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○ カウンセリングでは問題は解決しない?

カウンセリングに来る人たちは話を聞いて欲しい人、話をする中で自分で「気づき」を得たい人がいます。

他方、現実の問題をカウンセラー室に持って来る人もいます。

「気づき」を得たい人というのはカタルシスとして色々とカウンセラーに話したい、また、精神分析やメンタライゼーションの中で自分の生育史とそれらを癒す方法を知りたい、認知行動療法や弁証法的行動療法で自分の思考法の「クセ」を知りたい、EMDRでトラウマケアを受けたいetc…実にさまざまな動機を持って来ます。

クライエントさんの中の「心理的事実」について否定しないというのがカウンセリングのセオリーなのですが「ストーカーをなんとかして欲しい」「パワハラ上司をなんとかして欲しい」「転勤したいから『診断書』!を書いて欲しい、などの動機で来る人もいます。

カウンセリングルームの中で起こることはクライエントさんの「心理的な洞察」であって事実は変えられません。

「ああ、苦しみが話しているうちにホッとしました」とドアを開けたその先にまたストーカーがいる、ということではカウンセリングの問題、というよりは現実の問題です。

心理カウンセラーは現実の問題を扱わない、精神科医療も何が現実で何が現実でないか(明らかな妄想でない限り)扱わないということになっていますが、ともすると「さあ、どうしたらいいんでしょうねえ」とばかり繰り返していたら冷たいカウンセラーとして見られることもあるでしょう。

難しいのはこれからですが、カウンセラーが人手が足りない職場だとケースワーク的な役割をすることもあります。

前述ストーカーの場合だと「警察には行きましたか」パワハラの場合だと「職場にパワハラホットラインのような相談機関はありませんか?」

などですが、「もうそこには相談してみたけどどうにもならなかった」というと息が詰まるような感じを受けます。

目の前のクライエントさんはどうも本当らしいことを言っている、それではどうしたらいいのか?心理カウンセラーの仕事ではないものの、踏み込んで「警察の監察に言ってください」「労働基準監督署に行ってみたらどうでしょうか?」というのは踏み込み過ぎた介入の気がします。

心理職は現実とクライエントさんの悩みのはざまの中で苦しみますが、クライエントさんはもっと苦しんでいるでしょう。「精神障害者でもできる仕事はありますか?」と言われてフッ軽な心理カウンセラーや精神科医師がどこかに電話をするというのはどうも違うだろうと思います。

地域連携室があるような病院だとサクッとワーカーさんにつなぐのが正解だと思います。困るのは僕が勤務していた小規模のクリニックや診療所で、困っているクライエントさんを見ると、こちらも知識を持っているので色々と紹介したり電話してあげたくなるのですが、何もかもしてしまうとクライエントさんの自立性を奪ってしまいます。

お金があれば解決するだろう事柄もありますがお金を出すわけにはいきません。

また、クライエントさんが著しく混乱していて機能が低下していたら解決の糸口を差し伸べたくなるものです。

「カウンセリングは役に立つのか?カウンセリングは解決に導いてくれるのか?」本当に蜘蛛の糸をたぐってくるように来た人をリファーする、見捨てられたと思われないようにしてそれをスムーズに「つなぐ」ことは難しいことです。

「法律のことは弁護士へ」は確かなのですが、法律家のところに相談に行く前にクライエントさんの気持ちを整理する手助けをすることはできるものでしょう。

だからこそ、ではないのですけれども日本では故宮田敬一先生はソリューション・フォーカスド・アプローチSFA(解決志向アプローチ)の中で稀代の催眠療法家、ミルトン・エリクソンを紹介しておられた。

SFAを突き詰めていくと催眠が確かに早道のような気がします。もちろんクライエントさんが言いたいことを受容、傾聴を十分にした上で「催眠」というと抵抗を示されないだろうか?と思いつつ提案してみると意外のほかすんなりとトランスに入っていくのを僕は常に見ています。

心理職ができるのは「終わったこと」「終わっているけれどもどうにも気持ちの整理ができないこと」「現在進行形で気持ちが収まらないこと」などなどいろいろあります。

気をつけなければならないのは心理職が「心理至上主義」に陥ることで、上記に述べたような身に危険がクライエントさんに迫っている場合、また身体症状が出ているにもかかわらずそれをカウンセリングで「解決」してしまおうとすることです。

近年整形外科でも心理職の採用が進んできているのは喜ばしいことだと思っています。医師がきちんと見立てた上で心理職がカウンセリングを行う、これで慢性腰痛などが軽快したという事例も聞いたことがあります。

耳鼻科では感音難聴や失声も扱いますし眼科も心因性視覚障害に取り組んでいます。

「解決」の糸口はどこにあるのかわからない、しかし「解決」ばかり追い求めていると大きな陥穽に落ちかねない、難しい仕事を求められているものだなあと思うのです。
photo by ᴷᵁᴿᴼ' @PhotoKuro_