ひなたあきらのおけまる公認心理師たん

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

カテゴリ: HSP

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HSPを売る公認心理師

Twitterで話題になっていますが、HSP(感受性がひどく高く敏感な人)という概念を測定しますというアセスメントを公認心理師が某売買サイトで売り出しています。

北川清一郎先生もそれに近い見解を持っていて、僕もそうは思うのですが、自称HSPの人たちはなんらかの主訴を持っていて、だからHSPという概念で自分の困り感を出しているので、生きにくさは感じているので心理職のクライエントになりやすいかもしれません。

僕は自称HSPの人と会ったことはなく「HSPなんて概念は精神医学的にも臨床心理学的にもありません。」とクライエントさんに論争をふっかけるつもりは毛頭なく、多分目の前にそういうクライエントさんが来たら黙って話を聞くでしょう。

ただし、「ね、自分はHSPに間違いないでしょ?」と言われたらそこには言質を与えないようにお茶を濁して終わりかな?と思うのです。

そう言えば無資格の「HSPカウンセラー」でカウンセリングの予約がいっぱい、半年待ちの人がいたなあと思いつつ、HSP概念は従来拾い上げられて来なかった人たちのカテゴリーとして形作られてきたものなのでしょう。

ただし、これが専門職の「医師、臨床心理士、公認心理師」が「あなたはHSPですね」と言うのは、この科学的にエビデンスがない概念としては全く有り得ないことです。

「あなたはHSPですね。」「HSPの傾向が100人にひとりの割合で強いですね」ということを「公認心理師」が言うのでしょうか?

しかもこの「商品」を見ると「DSM-5に準拠して」と書いてあって、DSMのどこをどうひっくり返してもHSPなんていう概念はありません。アメリカ精神医学会や翻訳している医学書院が聞いたら激怒しそうな内容です。

公認心理師は臨床心理学の専門家であることを認められてその名称を名乗っているのですから、HSPアセスメントを売り物にして金を取るというのは僕の見方からすれば占いやパワーストーンを公認心理師が売っているのと大差ないように思えます。

カウンセリングやアセスメントというのは臨床心理士や公認心理師の業務独占ではないのでそれはそれで自由なのですが、仮にも国家有資格者がHSPアセスメントを売りに出してはまずい、信用失墜行為に当たるのかもしれないと思います。

思えば似たような概念で「AC」(アダルトチルドレン)という用語があります。これは1970年代にケースワーカーが作り出した言葉です。

これもなかなか危険な概念で、自分が引っ込み思案で自己主張できなかったのは「親の育て方が悪い」と信じさせるような考え方で、「自分がこうなってしまったのは親の育て方が悪かったから」というようなものです。

本当にごくごく一部の医師がこのアダルトチルドレン概念を使用していてカルテに「アダルトチルドレンと書く!」医師もいてびっくりしたものです。

これがPTSDのようにエビデンスがしっかりとあって、比較的新しい概念であってもひとつの疾患単位として認められるような概念ならばそこは認められても当然という気がするのですが、アダルトチルドレンは何十年経っても疾患単位にはなりません。

さて、将来的にHSP概念がDSM-5(このインチキカウンセラーがどうやって解釈した方法とは別で)やICD-11に組み込まれていくかというと、HSPという、自己診断かいくらでもできる曖昧な概念は決して疾患単位にはならないと思うのです。

※ 調べてみたら精神科クリニックでもHSP概念を肯定するコラムがあってびっくりしました。

HSPかつASDというような自己紹介をしている人もかなり多いのは知っていますが、本人がそう名乗るのは別に構わないと言えば構いません。

ただし、診断やアセスメントというのは「以下の12項目のうち10項目が少なくとも6カ月以上続いていて、その始まりは6歳以前から」(例)など大変厳しい基準を満たしていないといけません。

その診断の前には限りなく多い症例の集積と科学的論拠があります。

また、心理テストもしかり。きちんと尺度を決めてRCT(無作為抽出割り付け)を行い、莫大なデータを処理して…ということをしないとまともな心理テストとは言えません。

発達障害もよく誤解をされやすいのですがひとつのことに夢中になる。そして素晴らしい業績を上げるような能力を持っている人には天から与えられたGiftedがあるというもので、これに当てはまる人たちもかなり多いのですが、大抵の場合、集中する対象が世間の中で役立つものでなければそれまでです。

結果的に発達障害の人たちは生きにくさを感じながら生活をしていることがほとんどでしょう。

HSP概念の危なっかしいところは繊細かつ感受性に優れていて、芸術や映画を解する能力に長けているというところで、創造性も「基準」に入れてしまっているところです。

誤った概念を公認心理師が流布してその人にマイナスのラベリングをしたり、逆にプラスの価値観を与えるということは大変危険に思えるのです。

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HSP、アダルトチルドレンACへの公認心理師の精神療法

HSPについての記事を4月12日に書きましたが、思ったより反響があったので、いまだ臨床心理学的にも精神医学的にも確立されていないこの概念のメカニズム、精神療法のあり方について考察してみます。

心理職は時として「心理カウンセラー◯◯先生の本を読んで感銘を受けた」という◯◯先生がほぼタレントだったり、ヒーリングの本に感銘を受けたと言われますが、それが疑似科学的なものであってもクライエントさんが信じているものを頭ごなしに否定はしないと思います。

HSP、アダルトチルドレンは学術的概念には永遠にならないかもしれませんが、だから心理職が否定していい概念ではないと思います。

むしろこれらの自覚を持つ人たちの特性を理解して心理職が歩み寄っていき、心理の枠組みの中で出来ること、理解しようとすることが大切だと思います。

AC、HSPの人は自覚していても医師や心理職に対してそう言える人は少ないのではないでしょうか。

HSPの人が情報取り込み過多だという事は定義をする上で述べたのですが、それに加えてその繊細さは自己愛の強さにも関係しているのだと思います。

自己愛というと「ああ、あの人は自己愛が強いから」と悪口のように聞こえるかもしれませんが、人間は通常、自己を肯定する、愛する気持ちがないままで生きていくのはとても難しいことです。

精神分析学者ハインツ・コフートKohut,Hは自己心理学の創始者でもありますが、自己愛を必要なものだと考えていました。

誰しも自己を自分だけで育てることはできないですし、他者からの愛情がなければ人はやっていくことはとても厳しいと思います。

乳幼児が甘えられる母親を転移対象(精神分析学用語)としてとらえるのに対して、HSPやACの人たちはその依存できた部分が生育歴の中で欠落、そして自己対象転移として自分で自分を補うことしか許されない状況の中にあったことが推察されます。

否定され続けると自己愛が弱まっていきます。

しかしその中で内省的な人々は自分に過度に注目をして「自分は何が悪かったのか」「自分にはこの能力が不足している」など、自責的になります。

つまりHSPの人は情報取り込み過多だからこそ、自分についてのネガティブな情報も取り込みます。

そしてマイナス評価や無視はこういった人々に大きなダメージを与えます。

自分を内省的に見られる人がマイナス評価や自己肯定感が乏しい状態に置かれると相当な心理的打撃を受けます。

PTSDになるような刺激を受けてもPTSDにならない人もいます。

周囲の支えや早期の十分なメンタルケア、幼少期からの育ち方の影響が疾患発生に関係していると指摘されています。

こういったレジリエンス(打たれ強さ)を持つ人とそうでない人の差異は多くの研究者の研究対象となっています。

HSPの人がACでもあるとすれば(かなり多くの人々がこの両者の特性を併せ持っていると感じています。)、そのストレスへの脆弱性はどこから来ているのかを知ることが心理職としてはクライエントさんにかかわるポイントになるだろうとも考えます。

まずは日本人が元々持っている生真面目な性格はどこから来るのか?

日本人はストレス対処への弱さとして、ストレス低減物質が弱いセロトニントランスポーターss型か多いと言われています。

そしてこの遺伝子レベルの弱さを強化してしまうのは性格的、というか、感情にかかわる問題解決姿勢だと思います。

つまり、人間は心理的な対処方法として、じっくりと吟味してから物事を決める熟考タイプの人がいます。

決断が遅いと思われてもこのタイプの人は正解を出すまで動こうとはしません。

その逆に試行錯誤を繰り返して感情に任せて次々と正解不正解を出しながら素早く修正していく解決タイプを持つ人もいます。

ACの人は決まった解がない中で幼少期から親の気分次第、周囲の学校社会の中で罰せられてきました。

AもBも時と場合によっては両方とも不正解で罰せられてきたのです。

だから決まった解がわからないまま、時には熟考することを求められ、時には素早く直感で判断することを求められてきました。

人生にはガイドラインがなく、見かけ上提示されたガイドラインはいつも他人に崩されてきました。

そうすると結局、いつもどうやって情報を処理したらいいのかわからず、課題に直面するとどちらのスタイルで対処したらいいのかわからず、自分なりの正解を導き出そうとします。

本人は必死です。

しかし周囲からは気まぐれだというネガティブな評価を受けることにもつながります。

カウンセラーはそれに気づいて「Aさんは一定してないから損をしていますね」とは言えないでしょう。

クライエントさんが自分で気づいて自分の認知として獲得しないと「洞察」は達成できません。

カウンセラーがはたから見ていて「こうだな」と思って指摘したことにクライエントさんがうなずいている、だから納得してしているということは99.9パーセントありえません。

多くのACで育った人、そしてHSPの人はこの不定的な対処をしている、それは認知的に不経済なことです。

臨機応変だから素晴らしいという評価を受けることはあまりないでしょう。

日本人は特にこの傾向が強いと言われています。

情報処理をしていく中で、雑駁に全体像を一瞬でとらえて適度に適当な判断をすれば成功率はそこそこ高くなり(6割ぐらい)あまり悩むことはありません。

しかしHSPの人は細部をつぶさに見て細部と全体像を合致させようとします。

ところが世界はそれほど整合性が取れているものではないので、真面目に受け止めようとすればするほど世界の矛盾ばかりが露呈してわけがわからなくなりがちです。

発達障害、ASDやADHDの人たちはGIFTEDばかりの天啓の才に恵まれているとみなされていれば自分がその傾向があるとわかっていても生きていくことは比較的容易です。

しかしACとして虐げられて阻害されていた人たちがGIFTEDだけを得ることは難しかったのではないでしょうか。

HSP、ACとして育ち、その自覚がある人は血液型占いのように自分流で自己の性格を解釈しているわけではありません。

もっとも血液型も、「真面目すぎるから」「私はいい加減過ぎるから」と自分を責めている人たちもいるので、ステロタイプだからといって頭ごなしにその認知の否定はできず、その人の価値観を知ることに意義は十分にあります。

心理職としては自分をHSPやACだと感じている人の認知をまずは受け入れてそこからその人の痛みや得られなかった無条件の称賛をすることからクライエントさんとの信頼関係を結ばないとならないでしょう。

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HSPに公認心理師はどうかかわれるのか?

(参考記事「HSP アダルトチルドレンACへの公認心理師の精神療法」)

HSP,Highly sensitive person
(高度に感受性が強い、センシティブな人)は1996年にユング心理学者Aron,E,N博士が提唱した概念です。

精神医学的に疾患単位として認められている概念ではないのはアダルトチルドレンと同じですが、HSPの人のその苦しさは相当なものがあります。

実に人口の15パーセントから20パーセントがHSPに当てはまると言われています。

実際に自分がHSPだと自覚している人はわかると思いますが、過度に情報を取り込みすぎるので、その繊細さから傷つきやすいという性格特性を持っています。

こういった情報処理特性HSPは詳細な心理検査でも十分にその特徴や対処法がわかるわけですが、HSPの人はかなり丹念に情報の細部に至るまでじっくりと吟味します。

したがって十分時間が与えられていて判断に時間が与えられていれば問題はないのですが、HSPの人は情報が多量に流入してくると、そのひとつひとつについてきちんと正しい判断をしていこうと思うから苦しいわけです。

現実社会というのは厳しいもので、ひとつ物事を片付けようとして慎重に対処していくとまた次の課題、さらに次の課題が押し寄せてきます。

そうするとマルチタスクで同時進行で多くの事柄をこなさなければならないという状態になります。

これははHSPの人にとっては苦手な状況です。

HSPの人の反対語で、もし何かその人の性格を示す言葉を考えられるならば「雑な人」「いい加減な人」で、情報を取りこぼしてもそれを気にしなければとても楽に生きていられるはずです。

HSPの人は情報処理過程において経済的ではありません。

刺激が与えられると過剰にスキャニングをします。

完全にやり遂げようとします。

そしてその刺激が有害なものであっても精査をして直面しなければならないので傷つきやすくなってしまうのです。

人間の情報処理能力は限られているのですが、場合によっては洪水のように刺激が流入してくることがあります。

対応できないから放置しておけばいいのですが、それほど簡単にはいきません。

そしてHSPがなぜ苦しいかというと、他の障害や疾患と重奏すると、より複雑な精神状態の様相を呈することになります。

よくHSPと重複していて本人が苦悩を訴えるのは発達障害圏の人です。

自閉症スペクトラム障害ASDやADHD、ADDの人は注意が自己に向かいがちです。

だからといって、たとえばアスペルガータイプの人が自分のことにしか興味がないから人からどんな評価をされても構わないかというわけではありません。

むしろ真逆で、ASDだからこそ他者のあてこすりや攻撃的な言辞、からかいを真正面から受け止めてしまい真剣に対処しようと過剰な情報取り込みをしてしまいます。

だからこそASDでHSPという人はとても多く、その傷つきも深いという印象を受けています。

現場で精神医療に携わっている精神科医の先生方や心理職で実感されている方々も多いと思いますが、発達障害、対人恐怖症、強迫性障害、境界性パーソナリティ障害の患者さんたちが抱いている恐怖は妄想に近いけれどもそれとは異なっていて、了解可能なぎりぎりの領域で、心的苦痛が大きいのです。

「あっちで笑っている女の子たち」は患者さんを笑っているわけではなく、昨日見たテレビ番組のジャニーズのタレントの雑談をして笑っているのですが、嘲笑されているのかもしれないという不安は患者さんを強く脅かすことになります。

内科、麻酔科医長嶺敬彦先生が著した「抗精神病薬をシンプルに使いこなすためのEXERCISE」(新興医学出版社)は薬理学の説明にとどまらず、その薬物がターゲットとしている障害、疾患の理解に役立つのでおすすめの一冊です。

たとえばこの本に記されている、統合失調症の人はとても優しい、そして発達障害の人もとても優しい、ただしその優しさの質が異なる、という記述に同感できる医療者や患者さんは多いかもしれません。

統合失調症の人の優しさは境界線がない底なしの優しさ、発達障害の人の優しさは環境の変化に適応できる範囲内で示される優しさで、環境が激変するとパニックやうつ状態になってしまいます。

統合失調症の人たちは溢れて流入してくる情報を別の意味合いに変換させて時には芸術にまで昇華させることがあると長嶺先生は書いています。

境界性パーソナリティ障害の人は情報の嵐を人格にダイレクトに自らぶつけて別の人格を形作るという適応をします。

僕はこのあたりの長嶺先生の記述を読んでいて思うのですが、だから統合失調症の人、パーソナリティ障害の人が苦しまないかというとそんなわけでは決してなく、化学物質が触媒に触れて激しく反応、場合によっては燃えたり爆発することすらあります。

彼ら、彼女たちもいまだ疾患単位ではないHSPとして情報の雪崩に苦しんでいる場合が多いのではないでしょうか。

その反応形式は精神分析的に言うと防衛機制ということになるのでしょう。

ASDの人は大量の情報がやってくると、ネガティブなものですらそのまま受け止めようとします。

だから境界線を越えてやってくる刺激に脆弱になってしまうわけです。

ここで長嶺先生の解説を要約しながら僕の解釈で説明しますが、ドーパミン神経は基礎分泌であるtonic相という、自他の境界を最も深い部分で分けている境界線があります。

一番侵入されたくないプライベートな部分で、発達障害の人はtonic相に侵入されると危機的な状態になります。

反面表層的なphasic相のドーパミン神経は、発達障害の人はその境界が表面上は薄いです。

発達障害の人は正直で率直、親しげに人の悪意に気づかずに薄いphasic相で接するので、情報をtonic相にまで受け入れてしまうことになります。

tonic相の内側でドーパミン濃度が低いことはGrace理論で説明されています。

ただしこの2つの境界線は周囲にはわからないし、本人にもわからないのでASDのHSPの人は情報過多になって初めてそれと気づくのです。

遺伝的因子や脳内物質に言及します。

公認心理師試験にも出題される可能性があると思います。

脳由来神経栄養因子BDNF brain derived neurotic factorは統合失調症感情障害の患者さんでその遺伝子多型(ハロタイプ)が見受けられると言われています。

BDNFはPTSDで欠乏するという研究結果があるということを以前書きました。

感情障害でもおそらく欠乏するでしょう。

そして疲れ切ってクタクタになってしまうということになります。

双極性障害と統合失調症は遺伝的に近接しているという事実はDSM-5でゴールドスタンダードとして認められるようになりました。

クエチアピンフマル酸塩(商品名ビプレッソ)が、服薬コンプライアンス、遵守にも有用として双極性うつの患者さんのために開発されていて、日本でも認可されています。

また、2018年4月にブレクスピプラゾール(商品名レキサルティ)が発売されました。

ブレクスピプラゾールはドーパミン受容体とセロトニン受容体にパーシャルアゴニスト(物質の異常分泌が認められると鎮静化させる)、またアンタゴニスト(遮断)作用もセロトニン受容体に対してあります。す

アリピプラゾール(商品名エビリファイ)を飲んですーっと落ち着いた患者さんを見て薬というのは大したものだなあと処方した医師のチョイスと投薬量のセンスに感心したものですが、アリピプラゾールのさらに進んだ形としてのブレクスピプラゾールにはさまざまな疾患への適応が期待されています。

新薬開発、認可はそれ自体が患者さんの良好な精神状態を安定させるのに資することになるのは言うまでもないのですが、よく知られているように、精神病圏に使用されるよりもごく少量の抗精神病薬の投与は発達障害の方の安定につながります。

精神薬理学を理解することによって医師の投薬哲学、そして患者さんの病態について理解することができるという記事を従前に書きました。

公認心理師試験に必出の脳科学、精神薬理学、精神疾患の知識は現場でも必須です。

HSP特性はASDや精神疾患患者さんだけでなく、その性格的特質を持つ人々にとっては苦悩を与えます。

患者さんは自分のことをとてもよく勉強しています。

HSP概念が今後パーソナリティ理論にどのように取り入れられて発展していくのか、障害と疾患と生物学的基盤の関係は何なのかということについて専門家が知っておくことはとても意義があります。

ともすると素人理論ではないかと誤解されやすいですが、僕自身の臨床経験からは情報処理様式としてのHSP概念の理解は有効と考えます。

今後研究が進んでいき、その最前線の知見を得ておくこともまた心理職の責務でしょう。

※ 認知・情報処理理論については「ロールシャッハテスト 包括システムの基礎と解釈の原理」金剛出版 を参照しました。

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