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◯ 境界性パーソナリティ障害精神療法への公認心理師が期待される役割

境界性パーソナリティ障害は、古くはAdolf Stern(1938)にまでその概念の発生が遡ると言われています。

精神病なのか?神経症なのか?

じゃあ境界例にしよう、と疾患単位として独立させたはいいのですけれど、Robert Knightは何でもかんでも境界例に診断してしまおうという「ゴミ箱診断」的な扱いに1950年代に異議を唱えます。

1918年、「狼男」として知られるFreud,Sの症例は実は境界性パーソナリティ障害BPDだったのだろうと後世に言われました。

BPD研究は精神分析学者Kernberk,O、Masterson,Gundersonらによって進んでいきます。

Klein,Mの対象関係論で良いおっぱい、悪いおっぱいという母親の乳房の同一性を認められない特徴もBPD特有の思考法として認められるようになりました。

それに先立ってドイツのBalint,M基底欠損領域は、乳幼児のどの時期がBPDの発祥なのかという研究を進めていました。

紆余曲折を経てDSM-Ⅲで独立したパーソナリティ障害のひとつとして境界性パーソナリティ障害が確立したわけです。

他のパーソナリティ障害群の中でも本人が苦しい、希死念慮や空虚感や自我同一性を喪失している、という本人の病識も高いことから自ら来談する治療アドヒアランスは高いパーソナリティ障害です。

ただし薬物療法だけでいいですよ、という精神病よりもBPDは治療が困難です。

激しい感情のたかぶり、ポジティブ、ネガティブな転移感情を医療スタッフにも向ける、OD過服薬や自傷行為というアクティングアウト、行動化を繰り返すということで、医療スタッフも対応に困り果てることが多々あります。

そして面倒だと思われるとBPDは病棟で嫌われる、そうするとますます患者さんが医療スタッフに不満を持つという悪循環スパイラルがそこには生じかねません。

BPDの患者さんはほかの診断名がついている場合が多いです。

双極性障害と併発していれば行動は無軌道になりがちですし、統合失調症と併発していれば、妄想や幻聴の内容が医療スタッフを含む周囲への院性感情を投影したものになりがちです。

自死率10パーセント、不審死も多く、謎めいた生涯の終わり方を遂げたダイアナ妃もBPDだったのではないかと言われています。

BPDそのものは不治の病ではないです。

薬物療法も適応ですし、きちんと治療を受けていれば寛解率も生存率も高いと言われています。

強い感受性を生かして対人折衝の仕事で見事な社会復帰をする人も多いです。

この難しい病に立ち向かい、数々の輝かしい成功を収めたのは1990年代、Linehan,M博士です。

彼女はBPDのための弁証法的行動療法DBTを生み出しました。

Linehan女史は現在70代ですが、両手首は傷だらけ、いまだに運転していて急ハンドルで突っ込みたくなる衝動があるという、彼女自身がおそらくBPDの既往があるのでしょう。

弁証法的行動療法は集団療法と個人療法の双方で行います。

それまでのように治療スタッフ1人でBPD患者さんを抱えることは、患者さんが持っているさまざまな欲求を満たす、または制止する上では困難でした。

医療スタッフ複数がかかわること、そしてBPD患者さんが集団でグループミーティングに参加することが不可欠だったわけです。

よく以前から言われていたのはBPD治療には限界設定Limit Settingが大事だということです。

そのためにDBTでは治療からドロップアウトしそうになって欠席を繰り返す患者さんについて一定の期間グループセッションを受けられなくなるという限界設定をしています。

ミーティングを気ままに休むことは許されません。

心的苦痛をその時に全く別の要因で味わっていたとしても患者さんはグループミーティングに参加することを義務付けられます。

グループは自助団体として危険性を薄めるためのルール、個人的連絡構築の禁止などが決められています。

DBTは治療法でもあり哲学でもあります。

こういった優れた治療法はBPDだけでなく、強迫性障害OCDほかの精神疾患にもエビデンス、効力が認められるという研究結果が出始めています。

DBTは対人関係スキル、感情調節スキルというBPD特有の困難さに焦点を当てます。

そして治療スタッフたちはそこで頑張れた患者さんを応援、チアリーディングをするのです。

BPD患者さんを受け持ったことがある心理職ならわかると思いますが、患者さんはノーと言えない、断られたら絶望しなければならない、果てには死ななければならないと考えてしまう独特な思考回路を持っている人もいます。

挙句に感情を爆発させて周囲との関係に葛藤を引き起こすよりもできないことはできない、「ノー」と言えた方がいいのですし、ノーと言うことで罰せられないという保障が必要です。

安定感を欠く患者さんに対しては、白か黒かで物事を考えない、第三の道を探すという弁証法的行動療法が有効です。

精神の安定をBPD患者さんが保つということは難しいことです。

幼少期虐待を受けて育った患者さんも多いわけで、親からの歪んだ価値観の刷り込みは強烈です。

安定化させるためのマインドフルネス、「賢い心」をDBTでは重視します。

氷を握りしめる、コインを何枚もテーブルの上に真剣に乗せていく、アロマに集中する、キャンディを食べて味を詳細に述べていくという作業は自らを取り戻すのに役立ちます。

しかし重要なのは技法ではありません。

患者さんが自分をセルフ・モニタリングできること、治療者がコミットして結果を出すことが大切です。

医療もチームで行うことが重要です。

境界性パーソナリティ障害の人たちに対し、公認心理師が保険適用されてかかわりを持つことが認められれば、それはDBTという単一の技法でなくても、分析的でもそれは認められるべきだと思うのです。

もともと境界性パーソナリティ障害は精神分析の力がなかったら疾患単位としても認められなかったでしょう。

DBTは行動療法という名ではありますが、治療の随所で治療者は分析的な理解を求められていくからこそと思うのです。

誰もがトレーニングを受けて精神分析家や弁証法的行動を身につけられるわけではありません。

疾病によって国の経済や個人の命が危険に晒されるという不利益と、治療が行われることによって受けられるベネフィットについてよく考え、心理職には十分な研修の機会を官製で行ってもいいと思うのは僕だけでしょうか。

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