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photo&lyric by sora (@Skylit_Blue)
わかってる
どんなに時を捧げても
欲望の空は満ちないことを


◯ トラウマがないPTSD・境界性パーソナリティ障害

1.序

僕はPTSD精神療法家をいちおう自負したいと思っていて、まあそれっぽいところで働いているのですが、実はPTSDでない人が他院ではPTSD扱いされたというクレームを聞くことがあります。

僕の勤務先は別にPTSD専門というわけでもないので、聞いてみるとPTSD用の心理療法を受けたけど向こうの心理がとてもいい人、あまりに一生懸命なので言い出せなかったけどなんとなく合わなくてドロップアウトしてしまった、とか、トラウマに関するDVDと本を渡されて宿題にされてやっぱりヤだったというものです。

PTSDを診られる機関はとても少ないので、巡り巡ってやっとPTSDという診断を受けることもあるのですがその逆もあります。

弊害で言えばPTSDの人が違う疾患だったと診断されることはかなり多くてトラウマを認めてもらえなかったという方がはるかに多いです。ただ、心理職の立場として、希死念慮が高く自傷行為を繰り返し、常に空虚感と自我同一性の揺らぎを持っている人をトラウマ所持者と思ってしまうのですが、幼少期から親から大事にされて愛されて育ってきて、現在も同じと聞くと、不思議に思うことがあるわけです。その理由について考えてみます。

2.トラウマのないトラウマティックな心情・行動の理由

これはいろいろ考えてみて、もし理由がわかれば、stap細胞はあります!に10分の1ほど追いつけると思っているわけですが、以下列挙してみます。

⑴ 境界性人格構造(BPO)を引き起こすような出来事の存在

境界性人格障害とまで行かなくても行動範囲が逸脱していて自傷的、希死念慮が高いBPOの人がトラウマティックな行動をする事はあります。ただしよく聞いてみると別に親から虐待されていたような対象関係論的な問題や基底欠損領域があるわけでもないです。

要するに「親からの、幼少期の虐待体験」はないのです。

ただしその後を聞いてみると幼少期のてひどいいじめや自己の容姿に関する恐怖が存在している(実際とは関係ない)ことも多いです。

幼少期のトラウマでなくとも成人してからでももちろんトラウマティックな出来事を体験することはあるわけですが、またトラウマティックでなくとも自己イメージをひどく傷つけられたらそれは大きな心理的障害になるでしょう。

⑵ 愛情飢餓

幼少期に愛情喪失体験をしていなくとも思春期や成人期になってからこの果てしない愛情飢餓感覚に襲われることがあります。依存性パーソナリティ障害はありますが、なぜ、どうして、そしてどうやったら治るのかは誰にもわかりません。

心理テストはあくまで現在の状態を示すもので、原因を解明するものではありません。

⑶ 精神病的世界観

これはあまり書きたくなかったのですが、というのは「それ、精神病じゃん?」というスティグマ(烙印)を押したくなかったので、統合失調症で自己の存在感への認知が歪んでいる、双極性障害で自己の行動統制ができなくてそれで自分が苦しむので、空虚感をなおさら感じるというものです。

3.結語

今のところ僕にも「わからない」ところが多すぎてこうやって苦しむ人たちの心理的・理論的な説明ができればいいのですが。薬理学の専門家医師ならば適切な精神薬のチョイスはできるでしょう。ただ、僕ら心理職は原因がわからずに目の前でしくしく泣いているクライエントさんに対して何ができるのだろうと思うわけです。

そしてトラウマがあったとしても解離していたり、意図的に回避しようとしている場合には触らない方がいいのは侵襲性という観点から考えたらその通りだと思います。カウンセリングは一般的には苦行ではないので、苦痛を感じる人やその幻想的を作り出すべきではないと思うのです。

さらに付け加えるなら、心理職も外科的な発想を持つことが多く、「ここが悪い」という病巣を切除してしまえばいいと思いがちですが、病的であってもなくともクライエントさんが痛い痛いと言っている場合に心理的メスを入れる権限はありません。

人の心の動きはまだまだわからないことだらけです。不思議と思うことはあるかもしれませんが必ず突っ込んでいけばいいというわけではないと思っています。