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◯ 公認心理師試験延期がもたらす逆境の心理学(橋口誠志郎動画から考える)

橋口誠志郎さんの動画「公認心理師試験 延期にまつわるエトセトラ」を見せていただきました。(かなりエキセントリックな内容も含まれていますが、僕はいつもこれらの橋口動画からの過激でしかもプライベートや心理学混ぜこぜのカオスな動画への反論のチャンスを狙っています。
 
 


20浪、東大院生という特異な経歴を持つ橋口さんの独特の視点は「自分ならこう考える」という反面教師的な思索のヒントになるのでぜひチャンネル登録をしたらよろしいかと思います。

さて、橋口動画では「これで勉強時間が増えた、良かった」という反応。これについては「こういう人たちは受けても結果は難しかっただろう」という評価を彼はしています。これについては僕はやや賛成ですが反論もあります。1.果たして勉強する時間が本当になかったのだろうか?という点です。現任者他職種参戦者の医師、保健師、看護師、教員の中には本当に今回のCOVID-19の対応や恒常業務に追われて何の勉強もできなかった人もいます。残念なことですが、こういった人たちは予定どおりの日程で試験が実施されたとしてもその実力は発揮できなかったでしょう。また、こういった不測の事態で「延長されて良かった」という誤った認知バイアスです。認知バイアスはこういった災害時に発生しやすいのですが、自分の考え方や信念を正当化するために不適切な情報を取捨選択し、不利益な情報をなかったものとします。こういう人は時間が与えられても、あるいは時間を作ることができてもなかなか勉強には食指が動きません。「日本はこうなることはわかっていたから自分はやらなかった」という後付けの確証バイアスを獲得するからです。何かにつけて勉強をしない理由を見つけようとするわけです。

さて、橋口理論の2.としては「せっかく勉強していたのに」という反応、これは今回なんとしても合格を勝ち取りたかったという層の落胆についてです。これについては僕は橋口理論に賛成してもいいと思っています。というのも受験勉強というのはマラソンのようなものです。というか、マラソンならば今まで来た道を振り返らずにひたすら前進すればいい、しかしながら勉強というものは一度覚えた記憶でも時間が経つとともに消去されていきます。そこでもう一度復習しなければなないわけですが、これは学習性無気力に似ています。

ラットはケージの中で右に行けば電撃ショックを受ける、左に行けばエサをもらえるという学習をするとすぐにそれに馴染みます。ところが右に行っても左に行っても電撃しか流されないとするとラットは右にも左にも動けなくなってしまいます。

マラソンをずっと走り続けるような感じとすればそれは大変辛いことです。現在臨床心理士でもまたGルート受験者でも「試験をいつやるのかわからないよ。でもきっとチャンスはあると思うんだ、思うだけだけどね」

これが異性だったら愛想を尽かされても仕方ありません。と言うか間違いなく愛想を尽かされるでしょう。「この前はデートの約束すっぽかしてごめんね。きっと君のことだからほめられ服とバッチリナチュラルメイク(男はナチュラルメイクを『薄化粧』と勘違いしている人も多いです。)今度、いつになるかんからないけどまたデートはきちんとしてあげるからさ、という超上から目線です。

しかしまあ彼氏は今回無茶苦茶忙しくてどうにもならない、でもきちんと約束は守ってくれる(だろう)し、あなたが恋い焦がれて愛しい相手だからからこそどうにもならないのです。

ここで受験者の方々に対して望みたいのは、受験者とて人間であることは当たり前ですが、中立性も保たなければならないという困難な課題にも直面しているということです。たとえばカウンセリング中にクライエントさんが「僕は◯◯党は大嫌いで」と言われて「そうですね。僕も大嫌いなんですよ」とは言えません。

集団斉一化やリスキーシフトといった集団同一化行動に心理職は加担できません。

また、受験生の方々が認知バイアスを抱きやすい恐怖や不安の要因としてはコンコルド効果と呼ばれるものがあります。計画途中で明らかに赤字を出し続けるであろうコンコルドを製作するのに膨大な赤字を出してもやめられませんでした。1959年、ジョセフ・ケイヒル氏がオペラハウスを作るのに当初予定を13倍以上使ってしまったという認知バイアスにならないだろうかというのはとてつもなく恐いことです。

3.今回の件で試験は難しくなるかどうか?

橋口さんは「変わらないだろう」今回作ってある問題をそのまま使うだろう。と予測しています。僕は試験問題は作り直されるかもしれないな、と思っています。

というのも試験委員も人の子、どんなに口止めをして金庫に問題を入れておいたとしても、自分が教鞭を取ったり本を著したり、論文を記述している間に「えっと、どこかでこれ、いい考え思いついたなあ、なんだっけ、ま、いいや、書いちゃえ」という可能性はとても低くても、世間はそう見かねないです。

資格試験なのであまりにも一回一回のばらつきがあってはならないと思います。これは僕の持論ですが、この試験は落とすための試験ではありません。基準点に達していれば必ず受かる試験なのです。

photo by 𝚜 𝚘 𝚛 𝚊 ໒꒱⋆゚
心ここにあらず、は心奪われるものに出逢える尊さ。