ひなたあきらの公認心理師でポン!

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。ほか心理学全般についての考察も進めていきます ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata0630★gmail.com(★を@に変えてください。)

カテゴリ: カウンセリング

9581FC1F-85D6-4800-9635-D82E8D5E451E

◯ 医学・整形外科領域における公認心理師への期待〜「痛み」の心理学

整形外科は心理療法とはかなり遠そうな分野の領域に思えますが、実際には整形外科領域で働く心理職は多くいます。

「痛み」というのは心理状態に大きく起因していて、身体表現性障害(身体症状及び関連障害)、心身症、転換性障害、アレキシサイミア(失感情症)など多くの痛みを伴う実感が心理状態と関連しています。

そこで抗うつ剤サインバルタが2016年には慢性腰痛の第一選択薬として認められるようになったわけですが、整形外科領域に勤める心理職も定期的カウンセリングによって痛みという身体的でもあり心理的な現象に向かっているわけです。

慢性疲労症候群と近縁と言われている全身の痛みを伴う線維筋痛症は難病で、身体医でも治療は困難と言われていますが、これらの疾患への心理職のかかわりは大きく期待されています。

大抵はエビデンス、治療実積が認められているという事で認知行動療法が使われている場合が多いです。

痛む部位は脳からの情報でゲートの開閉ができるというゲートコントロール理論を心理教育として行うというのは理にかなっています。

リラクセーション、漸近的筋肉弛緩法なども役立ちそうです。

ただ、整形外科に勤務する心理職が全て認知行動療法をしているわけではありません。

別に箱庭療法でも精神分析でもフォーカシングでもイメージセラピーでもいいのです。

患者さんがその痛みを「わかってもらった、理解してくれた」という思いは痛みの緩和に役立つでしょう。

教科書では「怒り」の感覚は痛みに深く関連していると言われています。

痛みはとめどなくその人を苦しめます。

患者さんの怒りを理解して受け止めることは時として、あらゆるカウンセリングと同様に心理職に対する怒りに繋がるかもしれません。

「だって、先生、私のような痛みを経験したことはないでしょ?わかったようにうんうん言ってるだけじゃないの?」

これは半分当たっている真実です。

痛みを伴う疾患は本人が望んでなるわけでは決してありません。

そして治療には必ず侵襲性があり痛みを伴うものもあります。

患者さんは痛みが強くなり再発してもっとひどい痛みが襲ってくるのではないかと恐れて怯えています。

手術の前になれば手術の不安が患者さんを襲って来ます。

「手術は痛いのだろうか。手術をしてもうまくいかないとか手術をしても良くならない可能性もあるし痛みが取れないかもしれない、そしてもっとひどくなったらどうしようか?」

こういった痛みに対する不安は全てカウンセリングの領域になると考えています。

整体院ぐらいで扱えるような、肩、首のコリのような痛みを抱えて半泣きでやって来たクライエントさんが話をしている間に軽快化して帰って行くことがあります。

僕は何もしないでただ話をじっと聞いているだけです。勝手に治ってクライエントさんは帰ります。

「ひなたさんのところに来るって思った途端に痛みが取れちゃってね」

僕が何かをしたわけではありません。

もうカウンセリングに来る前から「メンタル面を手当てしなくちゃ」と思って自覚したことで、痛みはすでに良くなっていたわけです。

怒り、憤り、悲しみといったネガティブな感情を誰かに言いたいけれども誰にも言えない、言い出せなかった、確かにそういう気持ちは痛みを引き起こしそうです。

そして遺伝子病はまったく患者さんが避けることができなかったものです。

トラウマ処理技法のプレイスポッティングはスポーツ心理学と深いかかわりがあります。

スポーツ選手は元々メンタルトレーニングやメンタルリハーサルが必要とされていて、オリンピック選手には心理コーチがついている場合もあるのですが「失敗してまた骨折したり痛い思いをしたらどうしよう?」というおそれにもカウンセリングは有効でしょう。

痛みを伴う疾患は整形外科以外にも様々にありますが、カウンセリングでなんでもかんでも痛みを取ればいいというものではありません。

催眠技法は昔から痛みを抑えることができて無痛で抜歯をする等一流の催眠家は相当の技術を持っていたのですが、整形外科領域で腰痛や捻挫の痛みを取ってしまうと

「あ、こんなに良くなったからまた趣味のスポーツをやろうっと」と危険な場合もあります。

だそして確かに身体は辛くても「無理して働き過ぎちゃいけないよ」というような体の内部から来る訴えかけ方をしている痛みを持っている、そして心理職からもそう声をかけたくなるクライエントさんがいます。

そういったクライエントさんに対してはまずきちんと話を聞き続けることに僕はしています。

サインバルタが慢性的腰痛に適用となって3年が経ち、すっかり定着した感があります。

そのうち整形外科医から「カウンセリングでなんとかならないの?」と聞かれる時代がやってくるかもしれません。

「主治の医師」は精神科医とは限らないわけで、麻酔科、リハビリテーション科、脳外科からも期待されて現在心理職は働いています。

「誰が主治の医師なのか?」ということについて考えなければならないという義務も課せられているわけで、患者さんへのインフォームドコンセントもじっくりと行う必要があるでしょう。

カウンセリングは無作為割付実験RCTを経てのみ効果が測定できるものではないと個人的には思います。

科学が発達するにしたがって芸術療法が脳内血流の働きを良くするなど、研究はどんどん進んでいます。

僕はあと10年以内にカウンセリングと科学の結びつきの転換点がやってくると思っているのですが、思っているよりもそれは早く訪れるかもしれません。

99E67A62-7F28-4AC4-8229-CC1946B918BB

◯ カウンセリングはキライ

※ クライエントさんから聞いた話など

1.気持ち悪いテストやらされる。

あんな気持ちの悪い色がいろいろついていてグロテスクなカード見せられるのイヤ

2.時間がかかる面倒なたくさん書くテストやらされた。

しかも聞かれたくないことばかり。

私の母は・・・とか父は・・・とか何で聞かれなきゃいけないの?

親のことイヤなのに親に見られるの?書くのすごくイヤだった。

3.知能テストやったけど無茶苦茶時間かかってわけわかんなかった。

算数テストみたいなの「えっ?」て聞き返したけど「繰り返しできません」って言われてカウンセラーはドSだと思った。

数字を逆から言うとかもうムリ。

4.毎日日記みたいなの書かされる。

これ書いているうちに「学校に行けるといいね」

って言われてるけど、日記書くことと学校行くことと全然関係ないから。

いつも毎日毎時間何してるか見張られてるみたいでイヤ。

5.うちの外に出たくないって言ってるのに毎日少しでも出るように宿題出される。

人が必死にコンビニ行ったら「その先のスーパー行けるように次は頑張りましょうね」と言われる。

頑張ってそれで限界なのにもうイヤ。

6.「ここだけの話」って言ったのに医者に筒抜け。

医者にだけは話したくないって言ったのに。

7.絵が下手で苦痛なのに絵を描かされる。

だからイヤだって言ってるのに「上手い下手を見るものじゃないですから」と言ってやらされる。

しかも「こう描いているのはこういう意味ですね。」って考えてもないこと勝手に決めつけられる。

8.「何か昔イヤなことあったでしょ?」こっちは「ない」って言ってるのに。

いじめられなかったか、親からギャクタイされなかったのか根掘り葉掘り聞き過ぎ。

何もないっつーの。

しつこい。

9.汚いのはイヤだっつーのに服のまま、土足でみんなが歩くカウンセリングルーム転がれって言われてやらされた。

すごくイヤだったから今日は汚れてもいいジャージにトイレで着替えたら「着替える前の格好で来なさい」

って言われてまた床転げさせられた。

気持ち悪い。

もう行かない。

10.スクールカウンセラーに話したこと、何で校長に筒抜けなの?

秘密守るって言ったあのカウンセラーには2度と喋らない。

11.昔あったイヤなこと、「すみませんね、これからイヤなこと聞かなくちゃいけないので」と言われてずーっと聞かれた。

1時間たっても終わんない。

「イヤだったら途中で止めてもいいんですよ」と言われたけどそう簡単にダメって言えないじゃん。

向こうも必死そうだから。

気持ち悪くなりながら話したよ。

11.なんかのプリントの穴埋めやった。

結構ウザい。

最初に「その時の気持ちは◯◯という気持ちが何パーセント?」

考えるのに大変。

「その時に自動的に浮かんできた気持ち」

何も浮かんで来ないけど無理やり書いた。

「もしあなたの親しい友人が同じ目に遭ったらどう言いますか?」

どうにもならないじゃん・・・

「今考えて将来一番ありそうな事は?」

変わらないよ。

「今の気持ちは?」

つまんないことばかり聞かれてイヤーな気持ち。

そう答えたらまた最初から言い方変えておんなじこと聞かれた。

もうこのカウンセラーゼッタイ許してくれなさそうって思って、「けっこうスッキリしました。80パーセントぐらい」

って答えたらニコニコしながら「そうでしょうそうでしょう」

だってさ。

もう行かない。

※ カウンセラーはクライエントさんのためを思って自分が学んだ特定の技法を使ったり、要請に応じて心理テストを取りますが、それはクライエントさんにとっては侵襲的(害がある)と取られることも多いものです。

どんなに気をつけてもクライエントさんとの相性もあり、そういう事態は避けられません。

僕のところにやってくるクライエントさんが他のカウンセラーのことをそう言うのを聞くことがあります。

僕のところにやって来なくなったクライエントさんがやはり僕のことをほかのカウンセラーにそう言っていることもあるのだろうなあと思います。

自分に自信を持ち過ぎたり、要らないプライドで接することでクライエントさんに負担をかけたくないなと日ごろから思っています。

C47EFE66-4CB8-4D37-879E-1DA5110C4606

◯ 患者さんの握ったおにぎりを食べられますか?

横浜市立大学医学部の論文試験に出題された問題を改変したのがこのタイトルです。

正しくは、高校の教員が生徒たちを引率、農業実習をさせた生徒に対して農家のおばあちゃんが握ったおにぎりを食べられなかった。

あなたが高校教諭だったら

1.食べられなかった生徒たちをどう指導しますか?

2.食べられなかった生徒が多かったことをおばあちゃんにどう伝えますか?

という設問でした。

これが医療者としての適性を試す質問とすれば、1.の「食べられない」という価値観を多様性のひとつとして否定しない。

どんな際にもマイノリティの人権を否定しない。

そして2.はインフォームドコンセントICの問題になるでしょう。

とある難病になり、数年後生存率はほぼ数パーセントという患者さんのICに立ち会ったことがあります。

ベテランのXy部長医師が「◯◯さん、今は病気が悪さしているけれど、絶対に2本の足で立って帰れるようにしますから。」

と満面の笑みで患者さんに伝えました。

結局患者さんは小康状態になり本当に二本足で帰り、生きられた時間を楽しみ、その後急変して亡くなったという例がありました。

このご時世ですから患者さんもよく自分の病気を勉強していますから末期には覚悟をしていました。

患者さんは、残された生きられる時間を大切にしようとしつつも治し切ってくれなかった医療者を恨んでいたかもしれません。

「おにぎりをみんな喜んで食べましたよ。」

と言いつつ高校教諭はおにぎりを持ち帰ったのかもしれません。

それをおばあちゃんは悟っていたかもしれません。

それは「優しいウソ」です。

「私、死ぬんでしょ?」

「そうですね。生きられる見込みはあまりありません。」

というやり取りは医療現場ではありません。

この20代の若い研修医でも命がかかっているICはかなり慎重に行います。

さて、この横浜市大設問の隠された根源のひとつとして「患者さんからもらったプレゼント」の扱い方があります。

時にはプレゼントをこちらから与えることもあります。

真夏に走ってカウンセリングの時間に間に合うように汗だくで来たクライエントさん、喋るどころではなくぜいぜい言っている、そんな時には「麦茶でも飲みますか?」と聞きます。

患者さんと一緒にお茶を飲みながら和気あいあいとカウンセリングするのはいけないことという暗黙のルールもあります。

厳しい倫理がある公務員の世界では当事者から出された「お茶を飲んではいけない」という規定があります。

特に司法や福祉で判断業務を行うところはそうで「あの時お茶を飲ませてやった。お茶菓子も買ったから持たせたのに」とまで思われるかもしれません。

公務員でもユルい時代には保護者からビールを飲まされたり、遠距離の当事者宅に行くのに原付で駅から自宅まで2人乗りで送り迎えしてもらったこともあると聞きます。

児童臨床をしている心理職が子どもが一生懸命作った折り紙や工作を断ることはないでしょう。

もう少し年端のいったティーンエイジャーの女の子がスワロフスキーで作ったアクセサリーならば?

確かにクライエントさんは喜んで欲しがっているからこそ作るわけですが、「わあ、また作ってね」と何度も作らせていたという臨床家がいたと聞いてかなりがっかりした思いがあります。

直接の知り合いだったら叱り付けていたかもしれません。

精神分析では子どもの排泄物は親への何よりの「贈り物」と言われています。

心理職はクライエントさんの友だちではない、これはその通りです。

福祉現場では利用者さんと指導員が一緒にご飯を食べる機会はままあります。

それもまた生活をともにするという臨床の立場だと思います。

どこまでが許されてどこまでがまずいのか、その線引きは心理職にとって常に曖昧な危険性を孕んでいます。

「今日は暑かったからペットボトルのお茶を買ってきましたから先生も飲んでください」

「また来週の時間を決めましょうか」

「お茶、持ってってください」

こういう場面に困った心理職の人はいないでしょうか?

「これまでお世話になりました。母と私で選んだネクタイです。受け取ってください」

プランド物の高級なネクタイでした。

どうしますか?

僕の実体験です。

以下、産業領域の心理職の人たちは経験していることも多いでしょう。

カウンセリングを受けたくてしょうがない、だけど工場の生産工程が読めないので連絡の取りようがないし、現場には内線電話がなくてカウンセラーの私物携帯しかない。

こういう時、私物携帯の番号を教えるカウンセラー、教えないカウンセラーを多数決を取ったら見事に半々に分かれました。

僕は人を選んで慎重に時には携帯番号を教えることがあるのですが、時間外に1時間電話で泣きつかれると困ったなあと確かに感じます。

産業領域では「カウンセリングに来るのにお昼しかないっすよ。お腹減っちゃうからここで飯食ってもいいっすか?」

「◯◯君、お茶どう?」

「あざーっす!」

偉いどこかの人が聞いたら激怒されそうです。

「カウンセラーさんに食べて欲しいからケーキ焼いてきたの」

これはどうしたらいいでしょうか?

じゃ、手作りお弁当は?

と思考実験ではなくて実際にそういう体験をした人もいるだろうなと思います。

物のやり取りだけがまずいのではありません。

言葉もかなりクライエントさんにとっては凶器になります。

「カウンセラーさんみたいな優しくて素敵な旦那さんが欲しいなあ」

「いやいや、僕は私生活では女房とはケンカばっかりでちっともダメですよ」

こういうカウンセラーの返し方は二重の意味でまずいのです。

昨日、今日と医学部試験から医療倫理、対人関係援助職の倫理について考えさせられました。

33517062-78AF-44CF-94AF-C3E9142011E8

◯ 前世療法、精神分析、トラウマと偽の記憶財団と司法面接

ずらりと用語を並べただけのようですが、人の記憶はその繋がりをどこかに紡ぎ出します。

それが真実なのか、錯覚なのか、妄想なのかよくわからない、明らかにしなけらばならない領域とそうでない領域の間でカウンセリングをしているカウンセラー、クライエントさんも多いと思います。

例えば箱庭療法は置かれた玩具をセラピストとクライエント2人で片付け、イマジネーションの世界から現実に戻ろうとします。

昔の文献を読み漁っていて、箱庭で炎を使って燃やした、箱庭に水をぶちまけたという、クライエントさんの激しいアクティングアウト、行動化を読んだのを思い出します。

箱庭に限らず退行を促すカウンセリング手法や、あるいは認知行動療法でも古典的条件付けにしたがって、セッションの最初にフラッディングと呼ばれる嫌悪刺激を怒涛のごとくぶつけるという技法はクライエントさんに徐反応と呼ばれる「反応」を引き起こします。

(認知行動療法では徐反応という用語は認めていません。)

僕も何回か見たことがありますがカウンセリングのセッションにおける徐反応は、激しい怒りの感情や動揺がこれでもかというぐらい表出されます。

これがすぐに看護師さんを呼べばリスパダールやセルシン注射で鎮静化させられて終わりかもしれませんがトラウマは残ったままになります。

現代催眠原論(金剛出版)でも書かれているように徐反応が起きたら徹底して(自傷の危険がない限り)徐反応を起こしてもらうのがトラウマティックな体験の解決に繋がります。

徐反応の間は解離して記憶がなくなっているので「あれ?何だっけ?でもすっきりしたなあ」

というのはセラピストとクライエントさんの共同作業による感情処理の上手な方法でしょう。

ヒーラーや民間のヒプノセラピーで前世療法を使う治療者がいます。

これはエビデンスも何もあったものではないのですが、「使えるものは何でも使う」精神科医、セラピストにとっては前世療法家が「あなたが前世で見たトラウマに苦しめられている」

「今あなたの頭の中に蘇った記憶はあなたの父親が16歳ぐらいの時にいじめられた体験かしらね。それであなたが今苦しんでいるのよ」

という前世療法家の言葉を再評価したセラピストが「じゃあ現世はどうなの?」

という問いかけに対して前世と現世、そして未来との繋がりから得られる洞察は、クライエントさんの無意識の奥に沈潜化した何かに訴えかけるものがあるでしょう。

催眠は運動支配催眠(ピタッと両手のひらがくっついて離れない)に比べれば記憶支配催眠(前世療法、あとから催眠時に言われたことを覚醒してから実行する後催眠暗示)は比較的難しいと言われています。

催眠の真偽の「闘い」の歴史は長く、1930年代、色街がなく姪などの近親者へ性の対象が向かった心的外傷を「そんなわけないだろう」とヒステリーと精神分析は否定しまくっていていました。

構造主義哲学者、精神分析学者のLacan,Jも外傷体験そのものを自らの理論に取り入れませんでした。

トラウマ研究者第一人者ジュディス・ハーマンHerman,J.L.はトラウマや性的虐待研究の第一人者ですが、裁判の場では敗訴することが多く、アメリカではカウンセリングで偽の記憶を作り出す偽の記憶財団False Memory Syndrome Foundationとの拮抗はいまだ決着はついていません。

結局心理の世界でこういった被害者の受けた虐待の真偽について確認するのは司法面接です。

司法面接は決して誘導せず、ただ一回だけの面接で虐待の有無を判定する、検察官、警察、児相、家裁調査官が真剣勝負で挑みます。

司法面接の現場では「知らない」「もうイヤ」「帰りたい」を連発する子どものトラウマ離脱のテクニックが面接者を困惑させます。

現代精神分析はトラウマ治療と相反するものではなく、精神分析家北川清一郎先生の事務所ではトラウマに特化したEMDR治療者が北川先生を含めて複数います。

司法面接でその存在が確定した虐待には「ケア」の視点を持つことが大切ですが、児童心理司は心理治療的面接を行う時間がなさすぎるとアンケートで回答しています。

トラウマ=治療対象という概念が広まって来たのはそれほど昔のことではありません。

伊藤詩織さんが刑事事件で門前払いされた事案ついて考えると、日本の司法はまだまだ先行きが暗澹としたままです。

B928AAF8-9406-4525-8E59-19A70D02E9AC

◯ MBTI、NLP、メンタリストの心理学的真実

MBTIはここ数年、NLPに至ってはここ20年ぐらい心理学の「診断」やセミナーの流行りとして多くインターネットでの検索ワードに上がってきます。

MBTIはマイヤーズ・ブリッグズ指標と言われていて、ユング心理学者の彼女が受験者の性格を16類型に分けて診断するというものです。

世界的な人気もさることながら日本でもその人気は自己診断テストとしては圧倒的であり、

ユング心理学の

内向型I
外向型E

直感型N
感覚型S

感情型F
思考型T

知覚型P
判断型J

の16類型のいずれかに当てはまり、その組み合わせで性格診断ができるというものです。

MBTIは企業の入社テストにも活用されていますが、MMPIのような妥当性尺度がないことから、本人の自己申告だけで、どの程度心理テストとしての信頼性を担保できるかは疑問と言われています。

アメリカにおける研究ではMBTIは心理検査としての正確さに疑問があるという結果が出ています。

こういった「疑似科学」のような診断テストは、こと日本においてはかなり爆発的な人気が出ます。

昔から日本でだけ信じられてきた血液型性格診断は数十年前からその信頼性が否定されています。

(Googleスカラーにも論文多数あり。)

こういった性格の類型論、特性論は受検者や評価者が「わかりやすくて」「お役立ち感がある」ことが重要であって、受検者が心理テストとしての統計的信頼性や妥当性を求めているわけではありません。

例えばMBTIにおける「ESFJタイプ」は、外向きに感覚、感情を示し、理性的な判断をすることからリーダーシップを発揮できる、面倒見がいいタイプとされています。

入社試験や企業内でこのタイプのテスト結果を出せてそれが真実ならば多くのポテンシャルを期待されることになり、入社可能、昇進できたりするかもしれません。

心理学を援用したNLP理論について見てみます。

日本でもさまざまな団体が指導者、NLPプラクティショナーを養成しています。

NLPは元々神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programmingのことで、初期の理論は相当に高い理念があり、稀代の催眠療法家で精神科医のミルトン・エリクソンも創始者に名を連ねています。

ミルトン・エリクソンやその弟子のオハンロンは精神療法家が読んでもかなり説得力があります。

ただ、いつの間にやらNLPは自己流心理療法開業家、営業マン(としてマインドコントロールっぽい売り方をする)など初期のころの理念から変質してしまったセミナーを40万円近くで日本でも販売しています。

心理学?のような疑似科学?のようなものをクライエントさんが心から信じ切ってそれを心のよりどころとしている時にカウンセリングでは否定はできません。

アダルトチルドレン のように初期にはなんだかわからないと思われていた概念はきちんと市民権を得ていますし、診断名にはならないものの精神科医も一目置いている概念です。

HSPハイリー・センシティブ・パーソン、人一倍繊細な人も対人理解をする上で重要なキーワードになっています。

クライエントさんが信じている宗教も心理職は決して否定しません。

MBTIは市民権をどんどん得ていくのでしょうか。

それは統計的信頼性妥当性とは関連がない、確信に近いものです。

心理職はMBTIに比較して科学的な説明でクライエントさんを説得できるでしょうか?

NLPを自己啓発のために数十万円かけて勉強したいというクライエントさんが目の前に出てきたらどうするか。

心理職は従来正統的心理学として学んできたものとはまた違った流派について質問されることもあります。

「メンタリストdaigoみたいなことできるんですか?」と言われて言葉に詰まったことがあります。

ただ、多くの人々が引き付けられるものにはそれだけの魅力があることは真実です。

研究室にこもっているだけの心理職でもそれはその人のやり方なので構わないでしょう。

ただ、自分がしているカウンセリングが人気の心理学と比べてクライエントさんをきちんとポジティブな方向に導いているのかということは、自分の身を振り返ってみる必要性があるなあと感じている次第です。

↑このページのトップヘ