ひなたあきらのおけまる公認心理師たん

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

カテゴリ: 公認心理師

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公認心理師・臨床心理士「やってはいけないこと」=多重関係なのはどうして?

1.はじめに

一昨日Twitterのスペースで「公認心理師と倫理」のタイトルで話をさせてもらったばかりなのですが、心理職には明文化された、あるいは暗黙のうちにやってはならないルールのようなものが満載です。どんな行為をなぜ、どうしてやってはいけないのかということについて僕なりに考えたことについて触れたいと思います。

2.関係性

⑴ 恋愛感情をともなうもの

これはやはりまずいのですが「何が多重関係か?そしてなぜまずいのか」について考えると際限がありません。

恋愛感情をお互いに抱いて行動化してしまえばまずいのは想像はつくのですが、以前行政関係のお偉いさんから話を聞いた時「お互い独身だったら結婚してもいいんじゃない?」と言われて、一般的な感覚というものはそういう人もいるのかなあと思ったものです。

実際のところ、クライエントさんというのは自分が既婚者であってカウンセラーが既婚者であっても熱烈にカウンセラーのことを好きになってしまうと「かなわぬ恋」になってしまうことになります。

どんなに恋焦がれてもその欲求は実現しません。ここでひとつクライエントさんは傷つきを感じるのですが、その恋愛感情が満たされない時にもし究極の関係性をカウンセラーとクライエントが結んでいたらどうなるのでしょうか?

噂なので本当かどうかわかりませんし、作り話なのかもしれませんが、昔、とある既婚者の男性カウンセラーが女性クライエントとお互いにそういう関係になってしまいました。女性は「○○先生とは来世で一緒になれるものと思っています」と書いて自害してしまったのです。

そこで女性の配偶者は激怒して訴えたというものです。

これが一番強烈に記憶に残っている話なのですが、クライエントさんはカウンセラーのことを好きになったとしてもそれがかなわないことを知っているからまずそこで痛みを覚えます。

そして次に関係を結んでしまったら次は関係を断ち切らなければならないということで二重に深く傷つくことになります。

クライエントさんはひどく繊細なので「恋愛感情を持ってしまった」「好きと言ったけどそれが受け入れられなかった」ということだけでカウンセリングから離脱してしまうことがあります。

これが性的多重関係になってしまったらどうでしょう。ニュースにもなったので2例ほど知っているのですがクライエントさんには深い怒りの感情が湧いて来ます。

それは「利用された」というもので、相当な怒りを抱くことは想像に難くありません。医療倫理の4原則「傷つけない」を大きく逸脱してしまっているのです。

こうなるともうカウンセリングの行為そのものどころか人と人としての信頼関係も崩れてしまうでしょう。

僕の今までのカウンセリングの経験からは加害者臨床、子ども、男性が多く、たまにクライエントさんが女性だったとしても風采の上がらない貧相な男で良かったと思います。

女性クライエントには慣れていないのでたまに出会うことがあると、とても苦手な意識を感じます。みなさんがどうしてやり過ごしているのか知りたいぐらいです。

相手をカウンセリング関係を超えて好きにならせるカウンセリングは侵襲性があるとも思うのですがそこをどう乗り越えて行くかはとても難しいことです。

成田善弘先生の「青年期境界例」では若い男性から恋愛感情を寄せられた事例が書いてありましたが、成田先生は全く動ずることなく堂々とした態度を取っていて、息を飲むように読んだのを覚えています。あれは正に名人芸の域に達しているから可能だったのでしょう。

⑵ 友情を求められる

ひどく高価な品物を送りたいと打診されて(住所を聞かれたので)断ったことがあります。

また、飲みに行きましょうよ、食事に行きましょうよ、お茶でもどうですか、おごりますからと言われたこともありますしおごってくださいと言われた経験をしたことのある人も多いでしょう。

狭い街に住んでいると(僕も多々経験がありますが)街中でクライエントさんに会うことは多いです。そんな時も誘われることが多いですし延々と終わらない立ち話をされるのも困ったなあと思いながら切れなくなったこともありました。

⑶ 携番

携帯の番号を僕は同性には教えることが多いです。クライエントさんがかなり重度で命にかかわっているけれども手立てがない時、あるいはカウンセリングを受けたくて仕方ないけれどもなかなか予定が決まらない人の場合で、苦渋の決断をしています。

「友達じゃないんだから携番教えるのやめろ」と言われたこともありますが、大抵のクライエントさんは自制して連絡をしてこないのですがその結果夜中、早朝に電話がかかって来るのを覚悟しています。

高名な精神科医に「死んだ」って電話と「死ぬって電話とどっちがいい?」と聞かれたこともあります。

3.おわりに

何が多重関係かそうでないかは、はっきりとしたものから境界が曖昧なものまでさまざまにあります。心理職の倫理については考えても明確な答えがなかなか出ないと思っているのです。

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HSPを売る公認心理師

Twitterで話題になっていますが、HSP(感受性がひどく高く敏感な人)という概念を測定しますというアセスメントを公認心理師が某売買サイトで売り出しています。

北川清一郎先生もそれに近い見解を持っていて、僕もそうは思うのですが、自称HSPの人たちはなんらかの主訴を持っていて、だからHSPという概念で自分の困り感を出しているので、生きにくさは感じているので心理職のクライエントになりやすいかもしれません。

僕は自称HSPの人と会ったことはなく「HSPなんて概念は精神医学的にも臨床心理学的にもありません。」とクライエントさんに論争をふっかけるつもりは毛頭なく、多分目の前にそういうクライエントさんが来たら黙って話を聞くでしょう。

ただし、「ね、自分はHSPに間違いないでしょ?」と言われたらそこには言質を与えないようにお茶を濁して終わりかな?と思うのです。

そう言えば無資格の「HSPカウンセラー」でカウンセリングの予約がいっぱい、半年待ちの人がいたなあと思いつつ、HSP概念は従来拾い上げられて来なかった人たちのカテゴリーとして形作られてきたものなのでしょう。

ただし、これが専門職の「医師、臨床心理士、公認心理師」が「あなたはHSPですね」と言うのは、この科学的にエビデンスがない概念としては全く有り得ないことです。

「あなたはHSPですね。」「HSPの傾向が100人にひとりの割合で強いですね」ということを「公認心理師」が言うのでしょうか?

しかもこの「商品」を見ると「DSM-5に準拠して」と書いてあって、DSMのどこをどうひっくり返してもHSPなんていう概念はありません。アメリカ精神医学会や翻訳している医学書院が聞いたら激怒しそうな内容です。

公認心理師は臨床心理学の専門家であることを認められてその名称を名乗っているのですから、HSPアセスメントを売り物にして金を取るというのは僕の見方からすれば占いやパワーストーンを公認心理師が売っているのと大差ないように思えます。

カウンセリングやアセスメントというのは臨床心理士や公認心理師の業務独占ではないのでそれはそれで自由なのですが、仮にも国家有資格者がHSPアセスメントを売りに出してはまずい、信用失墜行為に当たるのかもしれないと思います。

思えば似たような概念で「AC」(アダルトチルドレン)という用語があります。これは1970年代にケースワーカーが作り出した言葉です。

これもなかなか危険な概念で、自分が引っ込み思案で自己主張できなかったのは「親の育て方が悪い」と信じさせるような考え方で、「自分がこうなってしまったのは親の育て方が悪かったから」というようなものです。

本当にごくごく一部の医師がこのアダルトチルドレン概念を使用していてカルテに「アダルトチルドレンと書く!」医師もいてびっくりしたものです。

これがPTSDのようにエビデンスがしっかりとあって、比較的新しい概念であってもひとつの疾患単位として認められるような概念ならばそこは認められても当然という気がするのですが、アダルトチルドレンは何十年経っても疾患単位にはなりません。

さて、将来的にHSP概念がDSM-5(このインチキカウンセラーがどうやって解釈した方法とは別で)やICD-11に組み込まれていくかというと、HSPという、自己診断かいくらでもできる曖昧な概念は決して疾患単位にはならないと思うのです。

※ 調べてみたら精神科クリニックでもHSP概念を肯定するコラムがあってびっくりしました。

HSPかつASDというような自己紹介をしている人もかなり多いのは知っていますが、本人がそう名乗るのは別に構わないと言えば構いません。

ただし、診断やアセスメントというのは「以下の12項目のうち10項目が少なくとも6カ月以上続いていて、その始まりは6歳以前から」(例)など大変厳しい基準を満たしていないといけません。

その診断の前には限りなく多い症例の集積と科学的論拠があります。

また、心理テストもしかり。きちんと尺度を決めてRCT(無作為抽出割り付け)を行い、莫大なデータを処理して…ということをしないとまともな心理テストとは言えません。

発達障害もよく誤解をされやすいのですがひとつのことに夢中になる。そして素晴らしい業績を上げるような能力を持っている人には天から与えられたGiftedがあるというもので、これに当てはまる人たちもかなり多いのですが、大抵の場合、集中する対象が世間の中で役立つものでなければそれまでです。

結果的に発達障害の人たちは生きにくさを感じながら生活をしていることがほとんどでしょう。

HSP概念の危なっかしいところは繊細かつ感受性に優れていて、芸術や映画を解する能力に長けているというところで、創造性も「基準」に入れてしまっているところです。

誤った概念を公認心理師が流布してその人にマイナスのラベリングをしたり、逆にプラスの価値観を与えるということは大変危険に思えるのです。

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#公認心理師フェス

そもそもおかゆ先生の呼びかけで始まったTwitterの公認心理師フェス、それは果たして本当に「なんとなくトレンドで始まった」ものなのでしょうか。

一回トレンド入りをしましたが心理職、公認心理師の力はまだまだ弱く、公認心理師の知名度は低いままです。僕は事務方の人なんぞに33年にわたる「臨床心理士」の資格名も何度「心しょう心理士?」(漢字不明)と呼び間違えられたことか。

ましてや設立されたばかりの「公認心理師」の名称が一般に広がるわけではありませんでした。Gルートの人は現任者講習会、交通費、ホテル代(会場によっては)受験料、勉強のための書籍と莫大な時間を費やし、さて、何が得られたのでしょうか?

わずかに聞こえて来るのは5千円程度の資格手当、臨床心理士と公認心理師のダブルホルダーでないと新卒を採用しないというアドバンテージ(ディスアドバンテージ?)、ストレスチェック実施者などなどまだまだ知名度も有効性も十分とは言えません。

臨床心理士たちはこの国家資格をまるで生死にかかわるものであるかのように必死で取得しました。

そして知名度や役割が劇的に変わったわけではない。他職種Gルートの人たちに話を聞いていても「心理スピリッツを生かせるいいところがあった。実用性もある」人と何も変わらなかった人に分かれています。

そもそも試験や試験制度に関する不平不満も最初から出ているわけで、心理療法の創始から現代心理療法まで脈々と受け継がれている精神分析が出題されない、心理テストの王道であるロールシャッハも出ないとないない尽くし。

その代わりに大学院でも習ったことがない難問奇問が目白押しで、医学分野で働く心理職が司法分野を勉強しなければならなかったり、その逆もあり、目まぐるしく毎年変わる法制度が重要分野として出ていたりと批判も多い試験であるわけです。

さて、Twitterでは流行語としてトレンド入りしても一瞬で消えてしまいました。北川景子さんが頑張ったとしても世間とはこんなものでしょう。

それどころか僕は

何十回も書いているのですが職能団体仲間割れ、勝手に上位資格を作る始末です。

もうね、何と言ったらいいのかわからないほど内輪揉めをして迷走錯綜している資格なのです。

外からの知名度が今ひとつ今ふたつならばせめて内部でまとまりましょうよと多くの公認心理師が声を大にして言っても、この制度を改悪しようとしていると思えるようなお偉いさんたちの動きは変わりません。

この公認心理師資格の名称が世の中に根付いていくにはきっと何十年もかかるでしょう。

それどころか心理職の悲願だったこの国家資格はいろんなものの乱立で安物の資格になってしまうかもしれません。

世の中には別に院卒が条件でなくても、実務経験を積んだということでも付与される立派な資格がたくさんあり、国家資格の歴史の長さという認知度が公認心理師よりも世の中に有用性が国民に認められている資格は山ほどあります。

だからこそおーい、仲間割れしていないできちんと協働協業していかないと官側からも国民からも見捨てられてしまう資格になってしまうぞーということに強い危惧感を抱いているのです。

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○ 公認心理師・臨床心理士資格持ってても心理職なるのやめてもいいじゃない?

1.はじめに

心理資格ホルダーだからといって心理職にならなければならないという決まりはありません。

実際、僕の出身学部はどえらい先生が臨床ゼミ教授だったのですがそこから院に入院した人は全体の4分の1ぐらいでした。さっさと見切りをつけたのでしょう。

これはこれでなかなか賢い選択だと思います。一般就職の方が待遇が心理就職より2倍ぐらい良かったりしますし、まず非常勤採用というのはありません。世の中を見た時に文系院卒というのはもうそれだけで世捨て人のようなもので、一般就職すると臨床院卒で資格持ちでも西洋哲学科で中世河川研究者のような扱いをされてしまいます(誰?)。

2.それでは公認心理師・臨床心理士資格ホルダーはどうしたらいいの?

⑴ 公務員

別にどうもしません。事務仕事をする公務員試験や教員採用試験ならば資格ホルダー、それだけで加点がある場合もあります。公務員試験は資格を持っていると「勉強した。熱心だ」という評価をもらえてなかなかうまみがあります。

⑵ トリプル資格ホルダー

世の中を見てみるといろんな変わった人もいます。昔臨床心理士名簿を見た時に社会保険労務士と臨床心理士を兼ねている人もいました。心理をバックボーンに持った人事労務関係の専門家がいてもいいではないですか。

司法書士や行政書士でも構いません。かなり複雑な人間関係の紛争も扱うのでなかなかいいかもしれません。

また、車好きな人なら整備士をやってもいいのですし、危険物取扱主任者を取って(元から持っている人も)ガソリンスタンドで働いても構いません。心理よりも好きなことがあればそれを仕事にするのはその人の幸せにつながります。

⑶ 資格が要らない特に心理とは関係ない仕事

これも「好きな仕事」をやってもいいわけですし「そこそこ向いてそうな仕事」「まあやってやってもいい仕事」「ヤダけどまあやるか」という仕事でもいいわけです。

僕の友人は(脚色あり)学部で国語教育を専攻、日本語教師としてアジアの国々を渡り歩き、ヨーロッパの某国で日本語教師をやりながら結婚してついでに現地の大学院に行ってなぜか帰国して大学で外国文学を教えています。

ふらふらするマージナルマン(境界人)としての放浪をしてもいいのです。

また、これも心理とは全く関係ない世間話で聞いたことなのですが、学校(高校でも大学でも)、どこかの企業をリストラされて、工場でラインで製造の仕事をしていた、真面目にコツコツ働いているうちにいつのまにか職工長から支部の工場長まで上り詰めてそして中小ながら役員にまで出世したという人を2人ほど知っています。

外食小売は仕事は厳しいけれども生き残って働いているとすぐバイト→正社員のお声がかかります。

⑷ 成功を目指さなくたっていいじゃない

臨床心理士・公認心理師として大成功を収めてアカポスをゲットする人はごく数パーセントです。

ちなみに開業心理士として働いて成功する人も全体の数パーセントと言われているとか…

普通に普通の生活を目指すのは心理職のみなさんならばこの仕事をやっていれば当たり前のようにわかっていることなのですが、さて、別にさまよっていたっていいじゃない?

と思うのです。僕なんぞはもう開業の不安に駆られて部屋の中をもらってきた段ボールで散らかしっぱなし、不安のあまり毎日TikTokや YouTuberを見ている毎日です。

「自分を売り込む方法を見つけなければ!」と思って見ているいるわけでもなく、簿記とかホームページ作成の勉強でもすればいいのですが、ただ単に逃避行動をしているだけです。

開業しようと決めた時、もしうまくいかなかったらいかなかったでいいじゃない?今の日本でまあ野垂れ死ぬことないよね?と言ったら開業の先輩に「そうそう、よく言った!」と、ほめられたのかなんだかよくわからない反応をされました。

僕自身、心理の仕事で食えないなあと思ったら以前やっていたように飛び込み営業のきっつい仕事をすることになるかもしれません。

住居兼事務所は県庁所在地にあるので高っかい家賃を支払わなければならないのですがまた田舎にでも引っ込んで細々と何かの仕事をやってもいいでしょう。

そう言えば(脚色あり)某大病院の昔からの知人看護師長が旦那さんの転勤やら家庭の事情で退職します。

僕:○○さんほど経験があったらどこの病院でも雇ってくれるでしょ

看護師長さん:ヤダ

僕:え、でももったいないじゃない

看:検品とかの仕事やりたいわあ。コツコツと作業するの

僕:○○さん、そんなに人間にかかわるのもうイヤになっちゃったんだ…

看:うん

※ と、このように人間いろいろな道があるので資格ホルダーだからといってその仕事をしなくてもいいのです。

4.おわりに

ちっとも終わらないのですが医師資格を持ってあまりに医師は神経を使うからと給料4分の1ぐらいの事務員(管理職でもないただのヒラ)をやっている人も思い出しました。

人間どんな道を選んでも自由、無理せず気楽にやればいいんじゃないでしょうか。

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○ 僕という臨床心理士・公認心理師は「性格が悪い」のか?

1.はじめに

心理職をしている人ならば自分がクライエントさんの目にどう映っているのか気になるのではないでしょうか。いかに論文や学説を学んでいても「医療倫理の4原則」、無危害原則で相手を決して傷つけないことが守れているのか思い悩む人も多いと思います。

それが自分の技量や経験不足ならば「もっと頑張らなくては」と思うのですが、自分の性格に起因するものならばそれはなかなか直しようがないところに恐れを僕は自分自身で感じているのです。

2.これが「性格が悪い」と思わせているのか?

⑴ 早すぎる解釈・介入

医師は精神科に限って患者さんにはっきりと病名を告げないことがあります。僕も医師が告知していない限り病名を言うことは越権行為と思っているのでしませんが、それが患者さんに不満を抱かせることも知っています。

あるいは…心理職の面接はある程度見立てを基に行っています。昨今の患者さんはとてもよく自分の疾患について勉強していますし、治療方法についても知っているのです。

例えばそれが「人格障害」だったら。僕も境界性パーソナリティ障害と診断されている人にそれなりの面談をすることがあります。

しかし敏感な患者さんはそれを見抜き「自分は人格障害だ」とカウンセラーから指摘されたようなショックを受けるかもしれません。

思えば「人格障害」というのは大変重いスティグマ(烙印)です。それをカウンセラーから匂わせることは、いかに効果的な精神療法であっても受け入れられないことです。

大刀はズバリと患部に切り込むことに成功すれば素晴らしい効果があるかもしれません。しかしながらそれが患者さんを深く傷つけてしまったら、または外れたところに切り込んでしまったら、それは侵襲性のかたまりでしかありません。

そんな時に患者さんは僕のことを「性格が悪いととらえる」ことは容易に想像できます。

⑵ 「短気」「決めつけ」と思われる

僕の勤務する「産業−医療」領域の医療機関には精神科医がいません。そこで希死念慮が高い患者さん、未遂患者さんをどうしても家族の了解の下(医療保護入院を視野に入れて)本院の精神科に受診させるように努力することがあります。

「精神科」というのは通常人にとってはとても敷居が高いものです。カウンセラーは守秘義務を持っていると思ったらいきなり家族に連絡すると言われる、不信感の基になります。

現任者講習で話題になったそうですが大変危険な任務について多くの人命を預かっているクライエントさんが何も考えられないほど不眠でふらふらしていたら…これは通告義務があるのではないでしょうか。

アメリカのタラソフ判決では医師が「タラソフさんの命を奪う」と言い切って、医師が守秘義務を優先したためにタチアナ・タラソフさんは絶命しました。医師は莫大な賠償金を払うことになりました。

守秘義務というカウンセラーの伝家の宝刀が守られない時にもクライエントさんは僕のことを恨んでいるかもしれません。

あとはコンプライアンス、治療アドヒアランスの問題です。全くカウンセリングに来ようともしない、医療機関にかかろうとしない。治療意欲がない。

必死で説得をするカウンセラーの姿勢は患者さんに受け入れられないことも往々にあります。

僕はクライエントさんにはにこにこと笑顔で接するように心がけているのですが「目が笑っていない」とよく言われています。このご時世ですからマスクをして目だけ見ているとさらに眼光鋭く見えるのでしょう。

笑顔でいようとしてもクライエントさんに相対する時には真剣に対峙しているので僕自身も「あちゃー」と思うことがあるのです。

⑶ 論争めいたカウンセリング

これは僕も経験したことがありますし仲間の心理職から聞いたことがあります。このクライエントさんにはこの技法が合っていてどうしてもこの精神療法をやりたいと思ってもクライエントさんが頑なに断ることもあります。

カウンセリングに来なくなってしまうとそれまでなので大人しく引き下がりますが、クライエントさんの目にはどう映っているでしょうか。

3.元々の性格

こんなブログを短時間で日々更新しているのですから僕の性格はせっかちであることは間違いありません。読者の方々は十分ご承知おきと思われますがかなりアグレッシブな内容の記事も多いです。

カウンセリング、心理テストをする時には相手の言うことを十分に聞いて受容傾聴するように心がけているのですが、お互いに人間ですし「どうですか?僕の性格はいいと思いますか?それとも悪いと思いますか?」と聞くわけにもいきませんのでクライエントさんが客観的に僕のことをどう見ているのかは不明です。

4.おわりに

普段きちんと仕事をしているつもりでも「性格が悪い」と思われることがあるだろうなあと思うとこうやって内省的になることがあります。

経験の浅い、駆け出しの心理職でもよっぽど僕よりも親身で性格がいいと思われる人たちはかなりの割合でいるでしょう。

ということをつらつらと思いながら仕事をして本を読んで勉強をして研究会に出ているような毎日を送っているのです。

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