カウンセラーひなたあきらが公認心理師について考えてみた

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。 ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

タグ:カウンセリング

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◯ 公認心理師や臨床心理士だけがカウンセラーじゃないよ

民間資格や無資格カウンセラーのことについて何度か触れて来ました。

求人では「臨床心理士または公認心理師」など見受けられますが、僕の知ってるとある小さなクリニックはカウンセラーなしでカウンセリングに匹敵するする相談効果を上げているので紹介します。

まず院長先生、溌剌とした印象があるエネルギッシュな30代後半の男性、これからますます働き盛りという印象を与えます。

薬ABCを出して副作用が出たから薬Dを出す、今度はまた薬Dの副作用が出たから薬Eを出すというむかーしの投薬センスを嫌います。

単剤処方、漢方併用、栄養指導もします。

医師というのは何科の先生でも栄養指導はなかなかしないもので「痩せたら?」の一言で済ませるのですが、このクリニックの院長は「◯◯さん、今いい本があるんですよ」とニコニコしながら食と健康に関する本を彼の書棚から出して勧めます。(別に出版社からマージンを取っているわけではナイ。)

このクリニックは開業当初臨床心理士を雇おうとしたのですが主にコストの理由で雇えなかった、その代わりに面白い人材を雇っています。

栄養、食やダイエットに関する民間資格、カラーセラピー、ヨガやフィットネス、ダンスなどなど民間資格だけですが患者さんが興味を引きそうな資格をたくさん持っている方がアルバイトで来ています。

院長先生が「うーん、●●さんにも話聞いてもらってよ」と言うと、このカウンセラーさんは食べ物や運動の事など、患者さんに足りなさそうな事を丁寧親切に伝えます。

クリニック公認でこの方が経営しているヨガ教室に患者さんを誘う事もあり、結構喜んで通っているとの事です。

このカウンセラーさんは自分で「心理カウンセラー」とか「セラピスト」と名乗る事は決してありません。

自分で心理の専門家ではないと自覚しているからです。

ところが「食」「運動」の指導をメインにしているこのクリニックにはこのカウンセラーの方がぴったりとフィットするわけです。

心療内科としても敷居が低く、地元の人は漢方中心で落ち着く、薬も出るけどそれだけじゃないと通いやすいわけです。

ここの患者さんにはかなり重度の人も来ていてそれなりの強い薬もバシッと出る事が多いのですが、信頼している医師から出る薬の効き目は良好です。

カウンセラーといっても心理カウンセラーばかりじゃない、患者さんが気に入って通っていればそれが最高のカウンセリングという営みかもしれません。

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◯ 公認心理師試験のカウンセリング能力検出精度は?

よく僕のブログにコメントをしてくださる中西美穂様から、拙記事「臨床心理士・公認心理師は若い方がいい?年配の方がいい?」で講演上手な心理職のカウンセリングに不満が生じたというエピソードを記載したところ

「アウトカム評価=患者の満足度 大事ですね。優秀なプレゼンが優秀な研究者とは限らないってやつですね。」との鋭い指摘をいただきました。

これは臨床系大学教員についてもよく言われていることで、教育能力、研究能力、カウンセリング能力、大学内外での政治・行政能力、これらは全て別物です。

中西様の言説はいつも学ばされるものが多く、僕よりもはるかに優秀な知見で書いていただいているのですが、中西様のコメントに触発され、ふと「公認心理師試験は優秀なカウンセラーを産出するというアウトカム、結果を出す事ができるのだろうか?」という疑問を持ちました。

また、それに付け加えてカウンセリングという行為における顧客満足度はどうなるのだろうか?

とも思いました。

厚生労働省「医療情報の提供のあり方等 検討会」でもこの結果=アウトカムとそして、過程=プロセスの大切さは医療のありようとして論議がなされています。

クライエントさん、患者さんが治っていく、生活水準が向上していく、精神的に平穏さを取り戻していくという結果は、よいカウンセリング、満足度が高いカウンセリングというプロセスなしにはあり得ません。

そこで公認心理師試験が測定している内容を考えてみます。

つまり、この試験がよいカウンセラーを生み出すという妥当性があるかどうかということです。

公認心理師試験の特徴として一般的に言われているのは臨床心理士試験と異なり

1.医学・医療問題(医療制度・法・身体医学を含む)領域からの出題が多い。

2.統計・研究・実験法を含む、文系には苦手な分野を含む基礎心理学領域の占める割合が多い。

3.心理諸分野5領域からの万遍のない出題がされる。

という事です。

1.医療領域については、医療周辺で働く心理職には有用、かつ医療領域外の心理職にとっても役立つことは十分にあるだろう知識です。

ただし、この分野の出題割合が多い事に対する批判があることも事実です。

曰く「看護師試験と変わらないのではないか?」

「『医師の指示』を強調する意図があるのではないか?」

そして「2.」については「基礎分野の学習はカウンセリング対応能力を測定しているのか?

「3.」も「様々な領域で働く心理職にとって、一生使わないような知識を試されることもあるけれどもどうなのか?」

というものです。

どの試験でも同じ事ですが、知識を得るために勉強を熱心にすること=「学習」という行為は、どれだけの熱意と労力を傾けられるかという、目に見えない「努力」や「真面目さ」という要素を測定しています。

だから一流企業では一流大学卒業者を優先して採用しているわけですし、本来必要がないかもしれない日本文学、日本史専攻学部でも英語で得点を取る事が要求されています。

熱意がある受験者はいいカウンセラーになれるかもしれませんが、絶対とはもちろん言い切れないわけです。

果たして公認心理師試験は臨床能力を測定できているか?

という何度も僕の頭の中でリフレインされる命題の結果は多分数十年経たないとわからない、もしくは数十年経っても不明なままかもしれません。

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◯ 臨床心理士・公認心理師は若い方がいい?年配の方がいい?

これは実はとても難しい問題です。

僕「ちみちゃんがもしカウンセリング受けるんだったら若いカウンセラーと年配の人とどっちがいい?」

一般人代表・千美梨
「若い人はちょっとなあ。やっぱりある程度経験積んだ方がいいや」

僕「ちなみに男性と女性だったらどっちがいい?」

千美梨「アキラ(最近呼び捨て)は男で結果重視の話し方ばっかりで雑だし忘れっぽいっつーかそもそも人の話聞いてないし自分の事ばかり話してるし、細やかな気配りできる女の人がいいかなあ」

僕「うーん」

※ 心理職は目の前にクライエントさんがもうすでにいるので自分より若い人がいいのか、年配の人がいいのか、性別はどちらなのか等は聞けません。

ただ、僕も(たまには)心理職以外の人と話すので、確かに年配の人の方が経験があるから頼りになりそうだとか、ただ人の話を聞いてりゃいいのなら俺にもできるとか、色々な意見を聞くことがあります。

昔から言われている事ですが

年配で勉強熱心な心理職>若くて勉強熱心な心理職>若くて謙虚な心理職>年配で勉強しないけどおごり高ぶって威張っているだけの心理職

という構図があります。

クライエントさんは若いというだけで敬遠する人もいるでしょうけれども、精神科医でも心理職でも「新しい勉強をしていて最新の薬の知識があって海外の論文もよく読んでいる」「最新の心理療法の知識があっていつも勉強を怠らないでいる」若い人たちは優れた実力があると思います。

心理職のコンピテンシー(発達段階)を考えたら、若いうちは児童相手の仕事の方がやりやすい。

かな?と思ったりしますが、若くて実力がある心理職のカウンセリングを感心しながら受けている年配のクライエントさんもいます。

それでも若ければ経験値は少ないというのも本当なので、年齢と実力の相関関係はρ=0.40(弱い相関関係)ぐらいがあるのかなと思います。

年配で堂々とした心理職、臨床心理士制度がない当時の若いころから入職して患者さんと野球部を作って汗を流し、当直中の他職種と夜中まで和気藹々と話して組織へのジョイニングをして・・・

という講演を聞いて感動したので僕が知っている患者さんをそこの病院に紹介してカウンセリングを受けてもらったら

患者さん「偉そうにしていばられていただけで話聞いてもらえなかったよ」

僕「・・・」

と言われ、話者、講演の上手さ、理念、カウンセリング能力は別物だと悟りました。

ついでに言うなら受けた教育の内容が立派でそれを理解して身につけている人、聞き流しただけではないかと思える人、というのは年齢と関係ありません。

また、他分野から心理職に転換して来る人もいますが、前職の経験、経歴を十分に活かしてカウンセリングをして信頼されている立派な人たちもいます。

馬齢を重ねるだけの心理職になりたくないなあと思う一方、本当に若い新卒の人たちの熱心さにも頭が下がる思いです。

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◯ 第2回公認心理師試験は共感力を測定できたのか?

以前「第2回公認心理師試験は臨床能力を測定できたのか?」という記事を書きましたが、臨床能力の中でも重視されるべき共感力を公認心理師試験は測定できたのか?

というポイントに絞って考えてみます。

以前東京大学教授丹野氏が第1回公認心理師試験内容を評して「共感検出ゲーム」と記していましたが、それは今回の第2回試験でも同様でした。

公認心理師として働く心理職のところにクライエントさんが複雑な問題を抱えて相談に来ます。

公認心理師としては性急に「診断」や心理テストをしたり、勝手な自己判断をする、他機関に紹介するのではなく、まずクライエントさんに共感するという選択肢が正答と思われ、各社解答もそのようになっています。

ただし、臨床現場がそのような原理では動いていないことは確かです。

共感力だけを用いないカウンセリング技法は多くあります。

クライエントさんに生活の中で生起する問題について認知-情動-行動の評定をさせてホームワークとして毎回提出させる手法もあります。

しかし指示を出す時や宿題をクライエントさんが提出した時にきちんとほめて共感できないとカウンセリングはクライエントさんには無機質な苦行になってしまうでしょう。

これは何の流派でも同じことです。

本当は困っていることをクライエントさんが話したいのにカウンセラーが芸術療法、イメージ療法だけをさせるというのはどうかと思います。

また、とある症状で苦しんでいるクライエントさんに対してより苦しい「症状処方」をして問題行動をどんどん増やすように提案する、というのはその人の心を傷つけかねない侵襲性が危ぶまれるカウンセリングです。

統計学を含む基礎心理学、社会心理学、100種類以上の心理検査の特徴を出題するのが絶対に悪いとは思いません。

ただし、受験生のカウンセリング実務における共感力を検出することはできなかった試験だと思いました。

どの領域でも同じですがクライエントさんはカウンセラーの共感を求めています。

司法領域での加害者臨床は共感が困難な分野です。

クレプトマニア、窃盗癖のクライエントさんは行為依存に陥っていてカウンセラーが共感しにくいかもしれません。

ところが「君はたくさん盗みはさたけれど誰も人を傷つけたことはないよね、そこはきちんとしてるんだね」

「そうなんですよ、捕まりそうになったら全力で逃げて絶対に争わないのが大変なんです」

これは立派な共感です。

信じられないような悲惨な虐待経験を語る子どもに「それ、ホントの話?」と聞くともうその子は何も喋らなくなります。

「妄想」は否定も肯定もしないのがカウンセリングのひとつのセオリーのようになっていますが、嫉妬妄想らしい症状は本当にパートナーの浮気の結果かもしれません。

盗聴、盗撮も偏執的なストーカーが行っている場合もあります。

まずクライエントさんの辛い気持ちを受け止めて、信じて共感するということは難しいことですが大切です。

「医療機関はね、事実関係の有無を認定する捜査機関じゃないから」というのは確かに正しい言説かもしれません。

しかしカウンセラーのその言葉に反応して悔しくなり、カウンセリングから脱落していくクライエントさんは多いでしょう。

僕はこの試験は実務的でなく、現実離れした対応が正解となる「ゲーム」に挑戦することだと以前から思っています。

現場経験が長いほど、複雑な思考プロセルを必要とする「共感力」この齟齬に足元をすくわれた受験生の方々も多かったのではないかと思うのです。

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◯ 公認心理師試験に見るクライエント中心主義神話の崩壊

このところカウンセリングのデメリット面についてばかり書いていますが、カウンセリング至上主義に対する謙抑性の大切さは第1回公認心理師試験、特に事例問題の大切な要点として出題されていたような気がしました。

「多職種連携」というのは、独走するな、スタンドプレーをするな、という意味です。

医療、学校では医師や管理職教員が頂点で、スクールカウンセラーは毎日子どもと会っている担任よりも謙抑的、黒子でなければなりません。

さて、職種間連携ばかりではありません。

公認心理師に必須の生物学-社会-心理モデルは日常の臨床活動でも正しいです。

誰が真のクライエントなのか?

目の前にいるクライエントではなく、クライエントが虐待している子どもや家族が真のクライエントです。

社会のルールは本人の心理状態至上主義では動いていません。

裁判所や児相ではよく聞かれる言葉ですが、「◯◯してくれなかったら死にます」というのは脅しかもしれませんし、本気かもしれません。

その主張を1時間以上繰り返す当事者に対し、業を煮やした心理職が「あなたが死んでしまうかどうかは残念ながらそれはこの件の行く先とは関係ありません」と言ったところ「上司を呼べー!」と大騒ぎになるという話は現実にあります。

目の前にいるクライエントは心理職にとってはコンプリメント、賞賛を与えなければならない唯一の対象というのが原則と思われがちですが、原則外のルールはたくさんあります。

個人カウンセリングだけをしているとそのあたりに目が行きにくいです。

クライエント「というわけで飲んでは妻に暴力を振るうのは自己嫌悪に陥って、もう金輪際やめようと反省しているんです」

カウンセラー「何回もお会いしてきましたが、そんな風に思えるようになったのが◯◯さんの良さですよ」

ゆったりとそんな話をしている間に当の奥さんはどんどん気持ちをズタズタにしていき、子どもを虐待しているかもしれません。

奥さんは体も傷だらけになって、怖いので暴力を振るわれて骨にヒビが入っても病院に行かず、シェルターに入ろうとしているまさにその瞬間かもしれません。

カウンセリングの役割が目の前にいるクライエントさんの個人的心理的問題解決だけだと思っているととんでもないことになりかねません。

「やっと職場の上司のパワハラもなんとかかわせるような気持ちになれて受け流せるようになって」

という発言に対し「▽さんもだんだん気持ちが落ち着いてきて冷静になれたんですね」

と言っている当のクライエントさんが毎日ツイッターに上司の名前を実名で書き込んでいて「俺をうつ病にしたパワハラ男だ!」とつぶやいていて、もうその人は社会的に取り返しがつかない状態になっているかもしれません。

学校でいじめ加害者のカウンセリングをしているといじめ加害者の気持ちはよくわかりますが、それを性急に周囲に訴えてもいじめっ子の校内での立場は良くなりません。

家裁や矯正施設での少年たちは更生教育に真面目に取り組んでいても再犯可能性は必ずあります。

司法分野では、世論は必ず加害者を攻撃します。

いくら加害者に対する同情を抱いて、犯罪に至る動機を了解できても社会防衛的視点も必須です。

カウンセリングをすることでクライエントの心情が変化し気持ちが和らいだ、だから周囲がクライエントを理解してくれるようになったというのは理想です。

「カウンセラーがカウンセリングをすることでクライエントさんが社会や家庭から孤立するのを助長している危険性はないの?」

というのは大きな命題です。

カウンセリングのコストについて考えてみます。

カウンセリングは保険外適用だとかなり高額です。

誰がカウンセリング料金を出していて、その人はお金を払うことについてどう思っているか。

カウンセリングを受けるために仕事を休んで来ていることが会社からどんな目で見られているか、それは目の前のクライエントさんが語らないエピソードです。

カウンセリングは時としてクライエントさんを中心に考えるあまり、回りの人がクライエントさんをどんな目で見ているかがわからなくなります。

だからこそカウンセリングという行為そのものがクライエントさんを結果的に追い詰めていないか?をカウンセラーがはっきりと認知しておかないといけません。

要支援者と公認心理師法ではクライエントのことを言いますが、真の支援とは何なのか、カウンセラーがクライエントの立ち位置を危うくして社会や家族からスピンアウトさせていることは多々あると思います。

当事者を巡る関係介入こそが仕事という意味では福祉関係者は専門家です。

病院は家族、職場の意見を聞く場合もありますが、その人たちが患者さんの対立当事者だと双方代理行為になるので医師も心理も本人だけの気持ちを聞くことに終始している場合があります。

多くの病院のルールですが、何百キロも離れた病院まで患者さんを送迎した職場の人を「守秘義務がありますから」と患者さんに対し、職場の人を診察室に入れていいかどうかの意向も聞ずに門前払いする医療側の対応はいかがなものかと思います。

クライエントさんの症状はクライエントさんが置かれている社会的状況によって増悪することもあります。

環境からクライエントさんを守るのか、環境へと介入するのがいいのか、少なくともクライエントさんの言葉の向こう側から環境との関係について敏感に察知することが必要と思うのです。

第2回目試験まで日もなくなって来ました。

一定ラインに達すれば必ず合格できる試験です。

受験生のみなさんは、この試験に要求されている独特のセンスを見切って合格を手にして欲しいものだと思っています。



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