スクールカウンセラーが公認心理師試験で抱える憂うつと不安
スクールカウンセラーはご存知のとおり、来年度からは公認心理師が多分どの自治体でも採用の第1候補となります。
公認心理師に合格しただろうかと思っている現スクールカウンセラーの人にとっては不安でならないでしょう。
スクールカウンセラーが足りない自治体、田舎で行き手がない場所を抱えているところだと現職が割と安泰かというと、新人が入ってくるとこれまでの配置見直しの可能性もあるわけです。
僕がスクールカウンセラー採用の面接を某自治体で受けた際には「片道3時間半」でお願いできない?というそこの教育委員会の悲壮な依頼がありました。
どこまでも行ってくれるスクールカウンセラーの存在は自治体にとって喉から手が出る思いだったのでしょう。
今回公認心理師導入を契機としてスクールソーシャルワーカー時給がスクールカウンセラーより低いのでスクールカウンセラーの時給を切り下げるという声も聞こえてきます。
こういったニュースがあると非常勤一年契約スクールカウンセラーは不安でたまらないでしょう。
お金の話をすると下品だと思われがちなのが日本文化ですが、生活するのに事欠くような不安を抱えていたら、いいカウンセリングどころではありません。
さて、常勤のスクールカウンセラーも徐々に導入されつつあります。
その採用でも公認心理師が候補のトップになっていくだろうことを考えると現職者は受験結果が気になるところでしょう。
教育現場ではチーム学校の概念がかなり定式化されつつあり、校長、教頭を中核としたヒエラルキーでの生徒指導が確立しつつあります。
生徒指導だけでなく、教育相談体制にはスクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーが必ず入っているのですが、よく言われているようにスクールカウンセラーSCやスクールソーシャルワーカーSSWの強みはその外部性です。
SCが最初に導入された時には退職教員の再就職受け入れ口のようにSC採用を行っていて退職教員のところには来談者ゼロの状態も続きました。
内部経験者ではダメだということで外部専門家の心理職SC、福祉資格所持のSSWが多くの割合で雇用されるようになりました。
やっと常勤で専門家のSCが採用されるようになったということです。
公認心理師が導入され、文科省から予算がついて身分が安定するということ自体はいいことです。
しかしそうなった際にSCの外部性はどこまで担保されるのでしょうか?
生徒指導はしない、部活の顧問はしないということで児童生徒の上位に立ってはいけないのは確かですがそれは遵守されていくのでしょうか。
また、SCの持つ外部性というのは、慢性的に人手不足な学校の中で専門職という名を借りた学校社会に染まろうとしない甘えだという声も出てくるでしょう。
アメリカのスクールカウンセラーは博士号取得の専門職で、学校医よりも立場は上で、外部性も独立性も日本よりはるかに超えた地位を付与し、SC自体が外部機関のようになっています。
いろいろな理由があってのことだと思いますが、それだけ子どもの人権が保護されているからでしょうか。
公認心理師制度は、当初からチーム学校の中ではヒエラルキーの下に位置付けられています。
学校という特殊な社会の中でカウンセリングをどう位置づけていくかはこれからも暗中模索が続くでしょう。
学校という指導機関の中でカウンセリングをするSCはまた「あいだの人」です。
いろんな子どもがいますが、荒れている学校だと授業中でも子どもが相談室に盗んだ自転車で(!)突入してくるので相談室の鍵をかけておかなければならないこともありました。
司法領域経験者だと、非行少年の扱いに上手だろうと荒れている学校に配置されて成果が出ないとがっかりされるということもあったと聞いたことがあります。
子どもの視点だけに立つと学校組織という管理文化のルールを破るということで敬遠される場合もあります。
SC相談室の待合室に何か漫画でも置いてよと言われて、漫画を買ったら「手塚治虫のような学べる漫画以外は教育現場にふさわしくない!」と管理職に叱られた経験があります。
スクールカウンセラーが出すおたよりに子どもが描いてくれたアニメキャラのイラストを掲載したら「PTAからクレームが出た」とおたよりそのものを発禁処分にした学校もありました。
子どもは元来自分だけが持っている文化や価値観を好き、もっと言うなら愛しています。
好きな漫画、アニキャラは不登校の子どもにとって救いです。
その子の生きるための生命線となっている場合もあります。
学校に来たがらない子どものところに家庭訪問させられるという荒業を僕はSC時代よくやらされていました。
子どもが黙々と自室の中で描いているキャラを「上手いね、すごいね、これ◯◯のキャラだよね」と話しかけると、子どもは大人が自分の世界をわかってくれるということに驚いていたものです。
「また僕家庭訪問に来てもいい?」と言うと子どもはにこりとも笑わないで目も合わせないまま「ビミョー」と答えます。
それでも2、3回家庭訪問に行くと子どもは学校に相談室登校を始めるようになっていて、相談室で絵を描いている日々を過ごした後に学級復帰をする、という経験を何度かしました。
構成的グループエンカウンター(SGE)は、楽しくわいわいと子どもが生き生きと、先生も同じテーブルに入ってトーキングを楽しめます。
SGEを覚えているとあちこちの学校に呼ばれて講演をする時は座学よりも子どもは楽しいので評判はいいでしょう。
ただ、SGEの課題をどんなにrigidにお互いを傷つけないものにして「時間があったら読書と音楽どっちを楽しむ?」というようなものにして対話をさせても、「講演会で心理カウンセラーを呼んだら子どもが遊んで終わりか、けしからん」という目で見られる覚悟もしなければなりません。
本来ならSGEは学校の先生がするものなのになあ、とも思いながら、カウンセリングマインドを持った相談担当の先生がなかなかいないのを残念に思っていました。
公認心理師導入は教育現場では、心理職の身分保障がしっかりとするだろうと予測はします。
しかし反面でSCのカウンセリング的な外部性をどの程度担保してくれるのかなあと心配はするわけです。
公認心理師制度は多重関係の禁止をかなり強力に打ち出していますが、僕が以前勤めていた自治体では精神科クリニックで働いていたSCが「何かあったらうちのクリニックで生徒を診るから頼りにされてるのよー」と言っていましたが、公認心理師制度的にはこれは×です。
学校の教員もSCにとってはクライエントになる可能性がある対象で、実際病んでしまった先生のカウンセリングや病院へのリファーを経験したSCも多いでしょう。
学校の宴会についてです。
僕はもともとそういう集まりは嫌いなので車通勤を理由に先生たちの宴会に出るのは会費を払って欠席するようにしていたのですが、そのあたりはマイナス評価につながります。
下手をするとそういった事柄で次年度の採用がないのではないかとビクビクしてもいたものです。
多重関係を超えて学校教員と結婚してしまったSCもいました。
この辺りは古い話として扱われ、昔はすごいことがあったねえと言われるようになるのでしょうか?
リファー(紹介)する時には自前のクリニックだけではなくて、いろいろな機関を含めて相談先を選んでもらうのが、SCに限らず原則ですが、自分のクリニックだともろに多重関係の禁止に該当します。
田舎だと「スクールカウンセラーの◯◯先生だとすぐ病院につないでくれるから便利だ」という学校側からの誤った認識もあるでしょう。
他に紹介先がないような田舎もあるでしょうし、また、相談先となる教育委員会にも本当は公認心理師がいて紹介機能を持てればいいと思います。
離島で行政の相談責任担当者と話したことがあります。
曰く、離島なので日中に相談には来ない、夜になると住人が酒を持って相談にやってくる、こういった事情は中央官庁にも報告しているけれども、「他にやってくれる人がいないからまあよろしく」と言われているとのことでした。
教育に限らず田舎の心理職はどう対応しなければならないのかなあと。
普通の学校でも結構な割合で教職員の個人連絡先を掲載していました(最近は減ってきているようですが)。
困っている保護者の時間が空いているのが夜間や土日だけだからということで僕の個人携帯が保護者に無断で伝えられていたこともありました。
こういう中で多重関係だろう、公認心理師の信用失墜行為だと言われたら困ります。
主治の医師との連携についても教育現場の公認心理師は迷うことが多いでしょう。
学校が持っている集団守秘義務と病院の守秘義務は違います。
クライエントがSCだけになら、と病院との連携を許可したとしても学校はその情報も知りたがる、という中での板挟みになります。
リファーについて言えば、地域の保健所、市役所、精神保健福祉センターにも公認心理師が今後増えてくるだろうとは思いますが、複数のリファー先を紹介できる紹介機能は持てるのかどうかという、能力的な問題もあります。
教育公認心理師制度がうまく機能していけばいいのですが、「ひなた先生、部活指導やってもらえませんか?」と言われて断った時の教師の渋い顔がちらついてならないのです。
文科省はチーム学校として立派な学校カウンセリング体制を掲げていますが、他方で学校という職場はもっと泥臭く現実に即したものだということは働いたことがあるSCならわかるでしょう。
これから公認心理師がSCに流入してくる、SCとしてこれまで培ってきた学校文化との軋轢を乗り越える方法を学んでいないSCが誕生するとまた教育現場では管理とスクールカウンセリングの立場の違いからのすり合わせをイチから始めていくのでしょうか。
新しい制度を導入したり、新規に人が入ってくるということは、必ずそこに変化が伴うということです。
教育現場は変化を嫌います。
その中でカウンセリング制度がうまく再構築されていくのを望むばかりです。

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スクールカウンセラーはご存知のとおり、来年度からは公認心理師が多分どの自治体でも採用の第1候補となります。
公認心理師に合格しただろうかと思っている現スクールカウンセラーの人にとっては不安でならないでしょう。
スクールカウンセラーが足りない自治体、田舎で行き手がない場所を抱えているところだと現職が割と安泰かというと、新人が入ってくるとこれまでの配置見直しの可能性もあるわけです。
僕がスクールカウンセラー採用の面接を某自治体で受けた際には「片道3時間半」でお願いできない?というそこの教育委員会の悲壮な依頼がありました。
どこまでも行ってくれるスクールカウンセラーの存在は自治体にとって喉から手が出る思いだったのでしょう。
今回公認心理師導入を契機としてスクールソーシャルワーカー時給がスクールカウンセラーより低いのでスクールカウンセラーの時給を切り下げるという声も聞こえてきます。
こういったニュースがあると非常勤一年契約スクールカウンセラーは不安でたまらないでしょう。
お金の話をすると下品だと思われがちなのが日本文化ですが、生活するのに事欠くような不安を抱えていたら、いいカウンセリングどころではありません。
さて、常勤のスクールカウンセラーも徐々に導入されつつあります。
その採用でも公認心理師が候補のトップになっていくだろうことを考えると現職者は受験結果が気になるところでしょう。
教育現場ではチーム学校の概念がかなり定式化されつつあり、校長、教頭を中核としたヒエラルキーでの生徒指導が確立しつつあります。
生徒指導だけでなく、教育相談体制にはスクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーが必ず入っているのですが、よく言われているようにスクールカウンセラーSCやスクールソーシャルワーカーSSWの強みはその外部性です。
SCが最初に導入された時には退職教員の再就職受け入れ口のようにSC採用を行っていて退職教員のところには来談者ゼロの状態も続きました。
内部経験者ではダメだということで外部専門家の心理職SC、福祉資格所持のSSWが多くの割合で雇用されるようになりました。
やっと常勤で専門家のSCが採用されるようになったということです。
公認心理師が導入され、文科省から予算がついて身分が安定するということ自体はいいことです。
しかしそうなった際にSCの外部性はどこまで担保されるのでしょうか?
生徒指導はしない、部活の顧問はしないということで児童生徒の上位に立ってはいけないのは確かですがそれは遵守されていくのでしょうか。
また、SCの持つ外部性というのは、慢性的に人手不足な学校の中で専門職という名を借りた学校社会に染まろうとしない甘えだという声も出てくるでしょう。
アメリカのスクールカウンセラーは博士号取得の専門職で、学校医よりも立場は上で、外部性も独立性も日本よりはるかに超えた地位を付与し、SC自体が外部機関のようになっています。
いろいろな理由があってのことだと思いますが、それだけ子どもの人権が保護されているからでしょうか。
公認心理師制度は、当初からチーム学校の中ではヒエラルキーの下に位置付けられています。
学校という特殊な社会の中でカウンセリングをどう位置づけていくかはこれからも暗中模索が続くでしょう。
学校という指導機関の中でカウンセリングをするSCはまた「あいだの人」です。
いろんな子どもがいますが、荒れている学校だと授業中でも子どもが相談室に盗んだ自転車で(!)突入してくるので相談室の鍵をかけておかなければならないこともありました。
司法領域経験者だと、非行少年の扱いに上手だろうと荒れている学校に配置されて成果が出ないとがっかりされるということもあったと聞いたことがあります。
子どもの視点だけに立つと学校組織という管理文化のルールを破るということで敬遠される場合もあります。
SC相談室の待合室に何か漫画でも置いてよと言われて、漫画を買ったら「手塚治虫のような学べる漫画以外は教育現場にふさわしくない!」と管理職に叱られた経験があります。
スクールカウンセラーが出すおたよりに子どもが描いてくれたアニメキャラのイラストを掲載したら「PTAからクレームが出た」とおたよりそのものを発禁処分にした学校もありました。
子どもは元来自分だけが持っている文化や価値観を好き、もっと言うなら愛しています。
好きな漫画、アニキャラは不登校の子どもにとって救いです。
その子の生きるための生命線となっている場合もあります。
学校に来たがらない子どものところに家庭訪問させられるという荒業を僕はSC時代よくやらされていました。
子どもが黙々と自室の中で描いているキャラを「上手いね、すごいね、これ◯◯のキャラだよね」と話しかけると、子どもは大人が自分の世界をわかってくれるということに驚いていたものです。
「また僕家庭訪問に来てもいい?」と言うと子どもはにこりとも笑わないで目も合わせないまま「ビミョー」と答えます。
それでも2、3回家庭訪問に行くと子どもは学校に相談室登校を始めるようになっていて、相談室で絵を描いている日々を過ごした後に学級復帰をする、という経験を何度かしました。
構成的グループエンカウンター(SGE)は、楽しくわいわいと子どもが生き生きと、先生も同じテーブルに入ってトーキングを楽しめます。
SGEを覚えているとあちこちの学校に呼ばれて講演をする時は座学よりも子どもは楽しいので評判はいいでしょう。
ただ、SGEの課題をどんなにrigidにお互いを傷つけないものにして「時間があったら読書と音楽どっちを楽しむ?」というようなものにして対話をさせても、「講演会で心理カウンセラーを呼んだら子どもが遊んで終わりか、けしからん」という目で見られる覚悟もしなければなりません。
本来ならSGEは学校の先生がするものなのになあ、とも思いながら、カウンセリングマインドを持った相談担当の先生がなかなかいないのを残念に思っていました。
公認心理師導入は教育現場では、心理職の身分保障がしっかりとするだろうと予測はします。
しかし反面でSCのカウンセリング的な外部性をどの程度担保してくれるのかなあと心配はするわけです。
公認心理師制度は多重関係の禁止をかなり強力に打ち出していますが、僕が以前勤めていた自治体では精神科クリニックで働いていたSCが「何かあったらうちのクリニックで生徒を診るから頼りにされてるのよー」と言っていましたが、公認心理師制度的にはこれは×です。
学校の教員もSCにとってはクライエントになる可能性がある対象で、実際病んでしまった先生のカウンセリングや病院へのリファーを経験したSCも多いでしょう。
学校の宴会についてです。
僕はもともとそういう集まりは嫌いなので車通勤を理由に先生たちの宴会に出るのは会費を払って欠席するようにしていたのですが、そのあたりはマイナス評価につながります。
下手をするとそういった事柄で次年度の採用がないのではないかとビクビクしてもいたものです。
多重関係を超えて学校教員と結婚してしまったSCもいました。
この辺りは古い話として扱われ、昔はすごいことがあったねえと言われるようになるのでしょうか?
リファー(紹介)する時には自前のクリニックだけではなくて、いろいろな機関を含めて相談先を選んでもらうのが、SCに限らず原則ですが、自分のクリニックだともろに多重関係の禁止に該当します。
田舎だと「スクールカウンセラーの◯◯先生だとすぐ病院につないでくれるから便利だ」という学校側からの誤った認識もあるでしょう。
他に紹介先がないような田舎もあるでしょうし、また、相談先となる教育委員会にも本当は公認心理師がいて紹介機能を持てればいいと思います。
離島で行政の相談責任担当者と話したことがあります。
曰く、離島なので日中に相談には来ない、夜になると住人が酒を持って相談にやってくる、こういった事情は中央官庁にも報告しているけれども、「他にやってくれる人がいないからまあよろしく」と言われているとのことでした。
教育に限らず田舎の心理職はどう対応しなければならないのかなあと。
普通の学校でも結構な割合で教職員の個人連絡先を掲載していました(最近は減ってきているようですが)。
困っている保護者の時間が空いているのが夜間や土日だけだからということで僕の個人携帯が保護者に無断で伝えられていたこともありました。
こういう中で多重関係だろう、公認心理師の信用失墜行為だと言われたら困ります。
主治の医師との連携についても教育現場の公認心理師は迷うことが多いでしょう。
学校が持っている集団守秘義務と病院の守秘義務は違います。
クライエントがSCだけになら、と病院との連携を許可したとしても学校はその情報も知りたがる、という中での板挟みになります。
リファーについて言えば、地域の保健所、市役所、精神保健福祉センターにも公認心理師が今後増えてくるだろうとは思いますが、複数のリファー先を紹介できる紹介機能は持てるのかどうかという、能力的な問題もあります。
教育公認心理師制度がうまく機能していけばいいのですが、「ひなた先生、部活指導やってもらえませんか?」と言われて断った時の教師の渋い顔がちらついてならないのです。
文科省はチーム学校として立派な学校カウンセリング体制を掲げていますが、他方で学校という職場はもっと泥臭く現実に即したものだということは働いたことがあるSCならわかるでしょう。
これから公認心理師がSCに流入してくる、SCとしてこれまで培ってきた学校文化との軋轢を乗り越える方法を学んでいないSCが誕生するとまた教育現場では管理とスクールカウンセリングの立場の違いからのすり合わせをイチから始めていくのでしょうか。
新しい制度を導入したり、新規に人が入ってくるということは、必ずそこに変化が伴うということです。
教育現場は変化を嫌います。
その中でカウンセリング制度がうまく再構築されていくのを望むばかりです。
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