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複雑性PTSD と「精神分析医」の破綻

インターネットニュースに皇室「複雑PTSD」と眞子さまについての記事が掲載されていました。これについて精神科医の片田珠美氏が精神分析的な解釈をしていました。ここで述べられていた精神分析的キーワードは眞子さまの「幻想的願望充足」と「ほれこみ」です。

眞子さまの「幻想的願望充足」というのは、願望と現実を混同していることと片田氏は評価していましたが「え、見て(診て)もいないのに」といつもながら精神科医に対して感じました。眞子さまは特にこの件について自分のメンテリティについて一切言及していません。

アメリカ精神医学会ではこうした、本人を見ていないのに勝手に診断をすることを禁じています。これを

ゴールドウォータールール

と呼びます。

なのに「小室さんと結婚しさえすれば、窮屈な皇室から抜け出すことができ、幸せな生活が待っていると幻想を抱いておられる」と片田氏は断定しています。

昔、僕は師匠の先生から言われたのですが、解釈をするのに思い切った解釈をすると「大刀を振るうと、当たった時にはよく切れるが、もし大胆なことを言って外れたらその時は全く別なところを斬りつけるからお互いに大怪我をする」と言われました。

こと、複雑性PTSD という、ICD11 で初め取り入れられた新しい疾患単位だと、従来のPTSD に加えて「情動調節障害」「対人関係障害」「否定的自己概念」の3つが加わっています。

これはPTSD よりもかなり重い症状であり、片田氏は眞子さまのどういった点がその診断基準に当てはまるのかわからないまま自説(仮定)をどんどん推し進めています。こういった特徴がある、診断も難しく、症状も重篤な概念ですがどこに眞子さまの診断基準が当てはまるのかは述べられていません。

これら病状の解釈に手間取るような疾患ならば、なおさらきちんと本人と話していないのに解釈めいたことをするのは危険なのではないかと思います。

また、片田氏は小室氏の行動は「しくじり」(この場合は(どうせ批判されるのだから帰国して会見なんかしたくない、&人前に出る時はきちんとしていなければならない・片田氏の言葉を引用))「二つの意図の“干渉”によって生じる心的行為」とも片田氏は断定しています。

これについて小室氏の「しくじり」は少しうがち過ぎな気がします。なぜならば、片田氏はこういった、無意識の業がなせるような電車を乗り過ごしてしまうような失敗=「しくじり」がある=小室さんの本性は眞子さまに「もう優しくする必要がない」と判断してしまえば、眞子さまの「幻想的願望充足」も覚めるだろうとも決めつけています。

別に僕は小室氏の味方をしているわけではないのですけれども「しくじり」=小室氏に危険性があるという解釈そのものが危ういです。何が危険かというと、僕自身(教育分析は受けたことはないものの) 精神分析書は半ば勉強、半ば趣味の領域で読むことがあります。精神分析流の解釈は「大刀」に近いものがあります。解釈をして抵抗を徹底操作する、大変難しい技法だと思います。

しかしながら片田氏は眞子さまとも小室氏とも話していない。元々精神分析は治療のための技法であり、精神療法なくして勝手にその学派の理論を使ってはならないのではないでしょうか。そういった意味では無手勝流に大刀を振り回しているようで大変危険性を感じるわけです。

片田珠美氏と言えばラカン派をとてもわかりやすく解釈する素晴らしい先生だと昔放送大学を見ていて思ったこともあります。

片田氏の経歴は1961年生、阪大医学部卒業後京都大学博士号取得、ラカンで有名なパリ第8大学をフランス政府給費留学生試験に合格して留学したという大変立派なものです。しかしこの行為はいただけない。

片田流に「見ないでアセスメント」をすると、この片田氏は自己愛性パーソナリティ障害のように、マスコミに度々露出することによって「皆から見られていて皇室と難病の解釈もできる頭がいい私」を演出したいのではないかとまで訝しんでしまいます。

それどころか実際に診てもいない人、しかも皇室という極めて特殊な階層の人を分析するというのは、それこそ分析者の願望の投影なのでは…?とも思います。

第一、「幻想願望充足」があって「ほれこみ」があるかどうかもわからないのにもかかわらず幻想が覚めた時には幻想やほれこみも消えてしまうのではないかという、二重の仮定をすることそのものがどうかと思います。

こういった「見ないで診断・解釈」は有名どころだと精神科医のW氏、臨床心理士でもY氏がよく行っていて、その他にも多くの自称「識者」が行っています。

マスコミはこういった識者からの情報が欲しい、センセーショナルであればあるほど視聴率を稼げる、それはコロナ報道でも同じです。一時期マスコミはコロナに関する奇説を流していた学者の言説を積極的に取り上げていたことがありました。

マスコミは自称「識者」にこういった言説を言わせることがあり「これはマスコミ自身の責任ではなくて『こういう意見を持っている人もいる』」という報道をしている姿勢なのですが、疑わしいと思っている視聴者から見ると「同罪ではないか」と思う人々もいるでしょう。

またその逆に「偉い先生が言うのだからこれは真実なのだろう」と思う人々もいるでしょう。

全てのマスコミがこういった報道姿勢を取っているわけではなく、きちんと事実と根拠に基づいて報道している媒体もあることは事実です。

したがってこういった、いわば「有識者としての見解」はしっかりとした裏付けのあるものだけを述べて欲しい、そうでないと学派そのものの信頼性にかかわってしまうと思うのです。

photo by ᴷᵁᴿᴼ' @PhotoKuro_