○ 公認心理師受験を中止した方がいいかも。どうかも?の人たち
1. 序
この記事は
公認心理師試験・日程が発表されて気持ちの準備ができていない人へ
のふみさんのコメントに基づいて書いています。
1.ふみ Gルートで落ち癖が付いてしまったな、と感じる人を目にします。次々と公認心理師受験生産業の喰いものにされて、大枚はたいても、まだ合格できない人も目にします。かなしいかな、チャンスはあと2回。ダメだった時のことを、ちゃんと考えないといけない。
2. ひなたあきら
>>1
ふみ様
コメントありがとうございます。どんな試験でも一様に、再受験者全体を見ると合格率は落ちます。その人にとって落ちやすくなっている要因の何かを取り除かないとならないのですが、わからない。いっそのこと人生に必要がないの資格ならば考え直すことも大切かもしれませんね。
「リベンジ組」と言えばチャレンジャーな言葉の響きという感じはするのですが、複数回受験をしても合格できない、こういった人たちは本当はどのようにしたらいいのでしょうか?
2. 何らかの理由で勉強ができなかった人たちについては?
こういった人たちが何らかの理由で勉強の時間が取れるようになった、勉強することを妨げていた何かから解放された、その時はスパートのかけ時です。思う存分勉強して欲しいと思います。今度こそは今度こそは、となんとか頑張ろうと思っていたわけですから本当の意味でチャレンジができるわけです。
3.お金をかけたとしても点数が上がらない人の勉強法は?
ふみさんが指摘するような、予備校にお金をかけても合格できない人たちがいます。このコロナの時代ですから、授業はオンラインや DVD です。お金を払いました、さてそれでは勉強しましょうか、ということになっても、勉強する主体は「自分」です。ただ漫然とわけもわからないまま、理解をしようとする努力なしに一回授業を見流して聞き流してそれで終わり、ということでは実際には記憶の中には残っていません。
基本書のテキストが出ました。キレイな装丁でお値段もそれなりです。またキレイな本が出ました。買います。少しパラパラとめくって終わり、点数は上がりません。最近知ったのですが、「青ペン勉強法」というものがあり、青い色には記憶効果がある、という仮説はどうでもよさげなのですが、「第1種の過誤」について自分で書いてみたらぶっちゃけなかなかやったという満足感がありました。⬇️⬇️⬇️
というわけで、耳でしっかり聞く、音読する、資格を手に心理職として新社会人のスタートを切り、働き出したゆめみんもテキスト丸写しで筆写と、受験生のみなさんはそれぞれに苦労しながら工夫して脳に焼きつけるように覚えていました。
スピードラーニングという語学の覚え方があって、英語で文が読み上げられたらそのまま追っかけてそれを英語で発音する、そう言えば仏語を覚える時ずいぶんやったなあ、効果があったなあ、などと思い出しました。
ゆめみんは予備校使わず模試も受けず、臨床心理士と2本立てでひたすら自分でメンブレながら学びマシンガンのように僕に質問をしてきていたので、この前向きさが合格に導いたのだと思いました。
もっともゆめみん自体も臨床心理学の名門大、大学院卒業でかなり基礎の段階で心理をたたき込まれていたという事実もあるわけですが、それにプラスしての勉強なので、彼女はなかなか密度が濃くやっていたと思います。
勉強が足りないというのは、具体的に何点足りないからダメ、というわけではなく、十数点足りなくて不合格でも次回に合格できた人も知っていますが、上記のようになにも実質的にやらない、とにかく知識が頭に入ってこない、それ以前に頭に入れようというつもりがないということではどうにもなりません。
きっとルートを何で受験していようがこういった勉強の仕方では難しいと思います。心理職として現在やっている人でも、厳しい言い方をするとどこかで切り替えないと合格は難しいでしょう。
4. 公認心理師崩れはエライのか?
ある意味昔のいろんな崩れた人たちがエライかったのは本当です。偉いとは違うと思いますが。一昔前、ロースクール制度が始まる前の司法試験は 10 浪程度が割と当たり前の司試崩れの人たちがいました。「司法試験をずっと受けていて頭が良くて頑張っていて偉い」という評価すら受けていたことすらあると聞いたことがあります。
どの程度昔かわかりませんが、「早稲田崩れ」の早稲田一筋 10 年間浪人の人も多かったと聞いたことがあり、おおらかな時代だったのでしょう。
ところが実際にはとても役立ち、個人事業主となったら経理や確定申告がすいすいとできそうな「日商簿記2級」10年崩れ、などは聞いたことはありません。
だいたいにおいて 公認心理師試験はG ルートならば第4回、第5回で全て終わってしまうのですが、「一時期心理の国家資格取ろうと思って頑張ってたんだよね」と言われても、元々心理職の社会的地位が高くない上に(控えめな言い方)「だからどうした」感が強すぎて、資格を取れたならばともかく取れなかったことに何か意義があるようには感じられません。
取るならば貪欲に資格を狩りに行くようなつもりでやって欲しいと僕のようなフッ軽な人間からすると思ってしまいます。
この資格に高い価値づけを置いてどうしてもとらなければならない場合、仕事もできないならばぜひ取るべきです。しかしながら取らずとも特に困らない人たちの「公認心理師崩れ」は偉くもなんともありませんし、向いてない、時間がない、基礎心理学の世界は好きでない、やる気にならないけれどもカウンセリングの資格が欲しいということならばやめた方がいいと思ってしまいます。
大嫌いな人々が多い心理統計ですが、心理統計なしではカウンセリングの世界は成り立っていなかったでしょう。心理の世界はいびつです。人が百人いれば百通りの心理状態があります。だから正規分布でなく、ノンパラメトリックな検定の方にも実用性があるとか、そういったことにも興味を持って欲しいなとも思ってしまいます。
崩れ崩れて経済状態や生活を崩してまで取る価値がある資格かというと、これを仕事として食い扶持を稼ぐのでなければそれほどでもないですし、元々の自分のフィールドがあるのならばそれでいいと思います。と、前回第3回試験問題をパラパラと見ていて思ったわけです。
photo & lyric are by ᴷᵁᴿᴼ' @PhotoKuro_
ɴᴇᴡ ᴏɴᴇ.
地に足が着いているからこそ未知の空へ想いを馳せることができるし、倦きる程の満たされた今があるが故に新たな景色を渇望する感情が生まれるのだから。
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