◯ 「公認心理師のための説明実践の心理学」から考えるインフォームドコンセント
昨日アカメアマ様から、コメントとして患者さんや一般人、非心理職に対する説明をどうすればいいのか?
ひなた先生はどう思いますか?
という質問がありました。(要約)
ちなみに僕はこのブログを書いている時、ただの心理ブロガーで「先生」ではないですし、カウンセリングの現場でも神格化されないように心を砕いていますので「先生」と呼ばれると恐れ多い気持ちになってしまいます。
(スクールカウンセラーが働く学校という現場は給食センター員、用務員も「先生」なので受け入れていましたが)
神格化の後にやって来るのは、魔法のような精神療法や、そして環境の変化を実現させてくれないカウンセラーへの落胆やカウンセリングからの脱落、時によっては攻撃性の発露にもなります。
「必ず私が治します」というのでは宗教になってしまうでしょう。
さて、多分試験勉強のテキストにも使われるだろう標題書(ナカニシヤ出版)を参考にしながら、僕なりの回答をさせていただければと思います。
公認心理師試験出題委員の沢宮先生も執筆者に名を連ねているこの本で、僕がとても得心したのは第4章「多様な利用者への説明原則」拓殖雅義筑波大学教授の説明です。
拓殖教授は専門が特別支援教育だけあって、障害のある方への説明を説明原則として示しています。
ダイバーシティ(多様性)概念がこれだけ広がっている今、心理職が心理職だけにしか通じない言葉で話しがちなのは、ついうっかり常識化していると思う専門用語は実は様々な人々にとって「共通言語」ではないけれどもそれを忘れがちです。
拓殖教授は筆談やICなどあらゆる手段を説明のために使います。
もちろん良心的な心理職は誰に対してもわかりやすい言葉で説明しようとします。
子どもでも障害や疾患がある人に対してわかりやすく噛んで含めるように説明、その際相手はわかっていなくても必ず「はい」と答えることを念頭に置く必要があります。
例;「患者はいつも『はい』と答える」(「医療におけるヒューマンエラー」医学書院 から引用)
看護師D「金曜日にお伺いしたDです。Bさんよく眠れましたか?」
患者A「はい」
(引用終わり)
Aさんは「眠れましたか?」に反応して、自分の名前が呼び間違えられたことは聞き流してしまいます。
「間違いだなあ」と思っていてもです。
だから心理職がインフォームドコンセント、説明をして同意を得る際には相手はわかっていなくても「はい」と答える可能性があるということです。
アカメアマ様からの質問に正確に答え切れているのかどうか難しいところですが、同じ人でも状態によって説明は異なります。
医師がとても多忙で秒単位を争っていてそれでも説明を求められることがあります。
ケースワーカーも浮かない顔をしている時もあります。
相手が同じでも状態によって共通言語が変わります。
むしろ心理職の仕事というのはインフォームドコンセントにこそ、その本質があるのではないかと思います。
説明に説明を重ねてずっと説明をし続けていくこと、そしていつも立ち止まって振り返り、相手の了解や理解を果てしなく求め続けていくことがカウンセリングやカンファレンスではないでしょうか。