HSPを売る公認心理師
Twitterで話題になっていますが、HSP(感受性がひどく高く敏感な人)という概念を測定しますというアセスメントを公認心理師が某売買サイトで売り出しています。
北川清一郎先生もそれに近い見解を持っていて、僕もそうは思うのですが、自称HSPの人たちはなんらかの主訴を持っていて、だからHSPという概念で自分の困り感を出しているので、生きにくさは感じているので心理職のクライエントになりやすいかもしれません。
僕は自称HSPの人と会ったことはなく「HSPなんて概念は精神医学的にも臨床心理学的にもありません。」とクライエントさんに論争をふっかけるつもりは毛頭なく、多分目の前にそういうクライエントさんが来たら黙って話を聞くでしょう。
ただし、「ね、自分はHSPに間違いないでしょ?」と言われたらそこには言質を与えないようにお茶を濁して終わりかな?と思うのです。
そう言えば無資格の「HSPカウンセラー」でカウンセリングの予約がいっぱい、半年待ちの人がいたなあと思いつつ、HSP概念は従来拾い上げられて来なかった人たちのカテゴリーとして形作られてきたものなのでしょう。
ただし、これが専門職の「医師、臨床心理士、公認心理師」が「あなたはHSPですね」と言うのは、この科学的にエビデンスがない概念としては全く有り得ないことです。
「あなたはHSPですね。」「HSPの傾向が100人にひとりの割合で強いですね」ということを「公認心理師」が言うのでしょうか?
しかもこの「商品」を見ると「DSM-5に準拠して」と書いてあって、DSMのどこをどうひっくり返してもHSPなんていう概念はありません。アメリカ精神医学会や翻訳している医学書院が聞いたら激怒しそうな内容です。
公認心理師は臨床心理学の専門家であることを認められてその名称を名乗っているのですから、HSPアセスメントを売り物にして金を取るというのは僕の見方からすれば占いやパワーストーンを公認心理師が売っているのと大差ないように思えます。
カウンセリングやアセスメントというのは臨床心理士や公認心理師の業務独占ではないのでそれはそれで自由なのですが、仮にも国家有資格者がHSPアセスメントを売りに出してはまずい、信用失墜行為に当たるのかもしれないと思います。
思えば似たような概念で「AC」(アダルトチルドレン)という用語があります。これは1970年代にケースワーカーが作り出した言葉です。
これもなかなか危険な概念で、自分が引っ込み思案で自己主張できなかったのは「親の育て方が悪い」と信じさせるような考え方で、「自分がこうなってしまったのは親の育て方が悪かったから」というようなものです。
本当にごくごく一部の医師がこのアダルトチルドレン概念を使用していてカルテに「アダルトチルドレンと書く!」医師もいてびっくりしたものです。
これがPTSDのようにエビデンスがしっかりとあって、比較的新しい概念であってもひとつの疾患単位として認められるような概念ならばそこは認められても当然という気がするのですが、アダルトチルドレンは何十年経っても疾患単位にはなりません。
さて、将来的にHSP概念がDSM-5(このインチキカウンセラーがどうやって解釈した方法とは別で)やICD-11に組み込まれていくかというと、HSPという、自己診断かいくらでもできる曖昧な概念は決して疾患単位にはならないと思うのです。
※ 調べてみたら精神科クリニックでもHSP概念を肯定するコラムがあってびっくりしました。
HSPかつASDというような自己紹介をしている人もかなり多いのは知っていますが、本人がそう名乗るのは別に構わないと言えば構いません。
ただし、診断やアセスメントというのは「以下の12項目のうち10項目が少なくとも6カ月以上続いていて、その始まりは6歳以前から」(例)など大変厳しい基準を満たしていないといけません。
その診断の前には限りなく多い症例の集積と科学的論拠があります。
また、心理テストもしかり。きちんと尺度を決めてRCT(無作為抽出割り付け)を行い、莫大なデータを処理して…ということをしないとまともな心理テストとは言えません。
発達障害もよく誤解をされやすいのですがひとつのことに夢中になる。そして素晴らしい業績を上げるような能力を持っている人には天から与えられたGiftedがあるというもので、これに当てはまる人たちもかなり多いのですが、大抵の場合、集中する対象が世間の中で役立つものでなければそれまでです。
結果的に発達障害の人たちは生きにくさを感じながら生活をしていることがほとんどでしょう。
HSP概念の危なっかしいところは繊細かつ感受性に優れていて、芸術や映画を解する能力に長けているというところで、創造性も「基準」に入れてしまっているところです。
誤った概念を公認心理師が流布してその人にマイナスのラベリングをしたり、逆にプラスの価値観を与えるということは大変危険に思えるのです。
photo by ᴷᵁᴿᴼ' @PhotoKuro_
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