カウンセラーひなたあきらが公認心理師について考えてみた

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。 ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata★gmail.com(★を@に変えてください。)

カテゴリ: 依存症

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公認心理師は依存症の結果にコミット

依存症の精神療法は難しくてそう簡単にかかわれない、という感想や印象を持つ心理の人は多いと思い書いてみます。

日経メディカルのメルマガで東京医療センター尾藤誠司医師がコラムを医師の立場から書いていました。

尾藤医師は依存は分散されていれば健康に近づくという説を紹介したり、ワーカホリックや世論の中の「正義」を声高に叫ぶ人を正義依存症と呼んだり、興味深い記事でした。

対象にコミットし続けることが社会的に有益だとみなされる構造そのものの問題性についても言及していました。

あちこちで依存症について書かれる、ご存知のようにWHOではゲーム依存gaming disorderをICD-11で正式に疾患単位として採用、依存症は今精神療法の対象として熱い注目を浴びていて、はっきりと公認心理師への期待が語られています。

そこで公認心理師の依存症への役割を再考してみたいのですが、アディクション、依存専門の松本俊彦医師の「依存症は心理にはオイシイぞ」というような内容のコラムも以前に本ブログ中で取り上げてみました。

経営学用語では「責任を取って努力をして成果を出すことを約束する」ということを「コミットする」commitmentと言います。

難治性疾患である依存症にこれを求められると医療者や心理職は相当なプレッシャーになるわけです。

さあ全力で治療しますとフルコミットで責任を取る約束をしたらかなりの重圧でしょう。

精神医学の世界では薬理学がなんとかできる疾患は町のクリニックでも割とコミットしやすいのですが、依存症には特効薬は何もありません。

物質依存でも行動嗜癖でもそうです。

強迫行動(これはSSRIが奏功がある場合があると言われていますが)、摂食障害、自傷のような一種の行動依存や対人依存、関係依存になるともうどうしようもない。

依存という厳密な用語の定義に収まるかどうか、その行動や嗜好が多種多様に分散されて、その人がしがみついて離せない社会的にためにならない価値観というものに出会うことは心理職ならばたくさんあります。

さて、尾藤医師が「依存症は果たしてそんなに悪いことなのか?」という命題を出していました。

これはそのとおりで、物質依存の場合だと健康を害しますよ、寿命を縮めますよとどんな専門家が言っても聞かないクライエントさんはいます。

「うるさい、俺は俺の好きなように生きて行くんだ」と治療的接近が困難なクライエントさんを救命するためには、公認心理師試験で出題されていたように強制力を動員、クライエントさんの主体性を無視してでも依存から離脱させることは治療のセオリーかもしれません。

しかしながらこれについてはかつていろんな精神科の先生方が書いていたのですが、依存症の結果として寿命を縮めたり破綻するのも本人が決めるのならばそれもまた一つの選択だと。

治療への不従順、治療アドヒアランスの欠如で服薬コンプライアンスを守る気がないとか、脳梗塞で失行失認失調半側空間無視の状態や認知症になっても運転をしちゃうとか、そうするともうコミットしようがないわけです。

行動嗜癖で死にそうになっていたり、対人関係共依存でDV男性としか付き合えない女性がいたりして「そのままだと破滅しちゃいますよ」と言われて「だって、だって、デモデモ」となっている人の目が覚めるように仕向けるのは難しいです。

犯罪更生プログラムRNRでもリスク、ニード、レスポンスィビリティという、犯罪リスクに処遇密度を合わせ(リスクを読み間違えて間違った密度ではいけない)、犯罪誘発要因に働きかけます。

そして処遇応答性を最大限にするためのプログラムを認知行動療法に基づいて行うというものです。

プログラムでやることははっきりとしていますが、実際には犯罪における加害者臨床、問題意識の薄い依存症へのかかわりはとても困難です。

さて、心理学にもどんどん周辺諸科学の知識が必要になってきていてなにがなにやらという感じですが、「結果にコミット」と某CMで有名になったcommitment概念ですが、この用語はIT技術でも使われています。

データベース処理を全て終わらせるのをcommitmentと言い、うまくいけばいいわけです。

ITは人間よりも比較的結果を出しやすい、もしうまく行かなければ戻ってロールバック処理を行えばいいわけです。

それじゃ、依存症に向かう公認心理師は今後どうやってカウンセリングをすればいいかというと、僕はなんでもいいと思うわけです。

そういうといい加減に聞こえるかもしれませんが、僕のところに来るまで数名のカウンセラーのカウンセリングを経てきたクライエントさんの話を聞くとよくわかります。

クライエントさんは心理職の流派は実は比較的どうでもいいのです。

どれだけ自分のためにきちんと熱心にfull-commitしてカウンセリングをしてくれたかが有効に症状を穏やかに治める力になります。

芸術療法でも精神分析でも認知行動療法でもいいのです。

どんな学派でもそれぞれに立派な先生も素晴らしい治療家もいます。

カウンセリングルームの中という限定された空間の中の切り取られた時間は、カウンセリングの進み方によってはクライエントさんには永遠に気持ちの中に残るものになります。

クライエントさんの治癒力や人格的な長所を信じて真剣にカウンセリングに当たることがクライエントさんを心強くすると思うのです。

クライエントさんが「あのカウンセラーの先生はとても頼りになって良かった」と言う時、精神療法の技法や技術も大切ですが、そのカウンセラーはクライエントさんから、カウンセラーの人間性とそして仕事に対する熱意も評価されているのです。
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◯ アダルトチルドレンと依存をめぐる諸問題

アダルトチルドレンを生み出す機能不全家庭は物質依存だけにその問題はとどまっているわけではありません。

解決がとても難しいのは対人関係にかかわる関係依存、これが子どもをめぐる問題をより複雑にします。

依存症になる親、そしてそれを容認するもう片方の親、両方とも子どもをアダルトチルドレンとして育てることに加担しています。

片方の親がもう片方の親のすることを消極的に容認してしまったのは10歳の心愛ちゃんが亡くなった事案でも同じです。

父のすることを母親は怖くて何も言えないでいました。

母がもっと積極的に「私がいなくちゃこの人はダメになってしまうから」という救世主、メサイアコンプレックスに陥った家庭の中の子どもは悲惨です。

「ごめんよ、俺はなんとか立ち直るよ」という父に対して泣き合って抱きしめあって理解を表面上して解決をする夫婦、この時妻はイネイブラー、依存のエネルギーのガソリンタンクとして機能しています。

さて、この時に子どもはどこに置き去られているのでしょうか。

果てしなく繰り返される恐怖の家庭の中で何も希望も変化もなくなっていく毎日です。

夫婦の共依存状態、不健全な関係性への依存と置き去りにされた子どもです。

PTSDがDSM-5になってその特徴として、不機嫌な感情とその爆発性が特徴として示されるようになりました。

加害者が父親とは限りません。

母親であってもアダルトチルドレンとして育った母親が食卓をひっくり返し、皿を投げつける、そしてその感情をどうすることもできなくて自ら嘆き泣きじゃくることはAC連鎖家庭の中では珍しくありません。

アダルトチルドレンはある意味サバイバルゲームに似ています。

その場から離脱しないと心身の健全さは保てません。

しかし力ない子どもがいったいどうやって抜け出したらいいのでしょうか。

アダルトチルドレンはいつもいい子であり続けようとします。

毒親には満点の成績のテストを持ち帰り、学校では笑顔の仮面を保ち続けなければなりません。

自分を嫌いになったACの子どもは大人になっても自らを罰し続けていないとならなくなってしまいます。

過食で健康を失う、無謀な運転で命を危険に晒す、どれも自分への罰です。

成功を禁じられているので家庭という鎖を離れたら、ある時を境として学校、あるいは仕事からスピンアウトします。

何もできない、何もしないという果てしない気分障害のうつ状態の中で過ごします。

女性であれば彼女はいい結婚もパートナーも選びません。

魅力的な彼女に言い寄ってくる紳士的でいい人に対して「ふさわしくない」と断ってしまいます。

彼女は自分が幸せになることを許すことができません。

いつも笑顔で性格もよく人当たりのいい彼女をとらえるのはストーカーまがいの男性です。

「交際するまでつきまとってやる。酷い目にあわせてやる。居座ってやる」

彼女は「そこまで思いつめて私を必要としてくれるならば」と不幸な対人依存を選びます。

こうやってまたアダルトチルドレンと依存の連鎖は始まっていくのです。

今回に限らず一連の児童をめぐる事案にはアダルトチルドレンの問題が背後にあったとしても決しておかしくはないでしょう。

果てしない孤独感、そしてそれをどうにもできないもどかしさ、過剰な努力、落ち込み、空虚感、苛立ち、これらはアダルトチルドレンの人々に共通した負の感情です。

何が起こっていたのか、そして自分は何なのか、ACの人々はまず自己認識をはっきりとさせておかないと次の癒しのステップに進むことは困難です。
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◯ 依存症に公認心理師を活用できるの?

公認心理師制度が創設されたことで、ギャンブル団体を含む様々な方面から、公認心理師の活躍を期待する声が出ています。

公認心理師にはギャンブル依存を食い止めて欲しい、治して欲しい。

また、公認心理師推進ネットワークVoice には国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所薬物依存研究部 部長/自殺予防総合対策センター 副センター長
松本俊彦医師が「私は臨床心理士に期待している」という文章で、「薬物依存臨床は『おいしい』ぞ!」というタイトルで心理職への依存症治療への期待が語られています。

そこで僕が思うのは「ちょっと待って、公認心理師という制度ができたということは心理職を国家資格にしたわけで依存症の専門トレーニングが行われたわけではない。どうしてそんな話になるの?」という素朴な疑問です。

松本先生の文は面白くて好きなのですが、医師はドリフターズ診察しかできない、「眠れているか?死にたくないか?宿題やれよ、また来週!」だから心理に本格的な依存臨床を任せたい、依存治療研究をすれば立派な論文も書ける、それはその通りだと思うのです。

それでは予算は?心理職が依存症治療にマトリックス・モデル、動機付けが低い依存症患者への動機付け面接を行う、SMARPPやCRAFT(Community Reinforcement and Family Training)を行うことが可能なのはそれだけの先進的治療を行うことが可能な教育研究機関で研修を受けなければ無理ですし、依存症対策の臨床家の心理職をどんどん留学させてくれるの?国内でもいいから公費負担で学習できるの?というとそんなことはないわけです。

公認心理師制度が発足したからといって、松本先生が期待しているように保険点数に心理職の関与が算定されるかどうかはわからないことです。

依存症専門の病院も多いですが、セルフヘルプグループ、自助団体からの脱落者も多いです。

依存症も細分化されていて、物質嗜癖addictionのほか行動依存として買い物やゲーム依存もあって、依存症治療だけでもとても手は回り切らないでしょう。

「国からこれ以上出す金はない、公認心理師制度ができたから関係団体は心理職からカネを取る、国民は期待しているからそれを受けて自腹で学習して治療に当たれ。」

公認心理師が創設されたことで国民の期待が高まっているという雰囲気はクライエントさんを通じても確かに肌に感じます。

クライエントさんは治りたい、治したい、家族は病識がない患者さんが死ぬ前になんとか直して欲しい。

そういった期待は臨床の現場にいる心理職は痛いほどわかるでしょう。

エビデンス・ベースド・モデルでない精神分析で箱庭でも患者さんはどんどん良くなっていますし、その検証も行われつつあります。

僕も心理の端くれとして、全く違った技法で過食も物質依存にも効果的なアプローチや研究ができるだろうという自信はありますが、それはなんらかの時間的な余裕やチャンスが与えられれば、の話です。

CBT認知行動療法モデル研究ならそれをやってみる、RCT(無作為抽出試験)で効果検証をやる、他の方法もやってみる、研究の予算も時間も十分に取った上で心理職に力をつけさせないと難しい課題を目の前に突きつけられています。

栄養は与えないけど全力疾走してねと言われるだけで、公認心理師関係団体がそれじゃやりましょうと安請け合いしないことを望むばかりです。

この制度はあまりにもぐらつきがまだ激しい。

少しの刺激がシステムの根幹を揺るがすようなことが、あってはならないと考えています。


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