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◯ ひきこもりとはなんだ?!

川崎事件では死亡した容疑者がこのように親族に述べていました。

さて、容疑者は死亡時51歳、無職、家のことはちゃんとやっているだろう、というのが彼の言い分でした。

ひきこもりの厳密な定義は半年仕事をしていない、学校も行ってないということだそうです。

この辺りは若年者のニート Not in Education, Employment or Training, NEET)の定義と重なるようですが、ニートは15歳から34歳までに限られています。

内閣府(pdf資料厚生労働省、日本臨床心理士会(未公表)資料をつらつらと読んでみたのですが、ひきこもりは時代とともに概念が変遷しています。

そして今問題になっているのがひきこもりの高年齢化で、40代以上69歳までの引きこもりが61万人いるという内閣府の調査結果が2019.3.29に出ています。

この調査はかなり精度を高めて調査したサンプルから母数を推定しています。

ただし、これはよく言われていることですが潜在的なひきこもりとしての女性のひきこもりは数の上に計上されていません。

女性のひきこもりは男性よりもかなり僅少な数で算出されています。

働き盛りの夫に知らない土地から知らない土地に連れて行かれてその度新しい人間関係を構築できる主婦は限られています。

暗数としてはひきこもりの数は政府が発表しているよりも多いでしょう。

さて、昔を振り返ってみます。

一昔前なら司法試験浪人や東大早稲田浪人がいて、「あいつは30になっても40になっても頑張っている、エライやつだなあ」と一部の人は許してくれたという文化がありました。

潜在的ひきこもりを許す文化です。

現代でも10年浪人して医学部に入ればお医者様になれます。

果てしなく医学部浪人をしている人たちの中でも成功者は出てくることも事実です。

もっと時代を遡れば素浪人という無職の仕官を求めて江戸時代以前から明治前期に至るまで、時には野盗などをしながら仕官できたり、大商人になれた人たちがいます。

こういう人たちは無職でも求職していた武士もどきということで、プライドが高い無職だったのでしょう。

今度は小中高児童生徒について考えてみます。

現在登校拒否という言葉はほとんど使われていません。

いや、拒否しているんじゃなくて行けないんだから不登校なんだ、ということで不登校という言葉を使われています。

不登校に対する対処はスクールカウンセラーにとっては果てしない課題です。

そしてその人が引きこもりになってしまうかどうか、人生の境目ともなります。

スクールカウンセラー配置で不登校はどれだけ減ったか、逆に増えたかという数はそのまま翌年のスクールカウンセラーの雇用につながることがあります。

校長は自分の評価にかかわるから必死です。

スクールカウンセラーを替えれば変わるかもしれないという言い訳を考えて非常勤職員を切り捨てても不思議はありません。

学校はなかなかハードルが高い命題を出すもので、不登校児の家に迎えに行け、担任が行っても学年主任が行ってもダメだ、と言われて何度も子どもの家に行きました。

子どもに何をしに来やがったんだ早く帰れ、ばかやろうと怒鳴られたことも度々、アウトリーチ(積極的介入)の持つ意味についてきちんと説得できれば良かったのですが、しがない非常勤職員としては校長に逆らえません。

うまく行った例(改変済)もあって、家庭訪問に行くと子どもがアニキャラやオリキャラのお絵描をしていて「うまいじゃん、よく描けてるねえ、これ◯◯のキャラっぽいね?」と言うと子どもがびっくりしたような顔をします。

僕「また来ていい?」
子ども「ビミョー」

スクールカウンセラーは年間35週契約、行かない週があると「あのおじさんは?」と聞いていたそうでした。

子どもにとっては大人はみんなおじさんなので、なんだかわけがわからないけど週イチで来ておじさんに絵を褒められているうちに相談室登校して教室復帰をします。

こういう場合は子どもや保護者、学校にも十分な準備体制が整っていてカウンセラーはきっかけを作ったに過ぎない場合だといろんな例を振り返って思います。

将来的なひきこもり候補が1人復帰したと思うとほっとするのですが、長期化すると確かに厄介でしょう。

僕が福祉の現場や労働局でバイトしていたときも小学校からだんだん学校に行けなくなってそれからなんとか外に出られるようになって、必死で就継やハローワークに来てもう緊張でガチガチになってそれでも来る。

偉いねすごいねとポジティブに評価してもなかなか続かなくてまたひきこもってしまうわけです。

ひきこもりサポーターという制度があって、元ひきこもりのピアサポーターがひきこもりの人の家庭を訪問声かけをする。

ひきこもりの人を完全社会復帰させるまでいかなくとも、作業所に来られるようにするとかデイケアに行けるように頑張る気持ちになれたら僕は大成功だと思います。

行政でひきこもり地域支援センターを作りアウトリーチをするという看板は立派です。

実際のところ、ひきこもりの定義にも書かれている、さまざまな精神疾患の可能性もあるけれどもそれと決まっているわけでもない、これがひきこもりの実体的な意味づけだと思います。

社会的支援体制を充実させて福祉的な受け入れを充実させて行政はありとあらゆることをしようとしています。

厚生労働省科研費事業で作成された「ひきこもりの評価・支援に対するガイドライン」pdf資料ではひきこもりを精神障害、発達障害、パーソナリティ障害のいずれかに該当すると規定していますが(p24)
「障害がなければひきこもりは起こらないの?」と思ってしまいます。

実際にはほかのガイドラインでは述べられているようにひきこもりはさまざまな要因から成り立っていて疾患や障害が前提となっていない場合も多いでしょう。

現在、心理職ができることとして可能なのは教育では不登校支援、医療では病院に来た際にその人が統合失調症スペクトラムや神経発達障害群に当てはまっていればそのサイコロジカルな支援をしていくことです。

ところが一方では「働いたら負けかなと思っている」「親パワーで一生生きる」と言っている人たちをネットでも見ます。

50代ひきこもりが年金暮らしの母親にすがって生きているのを「母親にもやりがいを与えたいと思っているから」と開き直ったかのような態度をしていて芸能人から叱られていた動画を見たこともあります。

ネトゲの世界では60人の部下を従えてドロップ率0.数パーセントの伝説のアイテムをリーダーが入手する、みんなから拍手される、そんな話を聞くと、それだけのリーダーシップがあるなら、おま、社会人で十分やってけるだろうと思ってしまいます。

チームによってはメンバーにバイト一切禁止を言い渡しているところもあるとか。

せどりで月10万稼ぎながら声優イベントに行き続けるオタクの人もテレビで見ました。

ひとつ対応を間違えるとひきこもりの人はそのままになってしまいます。

こういった開き直ったひきこもりの人々は充実しているかというとそんなことはなく、精神的にその根底にあるのは将来への果てしない不安と恐怖です。

親から罵倒されて不登校の子が水をかけられる動画を見て「うわあ」と思ったこともありますが常識的にはそれはダメなやり方です。

故河合隼雄先生の講義を生で聞く機会がありました。

不登校の子どもの言い分をにこにこしながら聞いていたカウンセラーがあまりにワガママな子どもの言い分に耐えかねて「とにかく学校行け!」と怒鳴りつけたら子どもが翌日から学校に行き始めたというエピソードを話してくれました。

いろんな要因が重奏して起こるひきこもり、年々ひきこもりが高齢化していくにもかかわらず福祉財源が少なくなってくるでしょう。

行政ができること限られていて、心理職はどこかの場面で登場を要請されるとは思います。

心理職がどこでどうやって福祉や医療と連携して対応するか、ことひきこもり対策行政についてはまだ暗中模索のままです。