◯ スクールカウンセラー常勤化の理念と実態
公立学校スクールカウンセラー研究事業は平成7年から始まり、最初はあくまで「研究」だったのですが、平成18年には14の自治体では90パーセント(中学校)配置終了。
平成25年度には「スクールカウンセラー等活用事業実施要領」となり、研究事業から一応予算化された正式な事業となったと考えています。
さて、スクールカウンセラー導入当初から課題、というか日本臨床心理士会の悲願だったのがスクールカウンセラーの常勤化です。
一部の私立学校ではどんどん常勤のスクールカウンセラーを採用、主にその学校の卒業生から名門大学、大学院に進学した候補者を選んでいました(落ちこぼれて不登校になったり中退したぐらいの人がいいと個人的には思ったのですが)。
現在もほぼスクールカウンセラーの主流は非常勤、例外は名古屋市です。平成26年「なごや子ども応援委員会」が発足し、任期付きながら毎日出勤するというスクールカウンセラー制度が導入されました。
もし理論的にですが、毎日スクールカウンセラーを月〜金曜まで非常勤かけもちで行うとことができたら理論的には年収700万円(実際にはそんなに毎日勤務できるわけではないのでありえないのですが)、ところが名古屋市については常勤年収800万円を基準とするという、ワープア心理職としては画期的な制度です。
「理念と実態」という大仰な事を書きましたが、常勤化の理念が実態としてどうなるかは、学校という有機体、特に校長教頭という管理職がスクールカウンセラーという存在をどうとらえているか、そして当該スクールカウンセラーがどういう働き方をしているのかということが実態として反映されているのだと思います。
文部科学省のスクールカウンセラー活用事業では教職員のカウンセリングをすること、というのは重要課題としてあげられていました。教職員のうつ病発生率などが喫緊の課題となっていたからです。
スクールカウンセラーの「外部性」というのは大切なことながら、疎かにされがちです。ある日出勤したら「おーい、◯◯先生が病気で休職したからひなたさんの携帯番号教えておいたよ」と、ひきつった思いをしたのですが、外部性と内部性はSCにおいては大変不分明なところです。
学校の定期の飲み会に学校で誘われたらどうするのか?さしつさされつ宴席で平静でいるのは難しいです。スクールカウンセラーが常勤化されると職員室に机があって毎日先生方と雑談しながら外部性を保っていくのはなかなか難しい課題です。
外部性を貫いているSCの方には申し訳ないのですが、僕のところに「家族の悩み」として子どもの悩みを話してきた人には、担任に話してみようか、信頼できるとしたら副担任?部活の顧問、もしじっくりと話を聞いて欲しかったらスクールカウンセラーもいいですよ。そしてスクールカウンセラーに相談したら自動的に校長まで話が伝わるからいいですよ。
という、カウンセリングに行っても守秘義務なんかないよ、というSCにとっては情け容赦ない話し方をしています。
実際、カウンセリングというのは自分の秘密を守ってくれる、という子どもも心理カウンセリングに対する期待を当然のごとくしていますが、相談した翌日に保護者校長教頭、コーディネーターを含んで会議が行われることが度々あり、子どもから「スクールカウンセラーは秘密を守らない」という不信感につながっていることはとても多いです。
所詮スクールカウンセラーは週イチで数時間しか来ない、どこかにいるかいないか、しかも何をしているのかわけのわからないおじさんお姉さんなのです。
家永理論の「チーム学校」は子どものころからカウンセリングに対する不信感を醸成するということを余儀なくさせています。
バレンタインデーに「友だちだと思っていたAちゃんから友チョコもらえなかったよ、うわーん」という相談室に来た女の子の話をきちんと担任に伝えて、担任がしっかりとした人だったらそれとなくAちゃんとの仲を取り持つようにしてくれますし、担任はそういう情報を伝えてくれたSCに感謝します。
ところがどうでしょう。解決したといってもこのSCとしての不全感は。いくらなごや子ども応援委員会にSCは所属していて、校長の配下にないという形態であっても子どもはそうは見ませんし、SCも校長もそう考えてはいません。朝礼に出ない、とかカウンセラー室に詰めている、としても内部の人です。
終身雇用制ではなく、任期制ということで、なごや子ども応援委員会にSCは首根っこを掴まれているも同然なので、きっと学校からクレームが行けば次の年の採用はない。とSCは思って仕事をしています。
これは名古屋ではないのですが、とあるSCと校長との、生徒の守秘義務をめぐっての激しい軋轢に県教委がより激しく校長を諫めて不愉快な校長が定年するまでSCは安泰に勤められたという例外もありました。
結論:チーム学校は理念そのものは間違いはない。ただし、校長が頂点となったチーム学校の中の最下位にスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーが置かれるのはおかしい。スクールカウンセラーは外部性、というよりも外部機関として任期なしでの常勤化をされていかないと学校の相談機能はSCにはできなくなるだろう。ということです。
コメント
コメント一覧 (6)
導入期はたまたま外部性というので、学校組織に取り込まれずにうまく回った、と言う面もあるのじゃないかなと。
どうなんでしょうか
コメントどうもありがとうございます。文部科学省もスクールカウンセラー事業についてはしきりに外部性を強調しています。都道府県教委もパワハラ管理職からSCを守ってくれることがあります。学校という、内部性の塊のような機関の一部にSCが取り込まれてしまうと腰巾着になったSCは太鼓持ち心理職になって誰も、教員ですら信頼しなくなってしまうのではないでしょうか。うつ病の教員のカウンセリングができるのも外部性があるからこそです。という僕もかつては内部と外部との狭間だ迷い迷い仕事をしていました。時代は行きつ戻りついい方向に行くといいと思います。ちなみにアメリカのスクールカウンセラーは州によっては校長よりも巨大な権限機関として学校全般の組織的運営に口を出せます。これについてはまた忌憚のないご意見をいただければ幸いです。
米国某州の例では、SCに独自の権限(責任能力)が付与されているということですね。専門性(に基づく業務)が異なるのだから、権限(責任範囲)も当然異なるという考え方なのかなと思います。教員組織の指揮命令権とは独立していることで外部性(第三者性)を担保する仕組みなのだと思いました。
日本の(文科省が強調する)「外部性」とは何ぞ?と考えてしまいます。雇用元が学校外だからと行って、赴任先の管理職の指揮命令権下に入ってしまうなら、「外部性」はあるのか?と。
チーム学校による連携を否定する意図はありませんが、現状はSCを教職員が管理監督する形になっており、先に述べた専門性への理解とリスペクトが不十分(機能不全)なのではと思いました。
コメントありがとうございます。
文部科学省が出しているチーム学校は、学校ヒエラルキーの頂点には校長ほか管理職、次に事務長、スクールカウンセラーは外部ではあるけれども下部ヒエラルキーに位置付けららています。
その点チーム医療や緩和ケアチームは患者、家族をチームの一員とみなし、専門家はそれぞれ独立しているという扱いとは異なります。学校はまだ心理職にとっては息苦しい世界かもしれませんね。
その一方で、SCやSSWは専門性という点ではリスペクトされるものの、SCやSSWの仕事自体が主な収入源となり、雇い主が教育委員会や学校法人であることから、どうしても軸足を子どもではなく、学校組織におかざるを得なくなります。それは、教師もまた学校組織の一員として信念や良心を曲げざるを得ない立ち位置にあるわけです。特に、養護教諭には学校内の1人乃至2人職として、心身の保健衛生的な視点を校内に定着させことに苦戦してきた歴史があります。
教師は日々の教育活動の実践力と人間関係力の積み重ねにより、組織内の指導力やリスペクトを獲得し、子どもたちにとってよりよい教育環境の醸成に努めていきます。
SC・SSWの法的な位置づけが一気に米国並みにならない以上は、日々の実践を通して自分の理想の立ち位置を確立する必要があるのだと思います。とはいえ、勤務が週一回や月一回ではなかなか厳しい状況ではありますが・・・
コメントどうもありがとうございます。
正にその通りのことを言いたかったので僕のもやもやとした思いを言語化していただいてありがとうございます。現状を変える上では文部科学省の独立機関とするぐらいの勢いがないと難しいのですが、自治体もスクールカウンセラーを守ってくれたり切り捨てたりと様々な対応で、勤務が誠に不安定で、これで生計はとても立てられません。腰掛けポストにさせて当のスクールカウンセラーも生徒保護者を1年ごとに時間制限をもうけてカウンセリングをしなければならない、連続性がない勤務を強いられているのは何よりも子どもの心的安定のためには良くないと思います。チーム学校体制が今後変わる見通しはないので暗澹とした気持ちになります。