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僕自身の3.11〜心理職として

1.当日

職場で事務仕事をしていたら、ぐらっと揺れて「何事か?!」と思い、事務室の医療勤務員と机の下で揺れをやり過ごしたあとに堅牢なコンクリートの建物を出ました。

あっと思ったらちょっとパニックを起こしやすいS君が走り出して道路に飛び出して行きそうだったので慌てて首根っこを文字通り掴みました。

その後すぐに携帯がつながらなくなり、取り残されたまま、医療機関なのでひたすら待機を命じられて夜12時、臨床検査技師でいつも準備と手際がいいUさんがランタンを出して停電中の灯りを確保してくれました。

非常食はありましたが、レンチンできない固いパックご飯に冷たいレトルトカレーにかけて、みんな食べられずに残していました。

夜中12時にやっと家族と連絡がついて、今日は泊まり込みかなあと思ったら、当直勤務員を残して解散です。

2.以降

震源地からは離れていましたけれども救急派遣の可能性があるということでかなりの間早出出勤、淡々と僕はカウンセリングをやっていました。

テレビで何回も津波の映像をやっていたのを見て気持ち悪いというクライエントさん続出、「見ないでくださいね」とセンシティブな人たちにはなるべく震災関連のニュースには触れないように言っておきました。

3.現地派遣

医療関連職ということで初期対応のためのそのまた初期計画アセスメントということで、医師、看護師と現地入り、福島県南相馬市の惨状を目にしてきました。

心理的な手当てが不可能だった悲惨な、心理とは関係のない話を見聞きしたことが多かったのですが略します。

4.心理職としての働き

IES-R、出来事インパクト尺度やK-10といった心理テストを現地で施行しようという話がありましたが、心理専門家が立ち会っていないと侵襲的な検査なのでその場でケアする必要もあるといって反対、その後の動きはばらばら。

徐々にカウンセリングの中でも現地に係累がいた、放射能が怖い、仕事で被災地に行ったという人たちの面談をしました。

これだけ大きな災害になると、多分被災者の方々は張り詰めていて直後はサイコロジカルファーストエイドのテキストどおりの進行だったのだと思います。

元々レジリエントではなく、心的抵抗力が弱いクライエントさんは通学できなくなったり仕事に一時的に行けなくなった、僕とは別機関に勤務している心理の人からは被災者でない人がショックで入院したという事例を聞きました。

その後は結構ぼかして改変して書きますが、どうしても仕事でライフラインの復旧作業に当たらなければならなかった人たちがいます。

そうすると仮設作業場に寝泊まりです。

現場監督が指揮能力を元々発揮できない優しいタイプの人で突き上げられ、作業場内では狭い宿舎内で閉じ込められ、ぎすぎすした人間関係のトラブルがありました。

復旧資材到着が遅れると仕方なく待機、いつまで経ってもライフラインが確保できない被災者から、作業員がタバコを吸って休憩していたのを罵倒されたという場面もありました。

みんな苛立っていました。

クライエントさんはみなどこか元々辛さを抱えていて、離れていても、また、どこかに被災者や被災地に近さがあったり、現地入りして2次受傷した人たちもいました。

病状が重くなった人も多く、結構忙しく働いていたのを覚えています。

後日(半年後ぐらい)東北の病院で働いていた若い女性心理職の人と話したのですが、発災から2カ月はずっと泊まり込み、最初はずっとお風呂も入れなかった。

夜中も誰かが心的危機からやってくるのかわからないから院内相談室で待ち受けをしていたよーとのことでした。

5.事後

僕自身もお金を出してもらってサイコロジカルファーストエイド研修を受講しました。

また、自費で別の精神医学心理人道支援団体の研修に参加しました。

かなりこの爪痕は大きく人々の心を抉りました。

避難してきた子どもを含む住人への差別も起きました。

少しの刺激にも脆弱になってしまった人たち、クライエントさんと日ごろから接していて、まだ3.11は心理的収束を迎えていないのだなと感じることがあります。

南海トラフ地震を想定して国は動いていますが、学者が地震を正確に予測できたことはありません。

心理職として、というよりも国民の1人として激甚災害国家日本のどこでどんな災害が起こっても対処できるようにして欲しいと思っています。

14時46分黙とう

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