心理カウンセラー・ひなたあきらからのメッセージ

新制度公認心理師の検証をしばらく続け、この制度がよりよいものになるための問題提起を行いつつ、カウンセリングの在り方について考え、最新の情報提供を行っていきます。 ブログ運営者:ひなたあきら メールアドレスhimata★gmail.com(★を@に変えてください。)

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臨床心理士制度の崩壊を危惧する人々(公認心理師反対論)

◯ 日本臨床心理士資格認定協会の話

有名な話ですが、5年ごとの更新資格、臨床心理士の更新審査と資格認定を行っている、日本臨床心理士資格認定協会は公認心理師制度設立当初から、心理職の国家資格化について反対の立場を取っていました。

地方の臨床心理士会もこれに賛同する動きが出ていたことがありました。

(奈良県臨床心理士会平成26年10月12日)
http://niigatacp.sakura.ne.jp/sikaku/narasikaku201410184.pdf

臨床心理士になる、資格を維持するというのも多額なお金が必要なもので、受験料3万円、受験書類1,500円、5年ごとの更新料2万円がかかります。

一番お金がかかるのは心理学大学院までを専攻して卒業するという学費です。

臨床心理士制度が発足した当初は現任の心理職が「ぼったくりだー」「資格を金で買えというのか」などまるで資格認定協会がピンハネ団体だという言い方をしていた人たちがいたと聞きます。

実際には他の民間資格も国家資格もかなりのお金が取得や維持のためにかかるわけです。

日本臨床心理士資格認定協会が当初から心理職国家資格化に反対していたのは「利権擁護だ」と国家資格推進派の人々が表立っては言わないものの悪者扱いしていたものです。

さて、今回都道府県公認心理師会が臨床心理士会から多く移行することで、第2類の中央、または地方臨床心理士会主催の更新ポイントが取れなくなるという話は前回書きました。

(地方公認心理師会と日本臨床心理士会と共済研修が可能なら2類の研修にカウントされるのではないかという話も聞きましたが僕は未確認です。)

考えてみれば臨床心理士資格認定協会としては、設立当初から臨床心理士資格認定を専任とした団体のわけです。

これが国家資格が新たにできるということになると臨床心理士資格存亡の危機にもかかわると思ったわけで、国家資格反対論の立場を取らざるを得なかったのでしょう。

その当時どんな議論が資格認定協会内であったのかは知りません。

心理職の資格認定の試験実施から登録までの流れをスムーズに行っていた資格認定協会が、本来は公認心理師試験も担当してくれればよかったという意見も聞きました。

それが実現しなかったから日本心理研修センターが設立されて現在に至ったそうです。

資格認定協会のホームページを見ると(臨床心理士には書簡も届きましたが)「公認心理師制度と私たちは別です!臨床心理士制度は永遠です!、私たちは頑張ります!」(要約)という趣旨、内容の文書があります。

◯ 研修制度の話

週明けにでも資格認定協会に電話で聞いてみようかと思うのですが、このような中央と地方の共催研修が可能なのか、第2類カウントは可能か聞こうとか思います。

第1類、資格認定協会が主催する研修会や「心の健康会議」の重みづけは一気に大きくなったと思います。

※ 今調べながら書いていて「臨床心理士 更新」でグーグル先生を検索してみたら「臨床心理士 更新しない」という検索候補が出てきてクラッとしました。

確かに日本臨床心理士会は国家資格牽引をしつつ臨床心理士制度の存亡も視野に入れていたのだろうなと思います。

今後公認心理師制度と臨床心理士制度の住み分けや「共存共栄」という、もろ建前のお題目がどうなっていくのかはわかりませんが、素人目に見ても独自性を打ち出せない臨床心理士制度は衰退していくだろうなとおもいます。

公認心理師養成のための大学、大学院のカリキュラムはかなり多忙になりそうです。

取得するメリットや両資格の違いがよくわからない(誰にもよくわからない)臨床心理士資格は民間資格ということで衰退するのもやむなしと予想しています。

資格認定協会も「臨床心理士と公認心理師のダブルホルダーはすごくいいよ!」という戦略を取っておけばよかったのになあと個人的な感想を持ちます。
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◯ 公認心理師が関与すべき第4の発達障害・愛着障害臨床に踏み込むための児童福祉戦略

児童精神医学者の杉山登志郎先生がこの分野の研究の第一人者です。

杉山先生は先駆者であると同時に児童のトラウマ治療の専門家でもあります。

児童をめぐる環境は時代に応じて相当の変化があります。

例えば平成2年には児童相談所への児童の福祉を害する行為への相談対応件数は1,101件、それが平成29年度速報値では133,778件(厚生労働省発表)となっています。

心理職は「仲間として」というよりは燃え尽き、バーンアウトした児童業務に当たる福祉関係者のケアが必要な状態になってきているという認識を持たなければならないほどの状況です。

子ども側が抱えるリスクとして指摘されめいるのは発達障害で、「育てにくい」子どもが親の犠牲になることが多いことが指摘されています。

心理職は親子の発達相談から肌で感じていることですが、同じ発達障害児でも親の養育態度によってその適応度合いは全く変わるということです。

発達障害が発見されればまともな親なら悩み、これからどうやって子育てをしていけばいいのかと懊悩するのは珍しいことではありません。

そこで心理職や言語聴覚士(発達障害への療育は言語聴覚士の大切な仕事です)が話し方教室やペアレントトレーニングの場で親を十分に支えていけば学校生活にも馴染みやすくなります。

つまり遺伝だから発達障害の子どもは手ひどく扱われても仕方ない、という認識は間違っていて、環境因子でいくらでも子どもは変わりうるということです。

杉山先生がよく引き合いに出すのがルーマニアチャウシェスク独裁政権下で多くの子どもが親を失い、ある子どもたちはストリートチルドレンになって命さえも危うくしていたという事例です。

日本でも里親制度が子どもを救い、一部は特別養子縁組成立で実子として育てられることになります。(「絶対」ではないのですが)社会的養護で施設内処遇をされているよりも子どもの状況は劇的に改善します。

社会内養護でしか発生しないと杉山先生が指摘しているのは反応性愛着障害の抑制型(無表情、無反応)あるいは脱抑制型(過剰にべったりする)です。

こと脱抑制型にはADHD注意欠陥多動性障害との関連も指摘されています。

ここで反応性愛着障害でADHDが併発している場合、着目すべきなのは、不注意優勢型のADHDが多いということです。

親からの手ひどい扱いやネグレクトは解離(記憶を飛ばして心理状態を守るのでしょう)、爆発的な怒りの発作という形で発現します。

さて、児童を離れて医療現場などで働く心理職の中には成人PTSDで不幸な養育環境の中で育ったクライエントさんはいないでしょうか?

こういったクライエントさんはPTSD症状としての解離を幼少期から身につけています。

サバイバーとして生き残るためには身体的、心理的感覚を遮断しないと生き残れなかったのでしょう。

日常的に忘れ物をする、失くし物をする、これは解離なのか不注意優勢型ADHDとして起こる現象なのかの鑑別診断は難しいのですが、事故や傷害につながりかねない危険なサインです。

結果として心的な強さとしてのレジリエンスは複合的に低下します。

「仕事はどうですか?家庭ではどうですか?」クライエントさんが心的混乱状況を成人まで引きずっていて、児童のころの愛着障害を持ち越して場合にはかなり適応の困難を抱えることになります。

児童に戻ります。

児童養護施設での職員-児童間での軋轢がよく報道されていますが、小児PTSDやADHDを抱える子どもは反抗性挑戦障害を持っていることも多いです。

それは子どもが大人への不信感を職員への関係によって再構築していこうという試みとも取れるのですが、子どもでも激しい感情の吐露は人間である職員にとっては耐え難いことです。

心理職は薄給、激務の社会養護施設で福祉、心理職が長く勤められなくなるという現実をよく知っているでしょう。

その中でも必死に児童に向き合っている職員も多いわけです。

◯ 将来的には依存の問題を引き起こす場合が多い

物質依存、対人関係依存(少しでも優しくしてくれた人や自分に危害を加える人でも信じ込んでべったり依存)、行動嗜癖(ゲーム、買い物、浪費)これら満たされなかった思いは大人になってからも続きます。

刷り込まれた飢餓感、渇望です。

結果としてそれがまた子育てをする上での児童への迫害の連鎖となる場合もあります。

◯ 確立が必要な領域

公認心理師試験必修の司法面接では事実を一回だけ淡々と聞きます。

裁判になった場合、大人が子どもに加えた危害を子どもにトラウマを与えずに正確に聞き出します。

司法面接トレーニングを積んでいる心理職は日本では僅少です。

◯ 結語

児童福祉的な介入は、制度としては絶対的なベストとは言えないもののベターな社会的養護、里親措置、そしてもしもきちんとそれがうまくいけばベストにもなりうる家族再統合です。

これらの福祉場面にかかわる心理職は多いでしょう。

福祉という生活の場で行われる心理臨床活動、これらの努力は愛着臨床の中では尊いものです。

児童から思春期に至る過程で教育、医療もかかわっていき、彼ら彼女たちを真剣に受け止めていかなければなりません。

その後ずっと続く成人のトラウマ治療はまた児童への連鎖を食い止める手段となっていくのです。

(参照:杉山登志郎著作集③児童青年精神医学の新世紀)

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◯ アダルトチルドレンと依存をめぐる諸問題

アダルトチルドレンを生み出す機能不全家庭は物質依存だけにその問題はとどまっているわけではありません。

解決がとても難しいのは対人関係にかかわる関係依存、これが子どもをめぐる問題をより複雑にします。

依存症になる親、そしてそれを容認するもう片方の親、両方とも子どもをアダルトチルドレンとして育てることに加担しています。

片方の親がもう片方の親のすることを消極的に容認してしまったのは10歳の心愛ちゃんが亡くなった事案でも同じです。

父のすることを母親は怖くて何も言えないでいました。

母がもっと積極的に「私がいなくちゃこの人はダメになってしまうから」という救世主、メサイアコンプレックスに陥った家庭の中の子どもは悲惨です。

「ごめんよ、俺はなんとか立ち直るよ」という父に対して泣き合って抱きしめあって理解を表面上して解決をする夫婦、この時妻はイネイブラー、依存のエネルギーのガソリンタンクとして機能しています。

さて、この時に子どもはどこに置き去られているのでしょうか。

果てしなく繰り返される恐怖の家庭の中で何も希望も変化もなくなっていく毎日です。

夫婦の共依存状態、不健全な関係性への依存と置き去りにされた子どもです。

PTSDがDSM-5になってその特徴として、不機嫌な感情とその爆発性が特徴として示されるようになりました。

加害者が父親とは限りません。

母親であってもアダルトチルドレンとして育った母親が食卓をひっくり返し、皿を投げつける、そしてその感情をどうすることもできなくて自ら嘆き泣きじゃくることはAC連鎖家庭の中では珍しくありません。

アダルトチルドレンはある意味サバイバルゲームに似ています。

その場から離脱しないと心身の健全さは保てません。

しかし力ない子どもがいったいどうやって抜け出したらいいのでしょうか。

アダルトチルドレンはいつもいい子であり続けようとします。

毒親には満点の成績のテストを持ち帰り、学校では笑顔の仮面を保ち続けなければなりません。

自分を嫌いになったACの子どもは大人になっても自らを罰し続けていないとならなくなってしまいます。

過食で健康を失う、無謀な運転で命を危険に晒す、どれも自分への罰です。

成功を禁じられているので家庭という鎖を離れたら、ある時を境として学校、あるいは仕事からスピンアウトします。

何もできない、何もしないという果てしない気分障害のうつ状態の中で過ごします。

女性であれば彼女はいい結婚もパートナーも選びません。

魅力的な彼女に言い寄ってくる紳士的でいい人に対して「ふさわしくない」と断ってしまいます。

彼女は自分が幸せになることを許すことができません。

いつも笑顔で性格もよく人当たりのいい彼女をとらえるのはストーカーまがいの男性です。

「交際するまでつきまとってやる。酷い目にあわせてやる。居座ってやる」

彼女は「そこまで思いつめて私を必要としてくれるならば」と不幸な対人依存を選びます。

こうやってまたアダルトチルドレンと依存の連鎖は始まっていくのです。

今回に限らず一連の児童をめぐる事案にはアダルトチルドレンの問題が背後にあったとしても決しておかしくはないでしょう。

果てしない孤独感、そしてそれをどうにもできないもどかしさ、過剰な努力、落ち込み、空虚感、苛立ち、これらはアダルトチルドレンの人々に共通した負の感情です。

何が起こっていたのか、そして自分は何なのか、ACの人々はまず自己認識をはっきりとさせておかないと次の癒しのステップに進むことは困難です。
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