不安定さ、衝動行為が特徴)
自己愛性パーソナリティ障害* (傲慢・尊大な態度を見せ自己評価に強くこだわるのが特徴)
反[非]社会性パーソナリティ障害 (反社会的で衝動的、向こうみずの行動が特徴)
演技性パーソナリティ障害 (他者の注目を集める派手な外見や演技的行動が特徴)

C群 (不安で内向的であることが特徴)
依存性パーソナリティ障害 (他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴)
強迫性パーソナリティ障害 (融通性がなく、一定の秩序を保つことへの固執(こだわり)が特徴)
回避性[不安性]パーソナリティ障害 (自己にまつわる不安や緊張が生じやすいことが特徴)

※ 厚生労働省「知ることから初めよう みんなのメンタルヘルス」から引用

さて、診断基準はDSM-5が医学書院から出ています。American Psychiatric Association DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引ポケット版は4,950円ですが何度も読み込むことは公認心理師試験を突破するには必要なことです。まだ持っていない方は買いましょう。(医学書院にそう書きます。と電話で話したら喜ばれました。)

著作権の問題があるので診断基準をそのまま掲載することはできませんが、
日本精神神経学会の林医師へのインタビューに境界性パーソナリティ障害の診断基準が掲載されています。(医学書院了解済)
https://www.jspn.or.jp/modules/forpublic/index.php?content_id=41
また、MSDマニュアルプロフェッショナル版内で検索するとDSM-5各診断基準が明示されています。

こちらは確認中なのでurlは貼りませんが、MSDマニュアル内で「パーソナリティ障害」と検索すると各パーソナリティ障害DSM-5の診断基準が出てきます。

境界性パーソナリティ障害は常に死への欲求が強く、家族や治療者に対しても果てしない理想化して強い愛情表現をして、しばしば治療者はこの人たちと逸脱した性的関係を持つことがあります。(複数の教科書に記載あり。)かと思うと一瞬後には激しいこき下ろしが始まり、何もかも相手を否定する、ありていに言えばジェットコースターに乗せられている、洗濯機の中で高速回転させられているような気持ちになるわけです。

と言ってもこの人たちも同様に家族、他者、治療者に対して同様の感覚を抱いていて「どうして私の目の前の人はこんなに私を激しく混乱させるのだろう」と思っています。したがって境界性人格障害Borderline personality disorder ; BPDの人たちは精神科治療現場でも厄介者扱いされることも多いのですが、本人は生きていることだけで苦痛を感じ、常に死への欲求を抱いていることが特徴です。

慢性的な空虚感を感じていることも多く、したがってOD過服薬やリストカットをすることもしばしばです。医療者は救命のために仕事をしています。

こういった患者さんの治療も行わなければならないのですが、自らを傷つける行為をする患者さんへと治療者が陰性的感情を抱くこともあります。OD、リストカットは内科救急や外科医療者よりも精神科心身管理者の医師が患者さんにより強い陰性的感情を抱くことが多いようです。

「薬は君を守るためにあるので傷つけるために処方しているのではない」「これが続いたら投薬治療はできなくなる」管理的な医師の言葉に攻撃性を感じて治療からドロップアウトしてしまう患者さんもいます。BPDの患者さんはセンシティブで、「人格障害」という言葉も嫌う人がいます。診断名をはっきりと言わない医師も多いです。

DSM-5がディメンション(あたかもグラデーションのような)診断基準システムになったとしてもDSM-Ⅳ-TRの多軸診断システムを捨て去っているわけではないです。

BPDは双極性障害、幼少期に虐待を受けたPTSDやC-PTSD 、不安症、統合失調症、物質・行動依存などあらゆる疾患との併存がありえます。うつ病性感情障害は約50パーセントとも言われています。「境界性パーソナリティの精神療法」成田善弘編

※ C-PTSD 複雑性慢性型心的外傷後ストレス障害Complex post-traumatic stress disorder はICD-11で初めて独立した疾患単位として取り上げられるようになりました。手ひどい(しばしば性的な)虐待や性被害体験はC-PTSDを引き起こします。なおトラウマ研究者Judith Lewis HermanはBPDそのものが被虐待体験があることがほとんどなのでC-PTSDの中に概念化することを提唱しています。

2.歴史的変遷

BPD概念歴史は精神分析の歴史とともに始まります。1906年精神分析家Paul Federnが、神経症のはずなのに精神病状態を示す患者について「潜伏性精神病」と名付けたことにこの中間的な病は始まります。1950年代にはこの境界例が疾患単位なのかそれとも他の病気の亜型なのかについて激しい論争が起こりました。前述書「境界性パーソナリティ障害の精神療法」にも精神分析家がこの境界例に多く関わって来たことが述べられています。

統合失調症ならば精神分析の対象にはならず、神経症圏ならば対象になるからです。Melanie Kleinの対象関係論は部分対象としての「よいおっぱい」「悪いおっぱい」の全体対象として見られず、悪いおっぱいの乳首を思い切り噛むような心性が境界例の人格構造を表しているような気がします。

精神分析学者Otto Friedmann Kernbergは境界例をパーソナリティ構造そのものの特異性に注目、境界パーソナリティ構造Borderline personality organization - BPOを仮定、広くBPO水準の中でsplitting、all-or-nothing thinkingの中で生きる自我同一性の拡散があると指摘しました。

Michael Balint1968年著の「治療論から見た退行」では彼が精神分析学者として、境界例患者には幼少期に築かれていたはずのエディパルな人間関係を他者と結ぶことができない「基底欠損領域」の存在を指摘しました。John G. Gundersonらが怒り、強い抑うつ感情、一時的な妄想様体験、不安定な対人様式について境界例研究を進めました。

境界性パーソナリティ障害がひとつの疾患単位として確立したのは1980年、DSM-Ⅲからです。このパーソナリティ障害概念確立にはそれまでの精神分析学者たちの膨大な研究が影響していたのは言わずもがなです。

BPD概念の理解、そしてこの苦痛を常に抱えている人たちへと共感するためには精神分析学概念の理解は必須と考えます。BPDの人たちは苦しみを常に抱えている。それを無視して虐待なんかなかったでしょう、あなたや他の治療者が作り出した偽の記憶でしょう。こういった侵襲的な 治療家も数多くいます。

3.治療

BPDはクラスターB群の中では最も苦しみを訴えることが多く、治療を求めて医療機関を受診することが多い層です。米国精神医学会治療ガイドラインコンペンディアムAmerican Psychiatric Associdtion Practice Guidelines for the Treatment of Psychiatric Disorders COMPENDIUMでは力動的精神分析療法の有効性がRCT randomized controlled trial無作為割付対象試験によって示されたとの紹介があります。もう一つの効果的治療法は後述する弁証法的行動療法、Dialectical Behavior Therapy, DBTです。

⑴ 薬物療法

薬理的学治療は日本の精神科で行われている第一選択肢です。というのも精神分析や弁証法的行動療法DBTを行う機関は僅少です。さて、コンペンデァアムに戻ると大うつ病症状には抗うつ剤SSRI、そしてその不安のあるBPD患者さんにはベンゾジアベビンBenzodiazepine系抗不安剤の投与が行われます。(ただし、Benzodiazepineは解離を勧める、脱抑制から感情や行動のコントロールが困難になるので使用。控えるべきだという意見も根強いです。)

双極性障害を併発している場合も多いですし、感情の障害の病であることから、Carbamazepine、商品名テグレトール、Sodium Valproateバルプロ酸ナトリウム商品名デパケン、Lithium carbonate炭酸リチウムなどのムードスタビライザー気分安定剤による治療が行われています。

コンペンデァアムには掲載されていませんがLamotrigineラモトリギン、商品名ラミクタール、Topiramate、トピラマート、商品名トピナも使用されています。これもコンペンデァアムには記載されていませんがSSRI無反応な患者さんも多いことから定型、非定型抗精神病薬も使われています。

⑵ 弁証法的行動療法DBT

DBTはMarsha M. Linehanによって編み出されたBPDに特化した精神療法です。Linehan自身が厳格な家庭で育てられ、彼女の両腕は傷だらけ、運転していると思い切り突っ込んでしまいたくなると言います。

日本でも訳書は出ています。金剛出版「弁証法的行動療法」「弁証法行動療法実践マニュアル」等です。心理教育、弁証法的な第三者的な「賢明な心」で物事をとらえるという枠組みです。

病理的行動はしばしばBPD患者さんにとっては当たり前のことだととらえられています。不特定多数の異性との避妊をしない性行為を当たり前ととらえているティーンエージャーには賢い心でそれは常識の範囲外と伝えなければなりません。

マインドフルネスに基づいた日記カード記入します。自ら致死的な行為を行うのをやめることがターゲットになります。スキル訓練として苦悩に耐えるトレーニングをします。苦悩耐性は一時的棚上げ、問題から注意を逸らすことなど。

対人関係効率化、情動制御もターゲットです。DBTについて書くことは多いです。対人関係においては自己主張して断られたからといって自己否定されたとはとらえない、自己主張はいかなるときでも行う権利がある、情動制御について、気をそらすためにコインをテーブルの上に何枚も立ててみる、氷を握りしめたりキャンディを口の中に入れてその味わいに注意するというものです。呼吸法も推奨されます。

DBTは個人カウンセリングと集団でのグループカウンセリングを並行して行います。危機に陥った際には治療者に夜間でも電話をすることができます。DBTにはペナルティもあります。自傷行為を行った際には次のセッションに出られません。

⑶ トラウマをターゲットとした治療

統計ではBPD患者さんのうち被虐待体験を持っているのは9割という説もあります。 PTSDを併発している場合にはEMDRや持続エクスポージャー法PE Prolonged Exposure Therapy(私見ですがトラウマへの暴露は侵襲性が高くPEは苦しいのではないかと思います。)対人関係療法Interpersonal psychotherapy、IPTも効果的と言われています。その他プレインスポッティグ、ソマティックエクスペリエンス、ブレインジム等は公認心理師試験には出ないと思います。

※ ちなみにメンタライゼーションもBPD治療には有効と言われています。

4.総括

この病は漂泊の病とも言われています。自我同一性が確立できず、性別違和に苦しむ人、職業観を獲得できない、学校に行けない、社会に出られない人もいます。反面統計を取ると5年、10年単位では回復率も高く、診断基準を満たさないと完治する人、高い感受性を生かしてサービス、接客、経営、心理カウンセラー、精神科医になる人もいるのです。

心理職にとっては、どの精神疾患でも同じですが、きちんとケースフォーミュレーションを行いゴールを短期的にも長期的にも定めてクライエントさんの状態を安定化させることに心を砕きたいものです。

特にこの疾患は治療者が巻き込まれやすく(BPDの「操作性」と言われていますが、特に操作をしようとしているわけではなくBPDの人の防衛反応です。)治療契約や限界設定limit settingをきちんとしておき、しばしば絶望感に襲われるこの人たちの行く道筋を燭光でもよいので照らして欲しいと思っています。

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◯ 境界性パーソナリティ障害精神療法への公認心理師が期待される役割

境界性パーソナリティ障害は、古くはAdolf Stern(1938)にまでその概念の発生が遡ると言われています。

精神病なのか?神経症なのか?

じゃあ境界例にしよう、と疾患単位として独立させたはいいのですけれど、Robert Knightは何でもかんでも境界例に診断してしまおうという「ゴミ箱診断」的な扱いに1950年代に異議を唱えます。

1918年、「狼男」として知られるFreud,Sの症例は実は境界性パーソナリティ障害BPDだったのだろうと後世に言われました。

BPD研究は精神分析学者Kernberk,O、Masterson,Gundersonらによって進んでいきます。

Klein,Mの対象関係論で良いおっぱい、悪いおっぱいという母親の乳房の同一性を認められない特徴もBPD特有の思考法として認められるようになりました。

それに先立ってドイツのBalint,M基底欠損領域は、乳幼児のどの時期がBPDの発祥なのかという研究を進めていました。

紆余曲折を経てDSM-Ⅲで独立したパーソナリティ障害のひとつとして境界性パーソナリティ障害が確立したわけです。

他のパーソナリティ障害群の中でも本人が苦しい、希死念慮や空虚感や自我同一性を喪失している、という本人の病識も高いことから自ら来談する治療アドヒアランスは高いパーソナリティ障害です。

ただし薬物療法だけでいいですよ、という精神病よりもBPDは治療が困難です。

激しい感情のたかぶり、ポジティブ、ネガティブな転移感情を医療スタッフにも向ける、OD過服薬や自傷行為というアクティングアウト、行動化を繰り返すということで、医療スタッフも対応に困り果てることが多々あります。

そして面倒だと思われるとBPDは病棟で嫌われる、そうするとますます患者さんが医療スタッフに不満を持つという悪循環スパイラルがそこには生じかねません。

BPDの患者さんはほかの診断名がついている場合が多いです。

双極性障害と併発していれば行動は無軌道になりがちですし、統合失調症と併発していれば、妄想や幻聴の内容が医療スタッフを含む周囲への院性感情を投影したものになりがちです。

自死率10パーセント、不審死も多く、謎めいた生涯の終わり方を遂げたダイアナ妃もBPDだったのではないかと言われています。

BPDそのものは不治の病ではないです。

薬物療法も適応ですし、きちんと治療を受けていれば寛解率も生存率も高いと言われています。

強い感受性を生かして対人折衝の仕事で見事な社会復帰をする人も多いです。

この難しい病に立ち向かい、数々の輝かしい成功を収めたのは1990年代、Linehan,M博士です。

彼女はBPDのための弁証法的行動療法DBTを生み出しました。

Linehan女史は現在70代ですが、両手首は傷だらけ、いまだに運転していて急ハンドルで突っ込みたくなる衝動があるという、彼女自身がおそらくBPDの既往があるのでしょう。

弁証法的行動療法は集団療法と個人療法の双方で行います。

それまでのように治療スタッフ1人でBPD患者さんを抱えることは、患者さんが持っているさまざまな欲求を満たす、または制止する上では困難でした。

医療スタッフ複数がかかわること、そしてBPD患者さんが集団でグループミーティングに参加することが不可欠だったわけです。

よく以前から言われていたのはBPD治療には限界設定Limit Settingが大事だということです。

そのためにDBTでは治療からドロップアウトしそうになって欠席を繰り返す患者さんについて一定の期間グループセッションを受けられなくなるという限界設定をしています。

ミーティングを気ままに休むことは許されません。

心的苦痛をその時に全く別の要因で味わっていたとしても患者さんはグループミーティングに参加することを義務付けられます。

グループは自助団体として危険性を薄めるためのルール、個人的連絡構築の禁止などが決められています。

DBTは治療法でもあり哲学でもあります。

こういった優れた治療法はBPDだけでなく、強迫性障害OCDほかの精神疾患にもエビデンス、効力が認められるという研究結果が出始めています。

DBTは対人関係スキル、感情調節スキルというBPD特有の困難さに焦点を当てます。

そして治療スタッフたちはそこで頑張れた患者さんを応援、チアリーディングをするのです。

BPD患者さんを受け持ったことがある心理職ならわかると思いますが、患者さんはノーと言えない、断られたら絶望しなければならない、果てには死ななければならないと考えてしまう独特な思考回路を持っている人もいます。

挙句に感情を爆発させて周囲との関係に葛藤を引き起こすよりもできないことはできない、「ノー」と言えた方がいいのですし、ノーと言うことで罰せられないという保障が必要です。

安定感を欠く患者さんに対しては、白か黒かで物事を考えない、第三の道を探すという弁証法的行動療法が有効です。

精神の安定をBPD患者さんが保つということは難しいことです。

幼少期虐待を受けて育った患者さんも多いわけで、親からの歪んだ価値観の刷り込みは強烈です。

安定化させるためのマインドフルネス、「賢い心」をDBTでは重視します。

氷を握りしめる、コインを何枚もテーブルの上に真剣に乗せていく、アロマに集中する、キャンディを食べて味を詳細に述べていくという作業は自らを取り戻すのに役立ちます。

しかし重要なのは技法ではありません。

患者さんが自分をセルフ・モニタリングできること、治療者がコミットして結果を出すことが大切です。

医療もチームで行うことが重要です。

境界性パーソナリティ障害の人たちに対し、公認心理師が保険適用されてかかわりを持つことが認められれば、それはDBTという単一の技法でなくても、分析的でもそれは認められるべきだと思うのです。

もともと境界性パーソナリティ障害は精神分析の力がなかったら疾患単位としても認められなかったでしょう。

DBTは行動療法という名ではありますが、治療の随所で治療者は分析的な理解を求められていくからこそと思うのです。

誰もがトレーニングを受けて精神分析家や弁証法的行動を身につけられるわけではありません。

疾病によって国の経済や個人の命が危険に晒されるという不利益と、治療が行われることによって受けられるベネフィットについてよく考え、心理職には十分な研修の機会を官製で行ってもいいと思うのは僕だけでしょうか。

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