きっと今から書く戯言は公認心理師試験の試験範囲に入っているから、多分このあたりの知識も出るんだろうなあと思って書き連ねてみます。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)治療研究はEBM(証拠に基づいたメソッド)とNBM(ナラティブ、物語による自然流派の治療法)とに拮抗していて、最近ではどうもどんどん進んでいたNBMに対し、EBMがその論証をするという形でどうもNBMの巻き返しが激しくなっている感じがします。
京都大学でも箱庭療法をしてfMRIで脳内を観察、PTSDに箱庭療法というNBMが有効という研究の成果を証明しつつあります。
最近ではグラント博士がブレインスポッティング (BSP)という何の統計にも基づいていない技法を開発しました。
くるっと患者さんの目の前で棒を回してマイナスイメージ、プラスイメージを語らせながら、プラスイメージに対する認知の編み込みを行ってPTSD治療を実施して成果を上げています。
元々グラント博士はEMDR(眼球運動による脱感作)というPTSD治療技法の第一人者だったから思うところがあったのでしょう。
PTSD治療は認知行動療法家がEBMとして、持続エクスポージャー法(PEという暴露法)が有効だと主張しています。
カウンセリングセッションの中でトラウマ記憶を語らせる、その1時間程度の録音を毎日家で聞いて刺激に暴露法して汎化させるという技法なのだけれども、想像するだけで相当苦しい技法だと思います。
僕もPEをやり通したことはありますが、かなり患者さんはきつかった様子でしたし、認知行動療法では脱落例をきちんと統計化した上でPEの有効性を検証したのだろうかという疑問も持ちました。
僕も心理カウンセラーの端くれとしてPTSD治療技法はいくつか習得していますが、全技法は普通の人間では無理でしょう。
EBMの最前線としては、内閣府imPACTが行っているPTSDに関する革新的研究開発推進プログラム脳科学研究があって、トラウマティックな刺激を与えた後に緩和刺激を与えてストレスを低減させるというDecNef技法が千葉俊周研究員らで試みられています。
日米共同研究で、日本の大学も20ぐらい入っているらしいので相当気合いが入った研究になっていると思います。
ただし、プレスリリースによると健常者への17例の施行で効果があったという発表がされているが、実際のPTSD患者さんにはどれほどの治療効果があるのだろうかと今後の展開を期待したいものです。
https://www.nict.go.jp/press/2016/11/22-1.html
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO27766540W8A300C1000000
また、防衛医科大学校では人工的にPTSD刺激を与えたラットについて、BDNF(脳由来神経栄養因子)が症状を和らげることや、EE(環境富化処置)が影響しているという研究が科研費で行われています。
元々PTSDの疾患単位としての確立がベトナム戦争後の1980年、米軍帰還兵団体からの強い働きかけでDSM-Ⅲ(精神障害の診断と統計マニュアル)に取り入れられるようになったので、各国軍がその対策に力を入れているのは当然だと思います。
特にベトナム戦争では徴兵されて無理やり戦場に駆り出された18、19の青年が帰国すると時は反戦ヒッピーの全盛期、国賊扱いされてなお傷つきました。
防衛医大によるとシャトル箱に入れたPTSDラットは母子分離、刺激前の環境悪化で症状が悪くなります。
ランニングホイール、からからと回るラットがくるくる回れる遊具や玩具で好転する、ただしあまりにEEが高い環境からPTSDになると回復が遅れるという中途結果が出ています。
防衛医大も軍事精神医学研究を行っているので、十分な兵站というBDNFを与え、あまり高過ぎるEEでなく、日ごろからある程度の訓練負荷をかけた方がPTSDにはいいという結果を出しています。
さて、戦争とPTSD研究の関係は深く、EMDR技法創始者のフランシーン・シャピロの教科書に掲載されていた症例は悲惨極まりないものでした。
ベトナム戦争に従軍し、同胞が隣で爆死して手足ばらばらになったのを見た兵士の中で何かが壊れて村の少年を含む民間人を銃を乱射して殺害、レイプを行ったというもので、帰国してから弁護士になったこの男性は20年来のPTSDに苦しむことになりました。
日本でPTSD概念が一般化したのは阪神大震災からで、このような重篤な精神疾患があるということが流布されました。
PTSDにかかると解離といって、その当時の記憶を忘れる、覚醒亢進状態が起きて、不眠になるということが示されています。
PTSD患者は、いつなんどきまた命を奪われるような恐怖に晒されるかわからないので、交感神経が刺激された状態に常になっています。
したがっていつも心身ともに戦闘態勢にあるわけです。
解離も激しく、ひどくなると記憶が3年間ぐらい飛んでしまうこともあります。
昔はカウンセリングで解離記憶を呼び覚ますような治療をして患者が悪化、自殺例もあったが、今では解離記憶を思い起こさせ、パンドラの箱を開けるのは禁忌とされています。
回避は、その当時の記憶に似た状況を避けること。(続く)
PTSD(心的外傷後ストレス障害)治療研究はEBM(証拠に基づいたメソッド)とNBM(ナラティブ、物語による自然流派の治療法)とに拮抗していて、最近ではどうもどんどん進んでいたNBMに対し、EBMがその論証をするという形でどうもNBMの巻き返しが激しくなっている感じがします。
京都大学でも箱庭療法をしてfMRIで脳内を観察、PTSDに箱庭療法というNBMが有効という研究の成果を証明しつつあります。
最近ではグラント博士がブレインスポッティング (BSP)という何の統計にも基づいていない技法を開発しました。
くるっと患者さんの目の前で棒を回してマイナスイメージ、プラスイメージを語らせながら、プラスイメージに対する認知の編み込みを行ってPTSD治療を実施して成果を上げています。
元々グラント博士はEMDR(眼球運動による脱感作)というPTSD治療技法の第一人者だったから思うところがあったのでしょう。
PTSD治療は認知行動療法家がEBMとして、持続エクスポージャー法(PEという暴露法)が有効だと主張しています。
カウンセリングセッションの中でトラウマ記憶を語らせる、その1時間程度の録音を毎日家で聞いて刺激に暴露法して汎化させるという技法なのだけれども、想像するだけで相当苦しい技法だと思います。
僕もPEをやり通したことはありますが、かなり患者さんはきつかった様子でしたし、認知行動療法では脱落例をきちんと統計化した上でPEの有効性を検証したのだろうかという疑問も持ちました。
僕も心理カウンセラーの端くれとしてPTSD治療技法はいくつか習得していますが、全技法は普通の人間では無理でしょう。
EBMの最前線としては、内閣府imPACTが行っているPTSDに関する革新的研究開発推進プログラム脳科学研究があって、トラウマティックな刺激を与えた後に緩和刺激を与えてストレスを低減させるというDecNef技法が千葉俊周研究員らで試みられています。
日米共同研究で、日本の大学も20ぐらい入っているらしいので相当気合いが入った研究になっていると思います。
ただし、プレスリリースによると健常者への17例の施行で効果があったという発表がされているが、実際のPTSD患者さんにはどれほどの治療効果があるのだろうかと今後の展開を期待したいものです。
https://www.nict.go.jp/press/2016/11/22-1.html
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO27766540W8A300C1000000
また、防衛医科大学校では人工的にPTSD刺激を与えたラットについて、BDNF(脳由来神経栄養因子)が症状を和らげることや、EE(環境富化処置)が影響しているという研究が科研費で行われています。
元々PTSDの疾患単位としての確立がベトナム戦争後の1980年、米軍帰還兵団体からの強い働きかけでDSM-Ⅲ(精神障害の診断と統計マニュアル)に取り入れられるようになったので、各国軍がその対策に力を入れているのは当然だと思います。
特にベトナム戦争では徴兵されて無理やり戦場に駆り出された18、19の青年が帰国すると時は反戦ヒッピーの全盛期、国賊扱いされてなお傷つきました。
防衛医大によるとシャトル箱に入れたPTSDラットは母子分離、刺激前の環境悪化で症状が悪くなります。
ランニングホイール、からからと回るラットがくるくる回れる遊具や玩具で好転する、ただしあまりにEEが高い環境からPTSDになると回復が遅れるという中途結果が出ています。
防衛医大も軍事精神医学研究を行っているので、十分な兵站というBDNFを与え、あまり高過ぎるEEでなく、日ごろからある程度の訓練負荷をかけた方がPTSDにはいいという結果を出しています。
さて、戦争とPTSD研究の関係は深く、EMDR技法創始者のフランシーン・シャピロの教科書に掲載されていた症例は悲惨極まりないものでした。
ベトナム戦争に従軍し、同胞が隣で爆死して手足ばらばらになったのを見た兵士の中で何かが壊れて村の少年を含む民間人を銃を乱射して殺害、レイプを行ったというもので、帰国してから弁護士になったこの男性は20年来のPTSDに苦しむことになりました。
日本でPTSD概念が一般化したのは阪神大震災からで、このような重篤な精神疾患があるということが流布されました。
PTSDにかかると解離といって、その当時の記憶を忘れる、覚醒亢進状態が起きて、不眠になるということが示されています。
PTSD患者は、いつなんどきまた命を奪われるような恐怖に晒されるかわからないので、交感神経が刺激された状態に常になっています。
したがっていつも心身ともに戦闘態勢にあるわけです。
解離も激しく、ひどくなると記憶が3年間ぐらい飛んでしまうこともあります。
昔はカウンセリングで解離記憶を呼び覚ますような治療をして患者が悪化、自殺例もあったが、今では解離記憶を思い起こさせ、パンドラの箱を開けるのは禁忌とされています。
回避は、その当時の記憶に似た状況を避けること。(続く)
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