ひなたあきらのおけまる公認心理師たん

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

タグ:カウンセリング

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○ カウンセリングでは問題は解決しない?

カウンセリングに来る人たちは話を聞いて欲しい人、話をする中で自分で「気づき」を得たい人がいます。

他方、現実の問題をカウンセラー室に持って来る人もいます。

「気づき」を得たい人というのはカタルシスとして色々とカウンセラーに話したい、また、精神分析やメンタライゼーションの中で自分の生育史とそれらを癒す方法を知りたい、認知行動療法や弁証法的行動療法で自分の思考法の「クセ」を知りたい、EMDRでトラウマケアを受けたいetc…実にさまざまな動機を持って来ます。

クライエントさんの中の「心理的事実」について否定しないというのがカウンセリングのセオリーなのですが「ストーカーをなんとかして欲しい」「パワハラ上司をなんとかして欲しい」「転勤したいから『診断書』!を書いて欲しい、などの動機で来る人もいます。

カウンセリングルームの中で起こることはクライエントさんの「心理的な洞察」であって事実は変えられません。

「ああ、苦しみが話しているうちにホッとしました」とドアを開けたその先にまたストーカーがいる、ということではカウンセリングの問題、というよりは現実の問題です。

心理カウンセラーは現実の問題を扱わない、精神科医療も何が現実で何が現実でないか(明らかな妄想でない限り)扱わないということになっていますが、ともすると「さあ、どうしたらいいんでしょうねえ」とばかり繰り返していたら冷たいカウンセラーとして見られることもあるでしょう。

難しいのはこれからですが、カウンセラーが人手が足りない職場だとケースワーク的な役割をすることもあります。

前述ストーカーの場合だと「警察には行きましたか」パワハラの場合だと「職場にパワハラホットラインのような相談機関はありませんか?」

などですが、「もうそこには相談してみたけどどうにもならなかった」というと息が詰まるような感じを受けます。

目の前のクライエントさんはどうも本当らしいことを言っている、それではどうしたらいいのか?心理カウンセラーの仕事ではないものの、踏み込んで「警察の監察に言ってください」「労働基準監督署に行ってみたらどうでしょうか?」というのは踏み込み過ぎた介入の気がします。

心理職は現実とクライエントさんの悩みのはざまの中で苦しみますが、クライエントさんはもっと苦しんでいるでしょう。「精神障害者でもできる仕事はありますか?」と言われてフッ軽な心理カウンセラーや精神科医師がどこかに電話をするというのはどうも違うだろうと思います。

地域連携室があるような病院だとサクッとワーカーさんにつなぐのが正解だと思います。困るのは僕が勤務していた小規模のクリニックや診療所で、困っているクライエントさんを見ると、こちらも知識を持っているので色々と紹介したり電話してあげたくなるのですが、何もかもしてしまうとクライエントさんの自立性を奪ってしまいます。

お金があれば解決するだろう事柄もありますがお金を出すわけにはいきません。

また、クライエントさんが著しく混乱していて機能が低下していたら解決の糸口を差し伸べたくなるものです。

「カウンセリングは役に立つのか?カウンセリングは解決に導いてくれるのか?」本当に蜘蛛の糸をたぐってくるように来た人をリファーする、見捨てられたと思われないようにしてそれをスムーズに「つなぐ」ことは難しいことです。

「法律のことは弁護士へ」は確かなのですが、法律家のところに相談に行く前にクライエントさんの気持ちを整理する手助けをすることはできるものでしょう。

だからこそ、ではないのですけれども日本では故宮田敬一先生はソリューション・フォーカスド・アプローチSFA(解決志向アプローチ)の中で稀代の催眠療法家、ミルトン・エリクソンを紹介しておられた。

SFAを突き詰めていくと催眠が確かに早道のような気がします。もちろんクライエントさんが言いたいことを受容、傾聴を十分にした上で「催眠」というと抵抗を示されないだろうか?と思いつつ提案してみると意外のほかすんなりとトランスに入っていくのを僕は常に見ています。

心理職ができるのは「終わったこと」「終わっているけれどもどうにも気持ちの整理ができないこと」「現在進行形で気持ちが収まらないこと」などなどいろいろあります。

気をつけなければならないのは心理職が「心理至上主義」に陥ることで、上記に述べたような身に危険がクライエントさんに迫っている場合、また身体症状が出ているにもかかわらずそれをカウンセリングで「解決」してしまおうとすることです。

近年整形外科でも心理職の採用が進んできているのは喜ばしいことだと思っています。医師がきちんと見立てた上で心理職がカウンセリングを行う、これで慢性腰痛などが軽快したという事例も聞いたことがあります。

耳鼻科では感音難聴や失声も扱いますし眼科も心因性視覚障害に取り組んでいます。

「解決」の糸口はどこにあるのかわからない、しかし「解決」ばかり追い求めていると大きな陥穽に落ちかねない、難しい仕事を求められているものだなあと思うのです。
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しんどいカウンセリングをしていないか?

1.はじめに

昨日の続きです。心理職にとってはカウンセリングという日常繰り返される営み、それがクライエントさんにとってしんどいと思われたら、また、苦しいと思われたらそれはいったいクライエントさんのためになっているのでしょうか。僕自身の体験を振り返って、また、聞いた話などを混じえて考えてみたいと思います。

2.本論

⑴ カウンセリングでしんどい思いをさせていないか?

これはある程度やむを得ないこともあるのかもしれませんが知っておくべきことでしょう。僕が知っている、主に思春期の子たちは精神科・心療内科に行く時に泣きながら行って泣きながら帰っていました。

ただでさえ敏感な感性を持つ思春期の子たちにとっては「精神科・心療内科」というのはそれだけで敷居が高く、治療を必要としていてもそのスティグマ(烙印)を押されたよう、行かなければならない自分の影に怯えていることがあります。

精神科では何を聞かれるのか、薬は精神に影響します。薬を医師からの懲罰のように感じている子たちさえいましたが、「カウンセリングを受けた方がいいね」と優しい医師が言ってもカウンセラーは精神科の添え物のようで、カウンセラーのように傷つけない、相手が受容してくれる相手でも恐怖の対象になるかもしれません。

大人でもそういう人は当然いるでしょう。カウンセラーは「心理至上主義」に陥りやすいのですがこういった人々にとっては病院で待たされて長時間滞在して薬をもらうのにまた待たされてカウンセリングまで付録につけられるという侵襲性が伴っている、ということを考える必要があるのかもしれません。

⑵ 自らに直面化するのカウンセリングという行為はつらい作業である

これも昨日書いたことと共通するのですが、自分自身の傾向や性格と向き合うというのは大変に辛いことです。

心理職の人ならばスーパーバイザーについた経験はあるでしょう。あまりにもサディスティックな扱いを受けたというなら別ですが、クライエントさんの見立て、そして自分がしてきた面接についてスーパーバイザーと真正面から対峙して緊張した覚えはないでしょうか。

何人かのスーパーヴィジョンを僕も受けたのですがかなりの緊迫感を持ったスーパーバイズを受けた覚えがあります。

自我がしっかりとしている(方が望ましい)カウンセラーですら、鋭く切り込んでくるスーパーヴィジョンに辛い思いをして、時に泣きながら帰ってきます。

これがクライエントさんだったらどうでしょうか。カウンセリングでカウンセラーが「あなたはこういう人だよ」と例えカウンセリング中に決めつけられなくてもハッと洞察に達して落ち込むことはきっとあるでしょう。 

その気持ちは十分に受け入れなくてはならないと思います。僕自身そうやって知らず知らずのうちにクライエントさん、患者さんに辛い思いをさせ、にこにこしていつも来ていても本当は気落ちしている方々、そしてもう面接に来なかったりすることは多いのではないかと思います。

ドロップアウトした患者さんは僕も数多く経験して来ました。その時に漫然とまた次の仕事に取りかかって振り返りをしないことはカウンセラーとしてどうなのかと自戒を込めて思います。

⑶ カウンセラーは信用されているか

カウンセラーにとってクライエントさんの信用を得ることは何よりも大切です。カルテを見ながらでも、多くのクライエントさんとの面接をしていると記憶がおぼろげになってしまうことが(僕には)たまにあります。

それは面接後に自分が「この患者さんならばこういう思いをしても当たり前だろう」と思って書き忘れていて、そしてそのことこそがとても大切な事柄だったりするのです。

クライエントさんにとってはとても大切な、自分だけの宝物のような秘密をカウンセラーに話していたのにその気持ちを軽く扱われるなんて、とカウンセリングが信用できないと思うのも無理はないでしょう。

僕自身自分を振り返ってみるとカウンセラーが信用されないと思うようなことは多々あったと思います。「薬は怖いからもらってから実は一度も飲んでいません」とカウンセラーだけに話したはずの事実を医師に伝えなければならないと思った時に息が詰まるような思いをした心理職の方はいないでしょうか。

「インフルエンザで熱がありましたが今日は我慢して来ました」と言われたらどうすればいいのか、このコロナ禍の中で同じような経験をした心理職の方もいると思います。

3.おわりに

カウンセラーはカウンセリングという行為でクライエントさん、患者さんを傷付けてはならないのは事実ですが「誰がカウンセリングを希望しているのか」(往々にして本人ではないこともあります。)にも気をつけなければならない隠されたニーズが存在していることもあります。

その人の人格を大切にしながらカウンセリングを行っていくのは実に難しいものだと日々痛感しています。

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臨床心理士・公認心理師の服装について

カウンセリング時の服装について Twitter で話題に上っているので、どんな服を着て仕事をしているのか、僕の経験や周囲の様子から書いてみます。「望ましい」ドレスコードと実際の服装、クライエントさんに対して失礼がないように心理職は職場に応じて服を変えていると思います。

まず一番身近な僕。
現在の職場(産業一医療)就職1年目は白衣(白衣の方がそれっぽいのか?と思い)

メリット:なんだかわからないけれども偉そうに見える。例:夜遅くまで仕事をしていた時にゴホゴホ熱もあって風邪っぽい若い人がその部署の上司連れられて訪ねて来た(コロナ前)。医師が帰宅していたので市販薬を渡すことで対応。医務室の入り口でパプロンを渡す時に薬が合っているかどうか確認するため、天井の蛍光灯で薬を照らして、中に薬が入っているかどうか指で叩いて音を確認。

「はい、どうぞ。明日受診に来てくださいね」と渡すと「先生がそうおっしゃってるんだ、ありがたいと思え」と二人で深々と頭を下げる。「え?」なんか薬がえらく効いたみたいで翌日受診に来なかった…

(左:なんか偉そうに薬を渡すの図。右:いつも着ているワイシャツ)
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白衣のデメリット:洗濯が面倒、夏は暑い。売店に行くのに(うちは外に出るときにはなんとなく白衣禁止)脱ぎ着がめんどい。

今→白衣は暑いのでスーツ、カウンセリングの効果は白衣だろうがスーツだろうが変わらないということに気づいてから。カジュアルな長袖ワイシャツ(カラーシャツではない)、ネクタイなし。寒い時はスーツの上着を着る。ちなみにスーツはユニクロ。(先代はしまむら) アマプラで買ったスーツもあり交代で着まわす。スーツはオフィシャルに見えるように黒か濃い紺色。

くたびれたら即買い替え。なおワクチン接種受付などに駆り出されることあり。そういう時は被接種者と区別するために白衣。

メリット:暑くなくて快適。夏は熱中症対策でガンガンにクーラーが効いているのでむしろスーツ上衣が必要。冬は暑いのでワイシャツがちょうどよし。デメリットなし。

したい服装としている服装→したい服装は白Tシャツにスーツ上下(理由)清潔そうだから。
楽。襟なしで営業に出るのは不届きという声もあると思いますが、身近でカジュアルなメンタルヘルスを売り物にしたいので開業したら営業回りもTシャツでやってやろうと思います。

職場のドレスコードが襟なし禁止なので仕方なくワイシャツを着る。ほぼほぼボタンダウン。ボタンの色は黒、青、ピンク。ワイシャツの色は白。ピンク、黄色も可だけどカジュアル過ぎると思っているので着ない。縦縞ワイシャツはブルーストライプをよく着ている。

ポロシャツ禁止、チノパン、ブレザーを着ている人を見たことがない。かりゆし可だけれどもここは沖縄ではないので見たことがない。

信念:ネクタイをすると締め付けられるような感じがしてイヤ。上着を着るとそれなりにオフィシャルに見える。どうしても出なきゃいけない式典等(設立○周年)などはネクタイ着用、白ワイシャツネクタイ。講師をやる時もノータイです。安くてもいいので(といってもユニクロでも 2 万円ぐらい)体にフィットしたものを着るとサイズアウトした高級品よりもはるかにいい。スーツの色は黒 or 紺だとカジュアル過ぎなくていい。でもこんな色🟦も着てみたい)

うちの支所の仲間の心理職男性:圧倒的にスーツ多し。ネクタイ率 80 パーセントぐらい。

女性:悪いけどあまり見ていない。というか見ても覚えていないのが男の悪いところ。だけどそれなりに覚えているのを書くと…

Aさん:白衣に襟なしのシャツ。タートルネックもあり。

Bさん:パンツスーツ。白シャツに黒いスーツが格好いい、シックなワンピースもあり。

Cさん:カジュアル過ぎない色のリブニット。スーツジャケットの下は襟なしのシャツ。タイトミニも短か過ぎなければよし。

看護師の女性はつけま黒コン必須(?なのか?)ですが、心理職はつけまは誰もいません。
ちなみに男女ともにジーンズ不可。

詳しく教えてくれたDさん:

オフィスカジュアルだと思います。
秋から冬は(シャツ👕)の上にチョッキかセーターにスカート

夏はカットソー(襟のないTシャツみたいなものだけどフォーマル系)にスカート。パンツ(パンツ)は自分は似合わないのと、お尻がピチっとなることも相手に失礼と思うのと、頻尿なのでトイレに行くとき面倒なのではかない。

夏の上は、(シャツ)だと(チョッキガーディガンだとかえって胸元が強調されたり脇汗滲んでしまったりして下着が透けてしまったりするのでかえって襟なしでもカットソーのほうが対外的に失礼ではないと思いそうしてます…

スカートの丈は座った時でも膝下まで隠れるものです。

わたしも受付に駆り出される時だけ。

心理士としての「枠」は清潔でオーソドックスで相手に失礼のない服装のうえ発言、行動、態度という関係性を築く素地により十分保てると思うので相談業務に白衣は不適切であると自分は考えてます。

病院勤務のテスター中心の心理士なら白衣着用するのもありと思います。

職務としては職場全体なので白衣は不適切…と考えてる自分のポリシーです。

Aさんはいつも白衣を着てるって言って、その下が相当カジュアルでいつだったか白衣ポロシャツ研修来てて、職場から来た!というからビックリ!したんだけど(どうやって移動してきた?白衣持参?)

あの人その上に白衣着るからその下は個性?自分の素を出すんだな?と感じてなんとなくただそれだけであんまり心理士として信用できないなと思ったりしてる…

(本人了承転載)

※ 仲のいい後輩の女性に聞いてみました。
(医療)

スクラブ多し、オフィスカジュアルの私服。院内では白衣。カウンセリング時はジャケット着用。

まあ、いろいろと思い返すとその機関によって服は違うわけで、スクールカウンセラー時代は回りの先生たちに合わせていました。僕は夏はノータイ、冬はネクタイ着用。夏なんぞは先生たちもカジュアルな服装で出勤していたのでポロシャツもありましたが、どんな場合でもシャツはズボンにインです。子どもたちにそう指導しているので、ジャージで部活指導をしている先生も生徒もシャツはインでした。

就労継続支援施設ではジーンズでもチノパンでも可でしたが、指導員という立場上、あまり派手にしないようにしていました。ポロシャツ、カジュアルシャツ多し。福祉関係、児童関係の女性の後輩はトレーナー、ユニクロも多かったとのこと。スカートは無理でしょう。児童だけ相手にしていればかなりカジュアルでもいいと思いますが、保護者面接もあるのでそういう時はカジュアル過ぎると困るし・・・と福祉関係は悩みどころでしょう。

ちな、僕は司法対象だとぱちっとした格好を役所は好むのでネクタイ、スーツでした。

僕の考える望ましい服装は、安くてもいいのでとにかく体型にフィットしたもの。ユニクロでもカタログを見ると外人さんがとてもカッコよく着こなしていますが、それは体型に合っているからです。どんな高級なスーツでもサイズアウトしていたら×です。あと通常の社会人でもそうですが、ワイシャツの下の肌着はカラーシャツ(黒など)は×、みっともないです。

機関に合わせて TPO が大切、清潔、体にフィット、これが心理職の望ましい服装ではないでしょうか。なんか普通のサラリーマンと変わらないような…でも常識って大切かなあと思っています。

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どうしてカウンセラーが恋愛感情をクライエントに持っちゃいけないの?

昨日の記事の続きです。結論から言えば倫理的には持ってもギリギリ構わないかもしれませんがもうそれはカウンセリングではありません。クライエントさんに対していい結果を及ぼすことは何もありません。むしろ有害なカウンセリングになる可能性が高いでしょう。

誰かが昔ツイートしていましたが、経験の浅い心理職の男性がふわっとした華やかでニコニコ笑っているいい匂いのする 20代の美しいクライエントが目の前にやってきて、そのうち「私だけが知っている私の苦しさや私の秘密」をカウンセリングなので当然話し始める。

それがカウンセラーだけに縋り付いてきたらその男性は恋愛感情を持たずに済むでしょうか、というものです。

目の前にいるクライエントさんが生まれて初めて信頼できる人を見つけて、全身全霊をあげてカウンセラーにすがりついてきます。あなたはまるで白馬に乗った王子様のように見られています。そのクライエントさんはあなたのことを神格化していて、まるで教祖様のように信じ込んでいるわけで、あなたに気に入られるためならば何もかも投げ出したいと思っています。

たとえそれが自分の貞操であったとしてもです。ここでその男性カウンセラーが誘惑に負けて彼女を(心的にでも)好きになってしまったら、そこで真っ当な関係性は終わりです。

彼女はカウンセラーを翻弄したくて誘惑しているわけではないのです。今まで生きてきた不遇な環境、または彼女の病理性そのものがそうさせているとしたら?カウンセラーがそれに乗ってしまったらそれはカウンセラーとして失格です。

そのカウンセリングにおいて「キレイなクライエントだよね」ぐらい思うことはあるかもしれませんがそれを超えた感情を持ってしまうと、まともなカウンセリングにはもうなりません。

彼にとってはカウンセリングという行為そのものが彼女との間だけの密やかな愉しみになります。

彼はカウンセリングをしていない間、彼女のことばかり考えていて、とても胸が締め付けられるような思いをしています。あの子は大丈夫だろうか、苦しんでいないだろうか。こちらから連絡をしてみようか。

実際にしてみることもあり、その結果彼女が彼を好き好き大好きにならないと恨みさえ感じるようになります。

こうなったらまともなカウンセリング関係は終わりです。

この「告白命題」について駆け出しの心理職から「ひなたさんだったらどうするの?」と聞かれました。

1.自分がクライエントのことを好きになってしまったら?

カウンセリングを他の人に交替してもらいます。

2.自分がスーパーバイザー(指導者)でスーパーバイジー(被指導者)が「好きになってしまった」と言われたら?

そこは正直さを買うでしょう。ただしケース担当は交替してもらいます。カウンセラーとクライエントさんを守るためです。

3.自分ががもう告白してしまったら?

心理職を辞めます。世の中には心理以外にも生きていく方法はたくさんあります。心理の仕事をやる資格はないと考えます。その結果がフラれたとしてもです。

4.「告白した」とスーパーバイジーから言われたら?

ここは冷たく「心理の仕事はやめなさい。君には心理の仕事をする資格はない」と言います。見放す、ではなく見捨てます。

追い詰められたクライエントさんはカウンセラーに何もかもを与えようとします。もし彼がそのまま心理職を続けたとします。彼はまた素敵な人が目の前に現れてまた彼を神格化したら好きになってしまうのでしょうか?なるかもしれませんね。彼にとって倫理というものは紙のように軽いのですから。

理想化の次にクライエントさんが行うのは激しい価値下げです。彼はカウンセリングをしていない時は普通の人間です。完璧ではありません。彼女はカウンセリングルームにいる時のような完全体の彼を求めているのです。

彼女からの激しいこき下ろしが始まります。(例え境界性パーソナリティ障害の患者さんでなくともそのようにカウンセラーから追い込まれてしまった)この理想化とこき下ろしは境界性パーソナリティ障害を持つ人に起こりやすいのですが、カウンセリングのやり方によっては全てのクライエントさんが境界例的になり、持たなくてもいい病理性を現出させることになってしまいます。そうやって彼は彼女の病態を悪化させてしまうわけです。

彼はやがて見捨てられ、彼女は他の男のところに行く可能性もあります。その時にはきっと向いていない心理職は辞める、辞めさせられていてマイナスの資産しか残っていないことになるでしょう。

考えてもみてください。この彼の前に座ってにこにことしている可愛らしいクライエントの女性はいわばかなり経験を積んで虐げられた過去を持っていたり、病気に苦しめられていた人で、それは彼のカウンセリングの経験年数をはるかに超えています。

そこで彼が真正面から勝手に翻弄されて「好き」になってしまったら彼女に凌牙されてしまうだけです。

例えば境界性パーソナリティ障害の人は他人を操作することに長けている、だから気をつけなければいけない、とまるで患者さんを悪者にするかのような言説がありますが、患者さんは自分を守るためにそうしたスタイルのコミュニケーションスタイルを必死になって身につけざるを得なかっただけです。

なんにせよ恋愛感情を持ち、それを口にして実行すること、そこで行われてきた営みはもうすでにカウンセリングではなかったでしょう。

この「告白命題」は多くの人がこんなことはあり得ないということを言っています。それは心理職の人でなくてもです。心理職が一線を踏み越えてしまう事は他の心理職が連綿として築き上げてきた臨床心理の倫理と専門性を踏みにじる行為だということも知っておいて欲しいのです。

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「私が必ずあなたを救います!」占い師>公認心理師・臨床心理士の図式

1 はじめに

どこにでも困っている人はいます。夫がアルコール依存で働かない、子どもの不登校、自分の身体的・精神的な病気、悩みを抱えていてそれを具体的に解決して欲しい人は世の中に必ずいます。こんな時に教育を受けたプロのカウンセラーなら、その人の話を傾聴しながら相手の態度変容を引き出すためにクライエントさんが何をしたらいいのか、病気という悩みと共存してやっていくためにはどういった心情で過ごすかを一緒になって模索するでしょう。

そして治療契約の際にも「それが目的なので」とはっきりと説明するでしょう。ところが「あ
らゆる悩み事を『解決します』と看板を掲げてある占い師が「私があなたの○○という悩みを解決してあげましょう」と断言したら、来談者は、わらにもすがりたい気持ちでやってきたのですから、はらはらと涙を流しながら土下座して「お願いします」ということがあるかもしれません。(考えてみればきちんと教育を受けたプロは絶対にそういうことを言わないのですから、初めてそういうことを言われて感動する人がいても一向におかしくありません。

占い師が「面接」の中で行う内容は何でもいいのです。タロットカードを引いて「まだ機が熟していないからあと1カ月待ちましょう。ただしその間はここに毎週来てください」「玄関先に猫の置物を置いてください」でも、時間をかけて相手の悩みを聞いた後にそんなことを言えばいいのです。

2. 占いや無資格カウンセラーの実態

残念ながら僕は占いを受けたことがありませんので実は想像だけです。しかしながら相手を受容、傾聴する態度は似ているかもしれません。ただし、受容、傾聴をしない占いも多いかもしれません。故・新宿の母をテレビで見たことがあるのですが来談者を disって「それは無理」「やめときなさい」と言う。

これはこれで一つのあり方だと思います。不倫を成就させたい、復縁したい等は現実にはとても難しい課題です。下に挙げるカウンセラー入門の本を読んでいたら「恋愛カウンセリング」という看板を掲げるよりも「復縁カウンセリング」の方が売れる、なぜならばニッチなところで人々の多いニーズを開拓できるから、ということが書いていました。

常識的に考えたら一方が相手を嫌になって別れたわけですから、通常の恋愛をするよりも難しい、しかしながらネットで調べると復縁カウンセリングの多いこと。

もし僕が開業して「復縁カウンセリング」を看板に掲げたら倫理規定が厳しい臨床心理士資格認定協会からたちどころに資格抹消されそうなのですが(「復縁カウンセリング」-別れた人とのコミュニケーション再構築)だったらアウト?セーフ?あるいは「不倫成就カウンセリング」…(なんか言い訳が思いつかない)「別れさせ祈願」(どう考えてもアウト)世の中のニッチで需要が多い分野というのは、上記のものだけで難しいものです。

また、「子育てカウンセリング」は難しい、「不登校カウンセリング」は需要がある、と「3ヶ月でクライエントが途切れないカウンセラーになる法」(北林絵美里、同文舘出版)には書いてありました。

確かに開業というものは大変難しい領域でかつて僕も試みようとしてリサーチ段階で諦めたことが過去ありました。

3 専門家のカウンセリングや占いとの違い

専門家のアドバンテージ(優位性)は専門教育を受け、開業する前に多くの心理カウンセラーは専門機関で働いてきてプロとしての腕を磨いてきたということです。これらは立派な経歴として書くことができます。クライエントさんも昨今はよく見ているので「臨床心理士・公認心理師」の資格は強みがあるのですが「初回無料」など魅力があるフレーズに負けます。

どうやら占い師や無資格カウンセラーの特徴としては「クライエントさんが言われたいと望んでいることをそのまま言う」という特徴があるようです。言われたいと思うことがあればそれはとても耳ざわりがいいでしょう。

新宿の母などは有名になったのでリピーターを考えずに「ダメなものはダメ」とはっきりと言えるのですが、占い師が「あなたの運命は今大きく変わりつつある。一週間後にまた来るように」などと言えばこれはもう「治療契約」ならぬ「占い契約」になりそうです。

4おわりに

なぜつらつらと今日はこんなことを書いているかというと、困りごと、悩み事を抱えた人たちはこの世に数多くいて、心理相談が業務独占となっているドイツでも占いは特に業務独占とも名称独占ともなっていません。先進諸国でもヒーリング(レイキ)が代替医療のひとつとして保険適用されている国も多いものです。

「将来的に公認心理師・臨床心理士のカウンセリングには人が集まってくるか?」というは、もはや今現在「専門家のカウンセリング人気があるか?」というところにもかかわってきていると思います。誰もが一度は憧れる(かもしれない)領域の私設開業ですが、かなりの努力と苦労がそのバックボーンにあることは間違いないような気がするのです。

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